システム奮闘記:その101

法学・法律入門



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(2013年10月20日に掲載)
(2013年10月28日に加筆・修正)
はじめに


 IT担当者、IT技術者といえども、法律と無縁ではいられない。
 特に、ITが経営に関わってきたり、IT化やITの普及するにつれ
法律との問題が出てくるのだ。

 だが、法律の考え方を知らずに、条文の追っかけをすると
混乱するだけでなく、面白くない上、行き詰まります。

 そこで今回は、私自身が、法学入門書を読みながら
法学の勉強した過程を公開する事で、どんな知識が必要なのか
どんな事を学べば良いのかの参考になればと思いました。

 これから法律の勉強を考えているIT技術者やIT担当者の
お役に立てれば幸いです。

 文中で「本」とあって、特にことわりがなければ
「法学入門」(田中成明:有斐閣)を意味します。

法学との出会いは学生時代  法学に出会ったのは、1993年だった。  学生時代の一般教養だった。だが、講義を聞いても  わからへん (^^)  だった。  自分の本を教科書にして講義をする先生だった。  しかも講義は面白くなかったので    自主休講  と称して、徹底的にサボったのだった。  出席を取る時だけ、嫌々、受講。  だが、2つだけ印象に残った事があった。
印象に残った2つの事
(1) 中西防衛庁長官が罷免されたのは
閣僚が「改憲」発言をしたため
憲法違反に当たるため罷免された。

(1993年12月の中西発言)
(2) 自衛隊は憲法違反。

 今、思えば完全に・・・

 左翼万歳!!

 の先生だった。

 当時、法学入門書を見ても、法学の面白味がわからない。
 だが、印象に残っている事が1つだけあった。
 当時、フレテレビの美人アナが法学入門のコラムに出ていたのだ

 憧れの中井美穂は法学部出身!

 と思った。
 だが、20年経過した今、改めて調べ見ると
中井美穂は法学部出身ではなかった。

 どこで、どう記憶がおかしくなったのかは、
今となっては、わからないのだ。

中国法系 法律はお上が決める規則

 法体系には、いくつかの種類がある。  まずは中国法系を説明すると・・・  法律はお上が強制する掟  という発想なのだ。
日本人の法意識
日本人の法意識は、お上の通達
日本人のお上意識が強いせいかのか
日本人の法に対する意識は「お上のお達し」なのだ。
まさに中国法系そのものだ。

 大阪生まれの私。反・お上の土壌が強い地域だけに
無意識のうちに、お上を嫌う所がある。
 そのため法律を指摘されると・・・

 お上の規則に従えるか!

 という意識が働く。

 具体例として、信号を守らない歩行者と、路上駐車だろう。
 大阪のおばちゃんが路上駐車で捕まると

 なんで私だけやねん。他にもおるやろ!!

 と文句を言う土壌が大阪にはあるのだ。
 大阪生まれなので、すごく共感できる部分がある。


 その一方で中国法系に染まっているので

 時代劇が好きなのだ

 だった。

 松方弘樹の遠山の金さん、松平健の暴れん坊将軍。
 そして水戸黄門。8時40分過ぎになると

 助さん、角さん、懲らしてやりなさい!

 で、お銀(由実かおる)達が、散々、暴れた上、悪代官達が弱りきった所で

 この紋所が目に入らぬか!

 で静まり返る所が、見ていて気持ちが良いのだ。

 だが、お上が悪を倒す構図だと

 民衆が立ち上がる民主主義を否定している

 のだ。


 そして水戸黄門の番組は、一部の人の民意が反映されていた。
 
 お銀は由実かおる

 だった。

お銀の入浴姿、勘弁してよ・・・
水戸黄門で出てくるお銀(由実かおる)は50代になっても
入浴姿をやっていた。確かに、胸より上しか映らないので
猥褻でも何でもないのだが、熟女の入浴姿は勘弁してと思った (^^;;

でも、世の中のご老公様(年配男性)は、お銀の入浴姿を好むため
それが反映されたのか、お銀が降板の噂が流れると抗議が殺到し
お銀の続投になっていた。

(余談)
世の中のご老公様達にとって、50代は若いかもしれない。
79歳のご老公様が、77歳の女性の色気攻撃にやられた事件があるくらいだ。
79歳男性「一緒に風呂入って色仕掛けで4億円だまし取られた!」女性は77歳

 無意識のうちに、お上思想に取り込まれているため
時代劇を見ても、民主主義に反する内容という疑問が生まれなかった。


法律は交通整理 民法入門を読む

 お上が国民を統制する規則だと思っていた私。  だが、2008年頃から  法律って交通整理の役目ではないか!  と思い始めた。  そのため「システム奮闘記:その67」(セキュリティー入門)に こんな事を書いた。
世の中に法律がある理由
「システム奮闘記:その67」(セキュリティー入門)より抜粋
法律とは国が定める決まり事だ。
基本的には社会生活を円滑に送るための決まり事だ。
(色々、悪法もあるが、それは横に置いておいて)

例えば「飲酒運転の禁止」を考えてみる。
車を運転する人が飲酒運転を行う事により、交通事故が増え、
罪もない人々の命を奪うのを防ぐためにある。
市民生活の安全のために設けられた規則なのだ。

罰則規定があるのは、規則を破る事で、市民生活の安全を
脅かす要因になるため、規則を破った者へ責任を取らす意味合いと
同様の事が再発しないようにする意味合いで、罰則規定があると考える。


 そんな中、次の本を読んでみる事にした。
 「3日でわかる法律入門 はじめての民法」(尾崎哲夫:自由国民社)

 すると、今まで当たり前だった事が

 細かく法律で定められている

 事を知った。

 売買契約、請求、損害賠償などの

 民事上、起こりうる事が法律で明記されている

 のだ。

 しかも勤務先では、一応、総務部員。
 法務の知識が全くないのでは、格好が悪い。

 法律に対して無知丸出しの私 (--;;

 そこで民法の本を読みとおす事にした。

 そして、会社法の入門書も読む事にした。
 会社法は「会社のあり方・運営法」を規定している。
 そこで気づいたのは

 総務部員としてのキャリアを積んでない

 だった。


 某企業の総務部員募集要項には、こんな事が書いてある。

ある非上場企業の総務部員の募集要項
不動産・賃貸物件等の管理・契約書
取締役会議議事録作成等の業務
法務業務(弁護士とのやりとり)

 もし、上場企業の場合は、株主総会の裏方の仕事もある。
 中小企業にいてたら、そんな経験を積む事は困難だ。

 だが、実務で法律に出くわさない限り、興味を持って
勉強する意欲が出てこない。
 なので、勉強しても面白みがわからないため、
放置する事にした。


 民法や会社法の本を読んで、わかった事は

 社会を円滑に動かすための道具としての法

 だった。


 やって良い事を活用すれば商機につながる

 だが、まだ私の頭の中は、法律はお上の規則という

 中国法系に染まったまま

 だった。

法学・法律の勉強開始

 2010年、著作権や著作権法の事を調べたのをキッカケに 法律に興味を持った。  著作権や著作権法については「システム奮闘記:その94」 (著作権入門)をご覧下さい。  著作権といえば、文化庁の元著作権課長の岡本薫さん。  そこで岡本さんの本を読む事にした。  「世間さまが許さない!」(岡本薫:ちくま新書)  メチャクチャ面白い本だ。  鋭い分析と的確な指摘。そして、わかりやすい。

民主主義の世界での法律の考え方

 岡本薫さんの本を見て、衝撃が走ったと同時に 法学への興味を持つキッカケになった。  岡本さんの本には、民主主義国家において法律とは  みんなで話し合った決めた規則  だから守りましょう  なのだ。  図式化すると、こういう事なのだ。
民主主義の世界での法律の考え方
議会は有権者の代表
立法府(議会)は有権者の代表
議会で決めた事は、みんなで決めた事
議会で決定した事は、間接的に有権者が決めた事になるため、法律の遵守が求められる。
議会の議員は「有権者の代表達」であり、彼らがが決定した事は
間接的に、有権者が決めた事になる。
そのため有権者は、誰に投票するかの責任が出てくるのだ。

民主主義は全員参加の政治。
そのため投票という参政権行使に対する結果責任が求められる。

 ところで法律を制定する際、有権者の代表の議員が話し合った末
以下の事を決める。

規則(法律)の設定する際の作業
(1) やらなければならない事を決める。
(2) やってはいけない事を決める。
(3) 規則(法律)に書いていない事は、各人の自由

 民主主義の世界では、議会で決めた事は「みんなで決めた規則」であり
最低限、守る必要がある規則になる。

 反対に、法律に書かれていない事は

 何をしても自由

 なのだ。


 ところで日本で「法律に反しなければ何しても良い」と言うと

 いくら法律に触れないからといって

 やって良い事、悪い事があるだろ!

 の大合唱になる。

 民主主義は、多様性が大前提で、モラルの自由は憲法19条で保証されている。
 だが、同質性の幻想から、みんな同じモラルを持っていると思いがちで
そのため、相手の行動が、自分のモラルの基準に合わないと

 けしからん!
 
 になりがちだ。

 岡本さんは本の中で、日本人は民主主義に向いていない事を指摘している。



 岡本さんの本によって、法律はお上が決めた事ではなく
みんなが決めた規則という事を知った。

 法律はお上が民衆を縛るという考え方の

 中国法系から解き放たれた瞬間

 だった。


 法律よりモラルを重視する日本人。
 その呪縛から解けた私は、以下の看板に対して
違和感を持つようになった。

条例よりもモラルを訴える張り紙
モラルを訴える西宮の看板
犬のフンを放置は兵庫県西宮市の条例に違反する。
だが、この看板では条例違反と謳わず、モラルに訴えている。
憲法19条でモラルの自由を保障されているのだが
モラル優先の日本では、平然と憲法違反が行なわれ
条例で決まっている事が強調されない。

これでは法治国家と言えるのか、疑問を持ってしまう。


コンプライアンスと法令遵守

 近年、コンプライアンスという言葉はよく耳にする。  だが、カタカナだと意味がわからないので・・・  法令遵守と言え!!  と叫びたくなる。  どこまでカタカナに汚染されているのだと思ったりするが そんな時、元検事の郷原信郎さんの面白い記事を発見した。  法令遵守がコンプライアンスではない パロマ事件の教訓(日経BP)  法令遵守とコンプライアンスは同じ物ではない  というのだ。  記事を読んで行くと非常に興味深い。
コンプライアンス(compliance)の本来の意味
本来は「compliance」は「合わせる事」や
「適合性」の意味なのだ。

郷原さんは記事の中で企業のコンプライアンスとは
「社会の要請に対して、しなやか、かつ敏感に反応しながら
企業目的を実現していく事」と説明している。
そのため法令遵守がコンプライアンスではないというのだ。

 そして

 日本では法令と社会の実態が解離しやすい

 と指摘。
 その上で、次の事を述べている。

記事の一部を引用
米国では、社会の多くの問題が訴訟の場に持ち込まれ、
議論を通じて法が形成され、社会に適合していく。
こうして形成された法令の違反に関しては
ときに厳しいペナルティーが科せられます。
一方、日本では一度、作られた法はなかなか変わりません。
そのため、市民社会と法との間に距離ができ、ズレが生じる。
そうなると、市民社会に反する行為であっても
法的なペナルティーは科せられない。
また、たとえ法的に律することができる違法行為であっても、
その法的ペナルティーは低いレベルに留まる傾向があるのです

 米国では社会の要請に応じて法律が変わる

 日本だと法律が変わらず、社会の要請とズレが生じる


 そこでピンと来た。
 米国だと社会の要請によって法律が変わるため

 法令遵守とコンプライアンスは同じ意味になる

 でも、日本だと法令遵守をしても、社会の要請に応じた事にならない。
むしろ法令と社会の要請が解離しているため、法令遵守に熱心なあまり

 会社が機能しなくなる

 という問題を抱えてしまう上、法令遵守しても

 社会の要請に反する事もある

 というのだ。

 こんな記事を読むと、法律に対して興味を持ってしまうのだ。


 ところで、なぜ米国の法律は、社会の要請の応じた物になるのか。
 なぜ、日本が社会の要請と解離しやすいのか。

 法律の基本的知識を知る必要がある。
 詳しくは後述しています。

法学入門

 2011年10月、法律の勉強を始める。  法律といっても憲法、民法、刑法などあるが・・・  法律の考え方を知らないと  個々の分野を勉強しても身につかない!!  という事で、個々の法律の本ではなく、法律の考え方を解説した 法学入門のような本を探す事にした。  以下の本を発見した。  「法学入門」(田中成明:有斐閣)  だが、この本は入門書と言いながらも、入門者にとっては 相当、骨のある本だ。  だが、30後半になると、知識や経験があるため  色々、結び付けて考える事ができる  のだ。  そこで、法律の素人が、今までの知識や経験と照らし合わせながら 骨太の本を読む事にした。

法の考え方

 法学・法律を見る上で、見通しを良くするために 法の考え方を簡単に紹介している。

法の万能性について

 何か問題があった場合、法律の制定が求められる。  だが、法は万能という前提で、何でも法律で 社会や人々の行動を制御しようとすると、限度が出てくる。  そもそも、日本が陥っている  がんじがらめの法律  だと身動きはとれなくなる。  それだけでなく、以下の問題点も出てくる。
法律万能主義で法律で縛った場合の問題点
(1) 法的規制による費用と労力発生

何か行いたくても手続きに手間はかかるし
監視する場合は、人件費も労力もかかる。

具体例として、路上駐車やスピード違反の検挙だ。
違反を見つけるために人件費と労力がかかっているのだ。
(2) 個人の自由の侵害

本来、自由であるべき所まで規制してしまう問題

(具体例)
男性が好意のある女性に対して、高級レストランへ連れていき
その見返りとして、ホテルへ直行というのは、巷でよくある話だ。
双方の合意があれば、当人同士の個人の自由の範囲なのだが
「これは売春だ! けしからん!」となれば
個人の自由の侵害になってしまう。

実際、日本の法律では、個人の自由まで侵すわけにいかないためか
売春の行為者(男女共)には罰則規定はない。
あるのは売春幇助者(風俗店の経営者や従業員)に対してだ。

 そのため行動規範を個人のモラルに求めたり
罰則を社会的制裁に委ねたりした方が良い場合もあるという。

 要するに

 法のみの統治の限界

 を言いたいわけだ。

パターナリズム

この文字を見て・・・  カタカナを出されてもわかるか!  なのだ。  そこで英語の綴りを調べてみた。
パターナリズム(paternalism)とは
英和辞典には「家父長(父親)的態度」や「温情主義」だ。

一般的には、強い立場の者が、弱い立場の者の利益になるよう
本人(弱い立場の者)の意志に関係なく、弱い立場の者の行動に対して
介入や干渉を行う事を言う。

過去の医学の世界では「患者自身の意志に関わらず
医者の言う事を聞きなさい
」が医療パターナリズムだった。
だが、患者の権利が高まっているため、死語になりつつあるようだ。

 親が子供の行動に介入や干渉を行って、行動を制御する
 国が行うと、お上思想にも通じる発想だ。


 法律では、パターナリズムの考えがある。
 必ずしも悪いお上思想とは限らないのだ。

法律で見られるパターナリズムの考え方
国家が国民を保護する目的で作られている法律だ。
麻薬、賭博の取締りが良い例だ。

本人が麻薬や賭博をしたくても、国が本人の行動に介入する事で
本人の健康や財産だけでなく、健全な社会形成の役目を果たしている。

 ただ、これも文化・習慣、国民性によって大きく異なる。

 エロ本で例えるとわかりやすい。

国別でのエロ本の違い
日本 成人女性の裸は大丈夫。
だけど、大事な部分は黒塗りかモザイクが必要
アメリカ 成人女性の裸は大丈夫。
大事な所であってもモザイクは不要。
イスラム エロ本は禁止!!
裸どころか、国によって女性の肌の露出すら禁止!!

 ポルノを有害がどうか、どの程度、有害かどうかで
線引きが変わってくるのだ。


 エロでも児童ポルノの扱いになると、国によって
規準が変わってくる。

国別での児童ポルノの扱いの違い
日本 禁止といいつつ甘い。
ドラえもんの、しずかちゃんのパンチラや入浴は合法。
アメリカ 禁止
サザエさんの、ほとんどの映像は放送できない。
わかめちゃんの姿は、いつもパンチラ状態のため
児童ポルノに当たるからだ
イスラム 禁止!!

 日本では、おおらかなため、しずかちゃん、魔女っ子メグちゃんの
パンチラ映像は問題なしの扱いだ。

 小学生が喜ぶ程度

 なので、日本では目くじらを立てない。

魔女っ子メグに、エッチな映像がある理由
以前、製作秘話をテレビで見た事がある。

女の子だけでなく、男の子のファンを作ろうとしたため
メグちゃんのパンチラなど、エッチな部分を取り入れたという。
放映当時、小学生だった私は、まんまと乗せられた (^^)

でも、アメリカで同じ事をやろうとして放送したら
児童ポルノで変態アニメ扱いになる上、検挙の対象になる。

 だが、アメリカだと

 完全に児童ポルノで犯罪映像

 という扱いのため、禁止されている。


 パターナリズムといっても国によって文化・倫理・道徳が異なるため
有害物の認定から扱いまで異なってくるのだ。

リーガリズム

 ここでもカタカナだ。でも、本には英語の綴りを書いていたので 綴りを調べるのは楽だった。  リーガリズム。本には以下のように書いていた。
リーガリズム(legalism)
社会倫理や政治社会に関する、あらゆる問題を
できるだけ一般的な法的規則の規制のもとにおき
権利・義務の問題と捉え、裁判などの法的規準・手続きによって
処理する事を良しとする考え方

 西洋では、この考え方は一般の人々にも浸透しているという。
 すぐに気づいた。この考え方は民主主義が浸透している事と同じだ。

 「システム奮闘記:その94」(著作権入門)でも触れているが
民主主義国家では

 法律は、みんなで決めた規則

 になる。

 思想・信条・価値観の違う者同士が議論の末に決めた
最低限、守るべき規則が法律なのだ。

 そのため問題が起こっても、解決手段として
法に基づいて行われる考え方が浸透しやすいのだ。


 だが、日本では民主主義が根付いていないため
「法律は、みんなで決めた規則」の発想はなく
お上思想が強いので

 お上による規制や規則

 であり、紛争解決に至っては

 法律にはとらわれない大岡裁き

 を求める声がある。


 とてもリーガリズムとは、ほど遠い国民性なのだ。


法の存在形式(法源)

 「法源」は初めて見る単語だ。  法源とは法の存在形式  だという。  その形式は以下の2つに分けられる。
法源
成文法 成文憲法、法律、命令、条例
不文法 慣習法、判例法、条理、学説

 どの法源を採用しているかで、大きく分けて2つの分類がある。

 成文法主義と判例法主義

 なのだ。

 過去に何度か見た事のある文字だ。
 判例法主義とは、判例が法的拘束力があるというのは知っている。

国別の法源の違い
成文法主義 フランス、ドイツ、日本

大陸法系とも呼ばれる
判例法主義 英国、アメリカ(ルイジアナ州をのぞく)

英米法系とも呼ばれる

 この2つについて、詳しい事は後述しています。

制定法

 制定法とは公の立法機関が制定した法律だ。
 日本では以下の物を制定法と呼ぶ。(参考:制定法とは)

日本での制定法
憲法 衆議院、参議院と国民投票で可決された物
法律 衆議院、参議院で可決された物

法律の中には、衆議院優越で、参議院で否決されても
衆議院だけで再可決できる物もある。
条例 地方自治体の議会で可決された物
命令 内閣が発する「政令」
各省の省長(大臣)が発する「省令」
規則 各庁の長(長官)や委員会が発する物
命令と同じようなだが、使い分けている。
条約 文書による国際法上の取り決め。

 命令や規則に法的拘束力がある

 と言っても、命令や規則が、ピンと来ないので、いまいち、わからない。


 でも、ここは軽く飛ばす。
 成文法主義と判例法主義での制定法の扱いの違いがある。

成文法主義と判例法主義での制定法の扱い
成文法主義 第一法源で、制定法は最優先法源になる。
判例法主義 判例法主義であっても、判例よりも制定法が優先される。
後述しているが、判例による法的拘束力は
制定法で網羅しきれない所を補う役目を果たしている。

 制定法の長所と短所が書いてあった。

制定法の長所と短所
長所 明確で安定している上、内容も体系的で論理的。
計画的に作られているからだ。
短所 抽象的で具体的内容に乏しい。
改正が容易でなく、社会の変化に対応しにくい点。

 確かに短所の部分は、ありがちだ。

 形骸化した法律が沢山ある。
 改正や廃案にならず、放置されている状態だ。

短パンを履いたら軽犯罪法違反
短パンやミニスカートを公の場で履けば
軽犯罪法・第一条二十号に違反する。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO039.html

公衆の目に触れるような場所で
公衆にけん悪の情を催させるような仕方でしり
ももその他身体の一部をみだりに露出した者


形骸化した法律の典型例だ。
夏の海岸で、ハイレグビキニを着た若い女性のみならず
普通に海水パンツを履いている男性も、みだりに「もも」を
露出しているので、逮捕されてしまうのだ。

 この程度なら、笑い話で済むが、行政サービスや
企業活動に支障が出る形骸化した法律は、立法府の怠慢以外の
何者でもないのだ。


成文法主義と判例法主義

 法源(法律の存在形式)の所で出てきた、成文法主義と判例法主義。  少し、おさらいすると、以下の事なのだ。
成文法主義と判例法主義の違い
成文法主義 議会で制定された法律こそ
法律としての効力を持つ考え方。

ドイツ、フランスの欧州大陸で発展したため
大陸法系と呼ばれる。

主に、日本・ドイツ・フランス・中国・韓国で採用
判例法主義 裁判での判決で出た結果が
法律として効力を持つ考え方。

もちろん、議会で制定した法律があるが
判例結果も法的拘束力があるという考え方だ。

英国・米国で発展したため英米法系と呼ばれる

主に英国・米国(ルイジアナ州を除く)、英連邦国家で採用

 成文法主義はドイツ、フランスで発展した。
 判例法主義は英国で発展し、アメリカ・カナダ、英連邦の
オーストラリアやニュージーランドで採用されている。


 日本は成文法主義で、アメリカでは判例法主義。
 そのため裁判の進め方も異なってくる。

アメリカでの民事裁判の進め方
アメリカでは原告・被告の弁護士が自分達に有利な判例を出し合う
アメリカでは原告・被告の双方の弁護士が過去の判例を探し出し
自分達に有利な類似判例を裁判で提示し合う。
過去の判例が拘束力を持つからだ。

いかに判例を探し出すかが重要になってくる。

 その一方で、成文法主義では

 判決結果は、その裁判案件のみ拘束力を持つ

 のだ。

 あくまでも過去の判例は参考程度なのだ。
 だが、日本は成文法主義にも関わらず、よくニュースなどで

 裁判結果が出ました。他の裁判にも影響します

 と言われている。
 視聴者は何気なく受け取っているのだが、よくよく考えると、
日本の法源を無視した記者やメディアの、おかしな報道だとわかる。

永山規準もおかしいはず
成文法主義では、過去の判例は、あくまでも参考に過ぎない。
他の裁判に対して拘束力は持たない。
だが、日本では死刑の規準として、長年「永山規準」が言われてきた。

判例で規準を決める事自体、判例法主義になってしまうため
それを問題視しないのは、いかがな物かと思う。

もしかして、法曹界では議題になっているかもしれないが
単に私が知らないだけかもしれない。


 ところで成文法主義と判例法主義があるのか。
 そこには法律作成時における考え方の違いがあるのだ。

成文法主義の考え方
成分法主義の考え方は理性重視で事象の事前の想定を前提にしている
最初から、社会で起こりうる、あらゆる事象を想定し
それに対応する法律を制定していく方法だ。

理性重視の発想だ。

 一方で判例法主義の場合は

判例法主義の考え方
判例法主義の考え方は経験重視で事象の積み重ねを前提としている
社会で起こりうる事象を最初から網羅は不可能という前提。
大雑把な法律を作っておく。

問題が発生すれば司法である裁判所で判定し
判定結果に法的拘束力を持たせるという考え方。

経験重視の発想だ。

 ところで、判例法主義といっても過去の判例が積み重なると
判例を整理して、制定法化しようという動きが出てくる。

判例が増えると整理して制定法化される
判例が増えると整理して制定法化される
判例法主義であっても、制定法を優先する。

ある程度、判例が増えた所で、それらを整理して
制定法化する動きが出てくる。
判例を積み重ねる事で、標準的な内容が作成できるようになり
みんなが納得できる法律が作れるからだ。まさに経験なのだ。

もちろん制定法を作るのは議会が行うのだ。

 ここで判例法主義に対して疑問に思った。
 裁判所が出した判例が法的拘束力を持つので・・・

 三権分立に反するのでは?

 法律作成は立法府(議会)の役目であって司法ではないはず。

 そんな疑問を持ったのだが、本には、次のように書いていた。

 司法による法の発見

 だというのだ。

法の発見の論理
立法府(議会)では想定できなかった社会事象の問題が発生し
裁判になった事で、社会に必要な法律を発見したという論理だ。

そのため、司法は、裁判の場で、法を発見したにすぎず
法の創造ではないというのだ。

 腑に落ちない感じがする。
 だが、英米で同じ議論があるのかを調べてみたら
見つからなかったので・・・

 法律の専門家でないので、わかりませーん (^^)

 で逃げる事にした。

法の発見の考え方について
あとでわかった話。
「法の発見」の考え方は、イングランドの歴史を紐解く必要がある。
現在の三権分立の考え方だけ見ていたのでは、腑に落ちないだけだ。
イングランドの判例法主義の歴史については、後述しています。

 余談になるが、アメリカは判例法主義と書いたのだが
ルイジアナ州だけは例外で成文法主義が採用されている。

アメリカでもルイジアナ州だけは成文法主義を採用
ルイジアナ州だけ成文法主義を採用している。
元々、フランスの植民地だった事に由来している。
フランスでは成文法主義を採用しているからだ。

「ルイジアナ」の名称も「ルイ14世」に由来している。

 もしかして世界史の勉強になりそうだ。
 そんな予感が過った。それが、だいぶ後になって当たった。
 世界史の勉強については後述しています。

アメリカの著作権法は大雑把

 アメリカが判例法主義で、ふと思い出した。  米国の著作権法は大雑把  日本は著作権法先進国で、インターネットの利用に関してまで 成文化しているのは日本だけだ。  アメリカは遅れていると思ったのだが、判例法主義の考えでいくと  司法の場で必要な法律を見出していく    なのだ。  インターネットの利用に関する法律なども新しい技術の場合 成文法主義では対応しきれない側面がある。  成文化を待たなくても、司法の場で規準を作っていけば わかりやすい上、判例を積み重ねて、集積された物をまとめて 成文化するという手法も悪いとは言えない。  著作権に関しては「システム奮闘記:その94」(著作権入門)をご覧ください。

慣習法

 慣習法といえば、イギリスの法律が慣習法で 成文化されていないという事を学校で習った気がする。  (イギリスの慣習法については後述しています)  慣習法は何なのか。本を読んで、具体的な事を知った。
慣習法とは
社会の実戦的慣行を基礎とした法的拘束力のある不文法。

伝統、習慣、掟みたいな物。

 慣習法は不文法だ。
 成文法主義では、法源は成文法典のみになるため
慣習法は関係ないと思ったのだが、本には

 慣習法も補助的な役目を果たす

 と書かれていた。
 意外さを感じた。

制定法の補助的役目
(1) 制定法だと、地域ごとの古くからある様々な慣行を
踏まえた規則が困難
(2) 制定法では、変動の激しい社会の法的要求に
対応が困難。もしくはできない。

 実際、日本の法律で以下の条文がある。

法の適用に関する通則法3条
公の秩序又は善良の風俗に反しない慣習は
法令の規定により認められたもの又は
法令に規定されていない事項に関するものに限り
法律と同一の効力を有する。

 慣習法も一定の条件を満たせば法的効力があるとは知らなかった。

商習慣法

 本を読み進めると商習慣法があるという。  商法第1条第2項に書いてあるという。
商法第1条第2項
商事に関し、この法律に定めがない事項については商慣習に従い
商慣習がないときは、民法(明治二十九年法律第八十九号)の
定めるところによる。

 商取引で法律規定がない場合は

 商習慣が法的拘束力を持つ!

 を法律で謳っている。


 そして民法92条の条文の話もあった。

民法92条
法令中の公の秩序に関しない規定と異なる慣習がある場合において
法律行為の当事者がその慣習による意思を
有しているものと認められるときは、その慣習に従う。

 ところで・・・

 法律行為って何やねん?

 そこで「法律行為」の意味を調べてみた。

法律行為とは
法律行為とは、行為者が法律上の一定の効果を生じさせようと
意図して意思の表示(=意思表示)をおこない
意図したとおりに結果が生じる行為のことです。
(引用) 民法条文解説.com 法律行為

これだと何の事だか、わからん。
身近な例で当てはめると、スーパーで物を買う時
「買いたい」という意志表示としてレジへ行く。
この時、引渡請求権が発生する。
「法律行為」は「契約」と置き換えるとわかりやすい。

(わかりやすい解説)
法律行為とは

 そして、もう1度、民法92条を見てみる。

民法92条
法令中の公の秩序に関しない規定と異なる慣習がある場合において
法律行為の当事者がその慣習による意思を
有しているものと認められるときは、その慣習に従う。

 法律よりも慣習法が優先される

 という意味だ。

強行法規と任意法規

 本には強行法規と任意法規の違いも触れていた。
強行法規と任意法規の違い
強行法規 当事者の意思に関わりなく
それに優先して適用される法規

当事者の合意があっても法律に反していたら無効
(例)不当な労働契約があっても労働規準法で無効になる。
任意法規 当事者が異なる意思を見せない時のみ適用される。

法律よりも当事者同士の合意が優先される。

 ふと思った。

 著作権法は法律よりも契約が優先されている

 著作権者の承諾さえ得られれば、著作権法よりも優先されている。
 この時、初めて著作権法が任意法規である事に気づいた。
 著作権に関しては「システム奮闘記:その94」(著作権入門)をご覧下さい。


 他にも例がある。

 遺産目的で金持ちのバアサンと結婚しても悲劇なだけ

金持のバアサンと結婚しても遺産は貰えない
財産相続で配偶者に半分相続という法律規定があるが
あくまでも任意法規なので遺言が優先される。

遺産目的で資産家のバアサンと結婚して
バアサンに「キスして」と言われ、苦しみながらキスしたり
悪夢の夜のお相手をし、遺産のために散々、地獄を味わった後
バアサンが亡くなって、お目当ての遺産相続の際
配偶者には0円となった場合、悲劇としか言いようがない。

同じように遺産目的で金持ちのジイサンと結婚を考えている女性も
散々、相手をさせられて、遺産相続0円という事もあるので注意が必要だ

 遺産目的の結婚のリスクは横に置いておいて、
日常的な慣習法優先の具体例として

 家賃は先払い

 が挙げられる。

民法614条
賃料は、動産、建物及び宅地については毎月末に
その他の土地については毎年末に、支払わなければならない。
ただし、収穫の季節があるものについては
その季節の後に遅滞なく支払わなければならない。

 法律では家賃は後払い、慣習法では先払い

 になっているのだ。
 任意法規なので、慣習法が優先しても問題ないというのだ。


 任意法規の具体例をあげてみたが、身近な強行法規の具体例として

 強行法規の具体例は労働規準法

 が挙げられる。

ブラック企業は労働規準法違反
従業員を不当な待遇で酷使したりする
ブラック企業が問題になっている。

経営者が労働規準法が強行法規である事を知らない場合もあれば
従業員が知らない場合もある。

時々、掲示板などでブラック企業の問題に対して
「お互いの合意の上だから問題なし」の論調の書き込みがある。
その手の書き込みがあるのは、お互いの合意があっても
労働規準法の規定が優先される事を知らないと思われる

過労死や自殺にまで追い込む労働条件は
社会的正義と呼べるのか。人権が守られていると言えるのか。

不況と雇用の流動性が低い日本だと、転職は容易ではない。
従業員の弱味に付け込んだ経営陣は社会的制裁を受けるべきだと思う。


強行法規と任意法規の区別

 さて、強行法規と任意法規の区別だが本には載っていなかった。  その区別の方法について何も思わなかっただが この原稿を書いている時に  強行法規と任意法規の区別の方法は?  と思った。  そこで調べてみると民法91条に載っていた。
民法91条
法律行為の当事者が法令中の公の秩序に関しない規定と
異なる意思を表示したときは、その意思に従う。

 公の秩序に関しない法律規定は任意法規

 なのだ。

 そして強行法規の規定は民法90条にある。

民法90条
公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は
無効とする。

 公序良俗に反する行為は無効

 なのだ。

 ところで

 公序良俗とは何やねん?

 と思った。

 なんとなく意味はわかるが、しっかりと調べた事がない。
 そこで調べてみる事にした。

 すると「公の秩序又は善良な風俗」の略語だという。
 初めて知った。

公序良俗とは
「公の秩序」とは国家・社会の一般的な秩序。
「善良な風俗」とは、社会の一般的倫理だ。

主に以下の4つになる。
1. 人倫に反する行為(例:既婚者との婚約)
2. 正義の観念に反する行為(例:賭博行為)
3. 個人の自由を極度に制限する行為(例:芸娼妓契約)
4. 暴利行為(例:過度の違約金)

民法解説.com 民法90条

 公序良俗に反する行為は無効なのだ。

民法90条より以下の契約は無効になる
民法90条より売春契約は無効になる
上図のように、オッサンが美女に対して
「1000万円払うから一晩寝ない」と売春契約を持ちかける。
だが、一晩過ごしても、オッサンは支払いをしなかったので
美女が「契約不履行で訴えてやる」と主張しても
売春という公序良俗に反する契約行為なので
国が公序良俗に反する契約を認めるわけにいかないので
美女が訴えを起こしても、契約そのものが無効のため
泣き寝入り(?)になる。

だが、これを読んだエロ大好きオッサンは悪用しないように。
美女が仕返しに、怖いニイちゃんをつれてきて
大変な事になるかもしれないので。

 ところで公序良俗に反する契約は無効と同時に、
民法708条に、支払ったお金の返還請求もできないと明記されている。

民法708条
不法な原因のために給付をした者は、
その給付したものの返還を請求することができない。
ただし、不法な原因が受益者についてのみ存したときは
この限りでない。

 というわけで、以下のように、あくどい美女が訴えられない形で
オッサンからお金を巻き上げる方法ができる。

公序良俗に反する契約だと、契約が無効になっても
支払い者は返還請求できない
民法708条より、公序良俗に反する契約で支払った金は返還請求できない
美女がオッサンに対して「10万円前払いでくれたら、一晩寝てあげると
売春契約を持ちかける。
オッサンがエロ丸出しで、10万円前払いしたものの
美女は、オッサンと寝る事はなかった。

オッサンは「契約不履行だ。金返せ」といったとしても
民法708条により返還請求ができないのだ。オッサン泣き寝入り(?)

だが、これを読んだ美女は決して悪用しないように。
オッサンは仕返しとして、ネットの書き込みなどで
誹謗中傷攻撃に出る可能性はあるかもしれないので。

(民法708条の但し書きについて)
但し書きに以下の事が書かれている。
「不法な原因が受益者についてのみ存したときは、この限りでない。」
もし、上の事例の場合、不正原因は、オッサンを騙した美女になる。
そして受益者も美女になる。
そのため、オッサンが訴えた場合、場合によっては
返金命令が出るかもしれない。

 なぜ、公序良俗に反する契約は無効になったりするのか。
 理由は簡単だ。

 国が、そんな契約を支援するわけにいかないから

 なのだ。

 賭博、売春の契約など公序良俗に反する物でも、契約履行されるように
国が法的支援するのは、公序良俗に反する行為を助長してしまうからだ。

私的自治の原則

 強行法規と任意法規を調べているうちに、知った事だった。  民法の世界では「私的自治の原則」がある。  国が何でも統制するのではなく  私的な取り決めは当事者間で決めてね  という考えだ。
「私的自治の原則」と「任意法規」の考え方
民間活動、何でも法律で縛ると身動きがとれなくなる上
自由主義の社会で、国が民間活動を統制するのは問題になる。

そこで民間が円滑な自由な経済活動を行うためにも
取り決め事項に関しては当事者同士に任せ
当事者同士の合意を優先させるという考え方だ

だが、無茶苦茶な事が横行するのは問題なので
強行法規で規制をかけるという話なのだ。
労働者の人権を守る労働基準法が良い例だ。
だが、守られていないのが悲しい現実であり
法治国家ならぬ放置国家の実態だ。

 強行法規と任意法規。そして私的自治の原則。

 まとめてみると以下の通りだ。

自由な経済活動、民間活動を支える法律
私的自治の原則 自由主義の日本なので国が統制するのは問題。
民間の事は民間でやりなさいという考え。
任意法規 民法91条で規定。
円滑な民間活動のために、法律よりも当事者間の取り決めを
優先させても良い
慣習法 民法92条で規定。
法律よりも、古くからある慣習を優先させて良い
強行法規 民法90条で規定
自治を認めても、無茶苦茶な事を行うのは問題なので
円滑に物事を進める上でも、最低限守ってもらいたい規則は
守ってもらう。
力関係による不当な取り決めなどもあるから
いくら当事者間の同意があっても無効にする。


法律の分類

 本を読み進めると4つの分類があるという。
法の4つの分類
(1) 公法と私法
(2) 民事法と刑事法
(3) 実体法と手続法
(4) 国内法と国際法

 そこで1つ1つ見ていく事にした。

公法と私法

公法と私法の違い
公法 国家や公共団体の内部関係、及び、
国家や公共団体と私人との関係を規律する法律

憲法。行政法、民事訴訟法、刑法、刑事訴訟法
私法 私人間の関係を規律する法律

商法、民法


民事法と刑事法

 民事と刑事の違いは、よく聞く。  だが、具体的に、どういう違いがあるかは 漠然としかわかっていなかった。
民事法と刑事法の違い
民事法 私人間の関係を規律する法律

商法、民法、民事訴訟法
刑事法 国家の刑罰権の行使に関する法

刑法、刑事訴訟法

 民事と刑事は裁判の際に使われる区別だ。
 裁判での取扱いの違いは後述しています。


 こんな場合、民事と刑事を場合分けして扱っている。

車の運転手が信号無視して歩行者をはねて、重傷を負わせた場合
刑事 警察は刑法211条に基づいて運転手を検挙し
取り調べの後、検察に送致し、検察が起訴をして
刑事裁判で有罪が確定すれば、運転手に一定の
刑事罰が課せられる。
民事 被害者が加害者に対して治療費などの賠償請求を行う
手続きは全て被害者が自分で行わなくてはならない

 警察は罰則という刑事だけ担当し

 損害賠償という民事は当事者同士で行う

 そこには

 警察の民事不介入

 の原則があるからだ。
 もちろん、賠償責任は当事者同士の問題なので
国が関与する事ではないし、どうしても決着がつかなければ
司法の場で決めてもらうという形になる。


 刑事、民事と分ける事で問題点もある。

 刑事と民事では結果が逆になる事がある!

 刑事では被告が無罪になるが、民事では賠償請求が認められる場合だ。

 あとでわかった話だが、刑事と民事とでは裁判の進め方が
全く異なるため、異なる結果が出ても不思議ではない事だ。
 それについては後述しています。

実体法と手続法

 初めて聞く物だ。  そこで本を見てみる。
実体法と手続法の違い
実体法 法律の関係ないし権利義務関係の実質的内容を規定した法

商法、民法、刑法
手続法 法律関係ないし権利義務関係を実現するための
方法・手続きを規定する法。

民事訴訟法、刑事訴訟法などなど

 これだと抽象的でわかりにくいので
何か具体的な事がないか考えてみた。

具体例で比較してみると
実体法
(民法207条)
土地の所有権は、法令の制限内において
その土地の上下に及ぶ。

土地の所有(権利)の範囲規定
手続法
(民事訴訟法3条の3第2号)
手形又は小切手による金銭の支払の請求を目的とする訴え
手形又は小切手の支払地が日本国内にあるとき。

支払い請求で権利侵害された場合
裁判を起こせるという規定

 実体法は権利の範囲で、手続法は権利防衛や権利獲得のための
手続き方法を規定しているのだ。



 手続法でも、狭義と広義の分け方ができるという。

狭義と広義の手続法
狭義 民事訴訟法、刑事訴訟法、行政訴訟法
広義 戸籍法、不動産登記法など

 たしかに不動産登記法は

 不動産の権利を得るための手続きが明記

 されているから、手続法だというのが納得できる。

国内法と国際法

 国際法。  グローバル化が進む事で、色々な法的問題の処理において 重要性が増しているという。  国際法はどういう法なのか、過去と現在とでは 考え方が変わっている事が本に載っていた。
国際法の考え方:過去と現在との違い
過去 条約などの国家間の合意や国際間の慣習に基づき
もっぱら国家間の関係を規律する法
現在 過去の考え方に加え、国連などの国際組織や
個人に対する規律も含むようになっている

 国内法と国際法、どっちが優先するのか。
 本では憲法98条2項を紹介していた。

憲法98条2項
日本国が締結した条約及び確立された国際法規は
これを誠実に遵守することを必要とする

 本では

 国内法より国際法が優先するのが通説

 と書いていた。
 そして日本の最高法規の憲法と国際法では

 憲法優位説と条約優位説の両方ある

 国際法と国内法、とりわけ憲法との関係をどうするかが課題だという。


 ところでネットで検索していると憲法98条2項に対して
以下の突っ込みがネットであった。

憲法98条2項に対する突っ込み
日本国が締結した条約及び確立された国際法規は
これを誠実に遵守することを必要とする
突っ込みの内容
もし、国際法が優先すると言いたい場合
わざわざ青い部分の「誠実に」は不要だし
遵守するのであれば、「遵守する」で切る所だが
後ろに「ことを必要とする」がある。
そう考えると、よくわからん文章になっている。
憲法98条2項

 鋭い突っ込み

 だと思った。

 憲法が、よくわからん文章になっている理由なのだが
日本国憲法がマッカーサー草案を採用しているのだが
英語の草案自体がヘンテコな文章なのだ。
 それについては後述しています。

国際法と日本の歴史

 本には載っていないが、国際法といえば  坂本龍馬が日本で最初に活用した人物  なのだ。
いろは丸衝突事件の事後処理に国際法を活用した
1867年4月、坂本龍馬率いる海援隊の船・いろは丸と
徳川御三家の紀州藩の明光丸との衝突事件があった。
いろは丸が明光丸を避けようと左に舵を切ったが
明光丸が規則とは反対に右に舵を切り、衝突。
いろは丸は沈没してしまった。
坂本龍馬は、賠償請求などを行うのに万国法(国際法)の活用を提唱。
坂本龍馬が優位な立場になり、見事、賠償金をもらえたという。

 そのすぐ後、もう1人、国際法に強い人物が現れた。

 五稜郭の榎本武揚

 なのだ。

榎本武揚と国際法
幕府・海軍副総裁だった榎本武揚は、新政府軍に最後まで戦うべく
海軍を函館に集中させ、蝦夷共和国を作った。
この時、万国法(国際法)を活用した。
英仏に蝦夷共和国を認めさせたのだ。

ただ、不幸にも主力戦艦が座礁するなどし軍事力が削がれ
新政府軍に破れてしまう。

旧・幕府軍の敗戦が濃厚になった時、榎本武揚は
新政府軍の陸軍参謀の黒田清隆に万国法の本を渡している。
将来の日本に役立てて欲しいという理由からだった。

榎本武揚の行為に感激した黒田清隆は、榎本武揚が降伏した後
榎本武揚のような人物を処刑にするのはもったいないので
明治政府に入れるよう進言。

榎本武揚は、明治政府でも国際通が発揮され要職に就いた。


法の機能

 この本に出会う前は、法といえば  お上が決めた規則  で、人々の行動を規制する機能しかないと思っていた。  確かに、その側面があるが、本には以下の事が書いていた。
法の機能
(1) 規範的機能

どうあるべきか
(2) 社会的機能

どのようにすべきか

 これだと

 抽象的でわからん!!

 なので、本を読み進める事にした。

法の規範的機能

 法の規範的機能は4つに分類できるという。
法の4つの規範的機能
命令 違反行為者への制裁
人を殺したら最低でも5年ブタ箱へ行け!(刑法199条)
物を壊したなら弁償しろ(民法707条)
禁止 やってはいけない事の規準
20歳未満は酒・タバコをするな!
許容 自己、他人の権利を守るため禁止行為をした場合
夫の暴力に耐えかね、殴り返したりする事
授権 やって良い事。権利の取得
会社設立、店舗開設

 命令や禁止を見ると、お上が行動を縛っている感じがするが
授権を見ると、自分のやりたい事を認めてくれるので

 行動の肯定化!

 だと思った。


 法規範を別の3つの分類にできるという。

法規範の3つの分類
行動規範 社会生活において、やるべき事、守るべき事をさせる規範
裁判規範 裁判の規準になる規範。
刑法が良い例。
組織規範 各種の法関連機関の組織、権限や
その活動の規準・手続きなどを規定するもの
組織として、どうあるべきかの規定
憲法、国会法、内閣法、裁判所法などなど。

 規範という言葉。なんとなく意味はわかるが

 明確な意味を知らへん!

 そこで調べたみた。

「規範」の意味(gooの辞書)
行動や判断規準となる手本

 法律は社会生活を営む上でのお手本

 と表現すれば非常にわかりやすい

 未成年はタバコを吸うな、悪い事をしたら罰則がある。
 その一方で、やって良い事を示したりする。

 法律は、簡単な言葉を使う事で一気に身近に感じると思った。

法の社会的機能

 本では規範の次に機能面が書いていた。  そして本には  法学者でも意見が分かれている  だった。  そのため本では多くの法学者が一致している部分だけ書いていた。
法の社会的機能
社会統制機能 犯罪などの社会的に有害な逸脱行為を
罰則などの強制制裁で抑止や処罰をする事。

人々が一定の行動様式をとる事で
何らかの許可(承認)によって確保し
相互行為を安定化させる事
活動促進機能 各人の目標の実現促進、支援。

権利の行使と保護を目的。
民法や商法で、権利・義務・契約を規定する事で
安心して商売ができる。
紛争解決機能 紛争が起こった際、法の適用で解決
裁判所が行っている。
資源配分機能 適切な資源配分を行う上での法的支援

経済活動の規制、生活環境の整備。
教育、公衆衛生などの行政サービスにおける
富の分配やインフラ整備などの法的支援

 社会的統制、活動促進機能、紛争解決機能は
これも説明されなくてもわかる。

 最後の資源配分機能だが・・・

 資源配分機能は経済政策やん!!

 と思った。


 人・物・金は限られている。
 国や地域で効率良く使って最大値を出す学問が

 経済学

 なのだ。

 それを実務上において法的支援を行うのが

 法の資源配分機能

 のようだ。

 この時、経済学と法学とが結び付いている事に気づいた。
 ところで、この部分は経済政策において重要になっている。

 規制か規制緩和か

 の部分にも関わってくるからだ。

 産業保護のため規制をかけたり、反対に自由競争を促すため
規制を撤廃したりする。


 そして行政サービス充実や社会保障制度は

 富の分配

 に関わってくる。


 本で法学入門なので経済政策の話は触れてなかった。
 その代わり、国家の役目の比較が書いていた。

過去と現在の国家機能
近代国家 夜警国家と呼ばれる形態。
国防・治安・司法に限定していた。
現在国家 行政国家・積極国家と呼ばれる形態。
人々の社会経済生活に広範かつ
積極的に配慮・介入する

 ふと思い出した。

 夜警国家論だ!!

 学校の社会の授業で習ったのか、経済学の本に載っていたのかは
覚えていないが、国家の役割は最小限度にすべきという考え方だ。

 あとは市場が自律的に調整してくれるというのだ。
 誰が唱えたのか忘れたので調べてみると

 アダム・スミス

 だった。


 アダムスミスといえば「神の見えざる手」が有名だ。

 個々が利益を追求した結果、社会全体の利益になるという。
 その仕組みの事を「神の見えざる手」と言っている。
 そして国家の介入は最小限にとどめるべきだと主張している。


 ただ、夜警国家では解決できない事もある。

 公害対策

 なのだ。

 確かに私が生まれる前後(1973年前後)は公害訴訟が起こっていた。
 全て民に任せると、己の利益追求になり、費用のかかる公害対策は
置き去りになりやすい。

 そのため国家が公害対策のため積極介入する必要がある。


 規制緩和の問題点にも関連する。

 2000年代初頭、小泉改革で規制緩和が進んだ。
 「神の見えざる手」の考え方の自由化には良い面もあるが
問題点も出た。

 過当競争になると、なりふり構わない利益優先に陥りやすい。

 タクシーの自由化により、過当競争に陥り
タクシーの運転手の労働環境の悪化と、それによって引き起こされる
安全性の問題が浮き彫りになった。

 高速バスでも、事故が起こり、運転手の酷使が問題になった。

 利益のためなら違法行為が横行する

 という状態にまでなる。


 いかに適度な競争社会を保ちながら、利益と幸福の最大化。
 社会政策の問題点を考えてしまった。

日本の法の歴史

 本を読み進めると、日本の法の歴史が書いてあった。  でも、本では簡単にしか紹介していないので、自分で調べてみる事にした。  日本の古代の法律といえば・・・  聖徳太子の17条憲法  なのだ。  随と対等外交するために、国の形を作らねばならなかった事情があった。  だが、17条憲法は「国のあり方」を描いた物ではなく  役人の心構え  なのだ。
17条憲法の第8条
17条憲法を見ると、役人の心構えに見えてしまう。
その典型例が第8条なのだ。

役人は朝から遅くまでサボらずに働きなさい

私の友人・知人の公務員は、働きすぎる公務員ばかりだが
大阪市や京都市の清掃局などに巣食うサボり公務員
ヤミ専従などの税金泥棒がいるのも事実なので
今の日本にも必要な条文かもしれない。

 とはいえ、日本で最初の成文法なのだ。
 法律を制定する事で、近代化への一歩が進められた事になる。


 その後、大化の改新の後、大急ぎで日本の整備が始まった。
 その裏には、白村江の戦い、百済滅亡による
中国・朝鮮半島情勢の大きな変化があり

 近代化を進めないと日本が危ない

 という危機感だった。

 天武天皇、持統天皇が必死の形相で近代化を推し進めた結果
中国の律令制も採り入れる事になった。
 それが

 701年の大宝律令なのらー!!

 「律令」を調べてみると、以下の意味があった。

「律令」の意味
刑罰についての規定
政治・経済など一般行政についての規定

 以下のサイトを見て、古代日本の律令の導入の話が
わかりやすく書いていた。

大宝律令の内容
 
 中学で習った歴史がつながった!!

 25年前の社会科で習った事が、ここに来て役に立つ。

 行政を規定した「令」が最初に発達し、刑罰の「律」が

 だが、儒教思想の影響もあって

 為政者が徳で統治するのが理想

 だったので、

本当に「徳による統治」を目指していたのか?
法学入門には大宝律令ができても儒教思想の影響から
「為政者の徳による統治」が望ましいとされていたと書いている。

だが、本当に「徳による統治」を目指していたかと考えると
案外、そうでもないと思う。

「これは常識だろう」という同質性の幻想と
明文化したがらない日本の文化が原因かもしれない。


 鎌倉時代(1232年)に武士の慣習法をまとめた物で、武士の心得になる

 御成敗式目

 ができたりするが、武家社会以外には広がらなかった。


 私人間の取り決めや紛争解決は

 共同体内での話し合いで処理

 が続いた。


 慣習や話し合いによる紛争解決は行いうものの
成文化されなかったため、民法が発達しなかったと言われる。

 そして時代劇にも見られるように

 大岡裁き

 が好まれる状態だったというのだ。


 大岡越前の三方一両損が有名な話だ。

時代劇は刑事事件ばかり
遠山の金さん、暴れん坊将軍、水門黄門を見ていると
どれも刑事事件を扱った物で、民事の話題が見つからない。

もし、遠山の金さんで民事事件を扱った場合
どういう物語になるのか興味津々なのだが
民事事件だと共同体で話し合われるため
奉行である金さんの出番がないかもしれない。

そもそも刑事事件も大臣級の江戸町奉行が携わる事はなく
鬼平(長谷川平蔵)が努めた「火付盗賊改」が担当していた。

 江戸時代、民事事件が起こった場合、どんな紛争解決方法があったのか
結構、興味がある。


 ところで、本を読み進めていた時、江戸時代は民事事件について
内輪だけで解決し、民法や民事訴訟については発達していなかったと思っていた。

 だが、以下のサイトを見た。
 栄光総合法律事務所 江戸時代の民事事件

 公事方御定書は民事訴訟法だった

 1672年に制定されたものだ。

 考えてみれば、民事紛争はいつの世もある事だ。

 そして以下のサイトを見た。
日本社会史の現場からグローバルスタンダードを見る 

 江戸時代も民事訴訟は多かった

 あまりの訴訟の多さに、八代将軍・徳川吉宗が

 相対済令(話し合いで解決)

 を出したというのだ。

「相対済令」は武士を守る物だったとか
武士と町人との間の金銭問題が絶えず
町人が訴える事態が多発した。

幕府は「相対済令」を出した。
1対1だと身分の上の武士が優位になる事から
武士を守るための身勝手な命令だと思う。

江戸時代以前も、徳政令が出たりするなど
お金に関しては武士の踏み倒しが多いだけに
「武士道」という言葉が立派には思えなくなる。

 幕閣が絡む刑事事件なら徳川吉宗こと松平健が

 愚か者、余の顔を見忘れたか!

 で大暴れする。まさに暴れん坊将軍だった。

 閑話休題。


 もし話し合いで解決できない場合は

 「内済」と呼ばれる示談

 が行われた。

 民間で行われた示談だが、徹底的な証拠主義の下で
裁判形式で行われるという。


 今の最高裁に当たるのが江戸にある幕府の評定所だという。
 ここでようやく幕府の関与が入ってくるのだ。

 三段階になっているので、まるで

 三審制度を連想する

 のだ。

江戸時代の民事訴訟の順序
相対 話し合いで解決
内済 示談だが、証拠主義に基づいた物で
裁判に似ている。民間が行っていた。
評定所 幕府の機関で最高裁にあたる

 だが、色々調べてみると、こんな単純な物ではなかった。

江戸時代の裁判所 民事事件
江戸時代の裁判所 刑事事件

 身分制度などがあり、身分が異なる事で紛争解決法が
異なっていたりする。

 調べだしたらキリがない。
 もっと調べろという声に対しては

 歴史や法制史の専門家じゃないもん (^^)

 と軽くかわすのだ。


明治時代  明治になって、欧米列強に対抗すべく近代化を始めた。  そこで重要になる人物が  江藤新平なのだ!  明治初期の法整備の立役者という事だけは知っていたのだが 詳しい事は知らない。  そこで調べてみる事にしたら  佐賀地検のサイトに載っていた!  佐賀地方検察庁の歴史コーナ:江藤新平
検察といえば
泣く子も黙る東京地検特捜部を連想する事もあれば
名取裕子主演のドラマ「京都地検の女」もあれば
村木さん事件で、捏造をした大阪地検特捜部がある。

普段、縁がなく、近寄りがたいし、お世話になりたくい感じがするが
検察庁は、国民へ親しみをもってもらうために、各地検ごとに
マスコットキャラを作ったりしている。

名取裕子の名台詞

主婦の勘!

だと親しみが湧きそうだが、実際の事件を扱う際に
勘でやられたら、たまったもんじゃないだろう。

 江藤新平が司法省を提案し、明治5年に司法省を創設。自ら司法卿になった。
 司法卿とは、今でいう最高裁判所長官、法務大臣、国家公安委員長に当たる。

 行政から独立した全国統一の司法権の構築

 人民の権利を保護する

 を目的に司法制度確立に取り組んだ。


 他にも江藤新平の事を書いてあるサイトを発見した。
 維新の傑物 江藤新平
 歴史くらぶ 江藤新平

 だが、その後、江藤新平は失脚。
 そして佐賀の乱を指導した首謀者として逮捕された。
 江藤新平は写真付き指名手配の制度を作ったのだが

 自分が作った写真手配制度・第一号

 になってしまったという。

 そして江藤新平が禁じたはずの刑罰である

 晒し首

 になってしまった。

 そして興味深い本を発見した。

 教科書が語らない江藤新平の本の紹介サイト

佐賀の乱は大久保利通が仕掛けた罠だった
江藤新平の改革で、薩長の連中の反感を買っていたと言われる。
そのため江藤新平を失脚させたと言われる。佐賀の乱の遠因だ。

江藤新平の話を調べたら、面白そうだが、とても時間がないのだ。

 江藤新平の死後、同じ佐賀県人の大木喬任が司法卿になった。
 フランスから招いたお雇外国人・ボアソナードを中心にして
民法編纂事業を行った。

 同時に刑法もフランス法に基づいて作成作業が進められた。
明治13年にフランス法に基づいた刑法が制定された。



 だが、民法で採用されたのは

 ドイツ民法に基づいた物

 だった。

 日本の慣習に合わない、フランスの自然法の発想が合わないなどの
理由があるようだ。


 でも、思った。
 そもそも・・・

 フランス民法とドイツ民法は

 一体、何が違うねん!

 知ったかぶりをすると、すぐにメッキが剥がれるので
先にメッキを自分から剥すのだ。
 

 フランス民法とドイツ民法の違いを調べてみた。
 フランスと比較したドイツ民法の特徴


フランス民法とドイツ民法の違い
フランス民法 個人の自然権の確立を目的
特に個人の財産権を確定した。
ドイツ民法 共同体としての国家を個人の上位に置く
社会保険制度など国家による個人の生活保障も規定

 フランス民法は・・・

 個人主義の要素が強い

 ドイツ民法は

 全体主義の要素が強い!

 そう考えると納得できる。

 横ならび大好き、お上思想に染まった日本人にとって

 ドイツ民法の方が向いている

 となっても不思議ではない。


 ところでフランス民法の話で自然法と書いているが
そもそも・・・

 自然法って何やねん?

 調べてみると、哲学や倫理学で使われる事が多いようだ。
 そこで哲学の入門書を取り出してみた。

 ホッブスとロックの話が出てきた。
 そして、サイトでも調べてみた。

 ロックの政治思想:自然法と社会契約

 自然法が何かを知るためには、ホッブスとロックの考え方を
知る必要がある。

 2人の共通点は

 人間の自然状態を想定した後に

 社会契約によって国家・政府が形成される

 という考え方が根底にある。

 その上で、二人の考え方の違いは次のようになる。

ホッブスとロックの考え方の違い
ホッブス 自然状態にある人間は、それぞれ自分の利害を追求するため
利害の対立が起こり、果てしない人間同士の対立が続く。
ロック 自然状態であっても、人々は理性的な行動を行い
むやみに他人の権利を侵害しない。
自然状態でも共通の規範があり、人々は、それに従う。

その規範を「自然法」という。

 そしてホッブス、ロック共に国家の必要性を説くのだが
考え方が違うため、国家の必要性の理由も異なってくる。

国家の必要性:ホッブスとロックの違い
ホッブス 自然状態だと人々は無秩序になるため
国家という監督する機関の役目を果たし
人々は国家に絶対服従すべし。

契約は、国民同士での取り決めで行われる物。

この考え方の背景には
絶対王政を正当化するための論理
があると言われるが、異論もあるようだ。
ロック 自然状態でも理性的な行動ができるが
中には、理性的な行動ができない人達もいるので
安全確保のための機関として国家を設ける考えだ。

国民同士だけでなく、国家と国民との関係も
契約で結ばれているという考えだ。


ホッブスと異なり、国民は国家に対して絶対服従ではなく
国家と国民との間で契約が交わされ、契約を守らない国家に対して
民衆は抵抗権や革命権を持つという考え方。

 全く国家と国民との関係に関する考え方は異なるが
契約で物事の関係の取り決めを行う事から

 ホッブスもロックも社会契約論者

 であり、ホッブスは社会契約論の提唱者と言われている。

国家と国民の関係:日本と欧米の違い
日本人には法律はお上が決めた物という発想があるため
たとえ、国家や役所が法律を守らなくても
大きな反発にはならない。

だが、欧米では法律は「国家と国民の契約」という概念のため
国家・政府が法律を破ろうとしたら、大きな反発が起こる。
ロックの抵抗権・革命権の影響なのか、国家の契約違反に対しては
国民が猛反発を起こしても良い発想や、反発を起こす力を持っている。

明治初期、江戸時代の判例が法源だった

 ところで、明治初期、法律が整備されていない時の裁判で 奇妙な事が行われていたという。  江戸時代の判例は法源として認めたが  明治以降の判例は法源として認められなかった  江戸時代、評定所は将軍直轄の機関だったため、評定所の判断は 他の行政機関の判断よりも優先されていた。  明治になって、裁判機関の判断が、他の機関よりの判断よりも 優先される事はなかった。  そのためなのか、江戸時代の判例は法源として活用されたというのだ。  不思議な話だ。  福岡弁護士会 民事訴訟・執行・破談の近現代史
戦後、GHQの影響下で  戦後、GHQの占領下でアメリカ法の影響を受けた。  そのため、今までなかった
アメリカ法の影響
(1) 司法を行政から分離。司法の独立
(2) 違憲立法審査権。
(3) 最高裁判事の国民審査
(4) 最高裁における少数意見制度

 だが、形だけ取り入れただけなので

 司法強化になったとはいえない

 のだ。

 そのため最高裁判所が国会や行政に対して遠慮した判決や
逃げた判決が目立つのは、そのためだと思われる。



 そして最高裁判事の国民審査と言われても

 法律や司法の知識がなければ判断はできへん!

 そのため一部の人以外は、過去の最高裁判事の判決などを調べる事なく
白紙で出すか、全員バツにするか、適当にバツにするかになる。

 そして私も反省をしなければならないが、とんでもない人物が
最高裁判事になり、国民審査に通っている現実もある。

トンデモ人物が最高裁判事になっている
消えた年金事件の際、厚生労働省幹部であり
しかも社会保険庁長官時代に、社会保険庁職員の
横領事件を告発しなかった横尾和子氏だ。

身内をかばうため、違法行為に対して
法を適用を放棄した人物が、法を持って人を裁く
最高裁の判事に任命されたのだ。

国民審査でも落とされなかった。

常に国民が目を光らしていかねばならないという状態は
不可能であり、民主主義の限界を感じる。

 ところでアメリカの場合は、最高裁判事の国民審査がない。
 大統領が任命した上で、上院の承認を得る仕組みになっている。

アメリカの連邦最高裁判所判事の任命について
アメリカでは上院の助言の元で大統領が任命する。
そして上院の承認を得る形になる。

行政と立法府が共同で決める形になっている。
そのため政治色が強い任命になるのだが
国民の代表が決めているので間接的に国民審査になっている。

 日本の法の歴史を見ると、法学が近寄りがたい分野だと
思える理由が見えてくる。

 だって、ややこしすぎるもん (^^)

日本の法体系を木で表現すると
日本の法体系の概略
法の土台は「お上が決める」という中国法系。
明治時代に成文法主義のフランス・ドイツ法系が入ってきた。
戦後、GHQの影響により司法の強いアメリカ法が入ってきた。

だが、接ぎ木だらけの法体系なので、まともに機能するとは思えないし
その場しのぎで導入していったため、わかりにくい感じになっている。

 だが、継ぎ接ぎだらけの日本の法体系だが、案外、日本人気質によって
こんな事態を生んでいるのかもしれない。

複雑で奇妙で機能不全を起こしている日本の法律
(1) 「以心伝心」や「言わなくてもわかるだろう」で
明文化が苦手な国民性
(2) 舶来品大好きで、何も考えず
舶来品の外国の法系を、そのまま導入
(3) お上任せの国民性で、中国法系の
お上が作った規則から抜けきれない国民
(4) 自由が苦手で、細かく規定しないと安心できない
国民性。
(5) しかし、細かく法律を規定しすぎて、身動きがとれず
ガンジガラメの状態
(6) その割には、規定については曖昧な部分が多く
法治国家とは思えないぐらい、解釈が横行し
担当役人の主観で線引きしてしまう状態。
(7) 法律は社会を円滑に動かすための規則で
時代に合わせて変化させる物なのに
宗教の経典の如く、変えてはならない物と思い込み
社会の実態と法律が解離してしまう状態。
(8) 成文法主義なのに、裁判官の責任逃れから
過去の判例を踏襲する状態
(9) 司法の独立といいながら、なぁまぁが大好きな国民で
国会や行政に遠慮しすぎて独自性を発揮していない状態
(10) 法治国家と言いつつ、大岡裁きが大好きな国民性
(11) 難しい言葉や文章を使えば権威があると勘違いし
難解な法律文書になっている実態

難解な文章や語句の見直しに抵抗するのは
一部の弁護士達で文章の平易化によって既得権益を
奪われる事を恐れて、反対しているため

 とてもじゃないけど、救いようがないぐらい
無茶苦茶な状態になっている事を知ってしまった。


成文法主義と判例法主義の歴史

 起こりうる事象を想定した理性重視の成文法主義。  判例を積み重ねるというと経験重視の判例法主義。  もしかして  この対立は欧州の哲学の歴史かも  と思った。  こんな風に考えた。
近世ヨーロッパ哲学の対立と法源について
近世ヨーロッパ哲学の対立と法源について
フランスのデカルトをはじめとした合理論と
イギリスのロックをはじめとした経験論との対立があった。

合理論の強いフランス・ドイツでは、理性重視・演繹的発想で
成文法主義の考えになったと考えられる。

その一方、経験論が強い英国では判例法主義になったと考えられる。

(注意)
実は、ここで書いているのは、間違いです。
でも、私が間違えた発想を持った事を包み隠さず書くため
敢えて間違えた事を書きました。

 哲学の本を読めば、より踏み込んだ話が書けるのだが

 哲学まで勉強する余裕がないのらー!!

 上手に逃げたと思った。


 だが実際には・・・

 合理論や経験論とは関係ないのだ!!

 だった。

 この間違いに気づかなければ、大嘘を書く所だった。


 大嘘が書けないので、色々、調べる事にした。
 すると世界史を知らないと、話が書けない事がわかった。

成文法主義の歴史

 成文法主義の歴史を遡ると、古代ローマ時代にたどり着く。 ネットで探すと、以下のサイトを発見した。  古代ローマ史集 (すごい分量)  古代ローマ その16 ローマの文化とローマ法  だが、ネットだけの情報では断片的すぎる上、 高校時代、世界史を選択習っていないので、大まかな歴史の流れすら 全くわからない私。  そこで世界史の入門書、西洋法制史の入門書も用意した。
用意した入門書
(1) 「忘れてしまった高校の世界史を復習する本」
(中経出版:祝田 秀全)
(2) 「世界史図録 ヒストリカ」
(山川出版)
(3) 「概説 西洋法制史」
(ミネルヴァ書房:勝田有恒、森征一、山内進 編著)

 まずは古代ローマの事を調べていく事にした。


 古代ローマでは貴族が法律を非公開していた。

古代ローマの初期の段階
古代ローマの初期段階では貴族(支配者)が法を独占、非公開していた。
法や裁判は一種の権力の道具のため
特権階級しか公開されていなかった。

そのため特権階級に優位な恣意的な判決が出せるので
権力を保つ事ができた。

 だが、階級闘争が起こった。
 市民階級で豊かになった人たちがでてきて
特権階級に対抗できる人達が出てきたのだ。
 階級闘争の末、ローマ初の成文法が誕生した。

紀元前451年頃
ローマ初の成文法の十二表法が制定
貴族と市民との間の階級闘争の末
ローマ初の成文法の十二表法が制定

 でも、実態は、裁判過程の手続きは非公開だった。

裁判過程の手続きは非公開だった
裁判過程の手続きは非公開
裁判過程の手続きは非公開にする事で
貴族階級が自分達に都合の良い
恣意的な裁判が行う事で権力の温存を図った。

 ところで古代ローマの裁判は、法務官、審判人、法学者が
それぞれ役割分担をしながら行っていた。

裁判の仕組み
古代ローマ帝国の裁判の仕組み
原告が民事訴訟を起こす際、それが適正かどうか審査を行う。
必ずしも法務官は法律の専門家でないため
法学者の助言を受けていた。

 そして法務官は被告に対して裁判で争うのか確認を行う。

裁判の仕組み
古代ローマ帝国の裁判の仕組み
法務官は被告に対して訴えを認めるのか
それとも訴えを否定して裁判で争うのかの確認を行う。

 そして争う事になった場合、以下のようになる。

裁判の仕組み
古代ローマ帝国の裁判の仕組み
法務官は法学者の助言を受けながら裁判に必要な法律を
選び出し、審判人に提供する。

審判人は素人なのだが、どういうわけか素人の方が
正しい判決をするという理由で、そうなったようだ。
素人といっても、無作為に選ばれるのではなく
元老院が持っている審判人名簿の中から選ばれた人になるのだ。

 そして審理と判決は審判人が行う。

裁判の仕組み
古代ローマ帝国の裁判の仕組み
法務官は審理には立ち会わず、審判人だけで行い
そして判決を行う。

 ところでローマ市民向けには、前述した「十二表法」と呼ばれる
法律を適用していた。

 だが、ローマが拡大し、交易なども盛んになると
非ローマ市民に対して「十二表法」を適用するのに無理があった。

古代ローマの最盛期の頃の領土
古代ローマの最盛期の頃の領土
2世紀頃が最盛期で、地中海沿岸などはローマ領だった。
他民族との交易も盛んになるのは容易に想像できる。

 価値観の違う他民族同士の場合、ローマの常識が通じなかったり
交易が盛んになれば、それに伴い、商業上の紛争も起こったりする。

 そのため、ローマ市民以外に対しては外国係法務官は
制定法ではなく、各地の商慣習にある普遍性を調べたり
信義誠実、道徳規範などに基づいて裁判を行っていた。

 つまり・・・

 外国人には判例法主義

 だった。
 そして裁判を通じて

 法律を発見

 していったのだ。

古代ローマの万民法
古代ローマの万民法
各地の商習慣の普遍性、信義誠実、道徳規範などを
まとめたのが「万民法」と呼ばれる物だった。

諸外国人向けに作られた物のため、万人向けの内容で
柔軟性と実用性の高さから、ローマ市民の裁判にも
万民法が適用されるようになっていった。

 ところで法務官が発見した法律の事を

 名誉法

 というのだ。
 名誉法と呼ばれるのは、法務官が無給の名誉職だったのに由来する。


 万民法での裁判も、法務官が法学者の助言のもとで
裁判手続きを行い、審判人が判決を下した。

 ただ、裁判手続きにおいて大きな違いがあった。

 法律訴訟と方式書訴訟の違い

 だった。

法律訴訟の問題点
古代ローマ 法律訴訟の問題点
ローマ市民向けの市民法(十二表法)に基づいた裁判の場合
厳格・形式主義が採られた。
そのため十二表法の文言に沿った形で
言葉を用いる必要があった。

上図のように「樹木」の所を「木」と言っただけで
原告敗訴につながるという状態だった。

だが、どういうわけか、この方法に酔いしれたローマ市民は
とんでもない厳格さを支持したという。

 こんな方法だと外国人が言い違いによる敗訴が出るし
そもそも外国人に適用するのに無理があった。

 そこで外国人にも安心して裁判ができるように
方法書訴訟ができた。

方式書訴訟
古代ローマ 方法書訴訟
法務官は法学者の助言を受けながら裁判方法を
書面でまとめて審判人に渡した。
口頭陳述でなく書面で争点決定が行われた。

 ところで王政時代からあった諮問機関の元老院。

 共和制を敷いていたため、元老院の力が強かった。
 そのため元老院の決定も、法的拘束力を持っていた。


 元老院以外にも平民会(民会)があった。
 当初は立法権はなかったが、身分闘争の結果
 紀元前287年、ホルテンシウス法によって平民会の決議が
法的拘束力を持つようになった。

平民会(民会)の決議が法的拘束力を持つ
古代ローマの平民会
平民会はホルテンシウス法によって、元老院の意向に関係なく
法律の制定が可能になった。

 ところで法律は成文化されなかった。
 カエサルの時代辺りから制定法化の必要性が出てきたのだが
実行される事はなかった。


 ところで古代ローマ時代は、あまり刑法が発展しなかった。
 その理由だが

 刑事事件でさえ、民事として扱われた

 というのだ。
 そのため、殺人事件が発生しても、私人間(当事者間)の問題として
扱われたため、刑法が発達しなかったと言われる。


 ローマの共和制の法源は以下の4つになる。

古代ローマの法源(共和制時代)
(1) 市民法(十二表法)
(2) 万民法(名誉法)
(3) 元老院の決定
(4) 平民会議議決
(紀元前287年以降)
ただし、市民法は、次第に万民法にとって変わられた。


ローマ帝政時代


 カエサル以降、共和制から元首制になり、皇帝が登場し
帝政時代になると・・・

 皇帝の命令が法的拘束力を持つ

 ようになった。

「勅令」とは
法律の話を調べていくと「天皇の勅令」や「皇帝・国王の勅令」
という文言を見るようになった。

勅令の意味を調べてみると、皇帝や国王が発する
法的拘束力を持つ命令だ。
「皇帝の勅令」だけで「法的拘束力を持つ命令」という意味になる。

 そして無名の法学者だったガイウスが「法学提要」という
法学入門を書いた。

ガイウスの「法学提要」
ガイウスの「法学提要」
2世紀の無名の法学者・ガイウスが法学入門書「法学提要」を書いた。

人法、物法、訴訟法の3本柱の内容だったという。
後にローマ大全(529年)の編集や、古代ローマ法を研究する上での
重要な資料になったりしているだけでなく
フランス民法など、近代民法にも採用している国があり
現在の法律にも影響を与えているのだ。

 ところで共和制の終焉、帝政時代になったのだが
ハドリアヌス皇帝時代に法務官の判例をまとめた「永久告示録」が
西暦130年頃に完成した。

 だが、「永久」という名前が出ている通り
その後の・・・

 法務官による名誉法の生成が禁止

 になってしまい、法務官による法の発見がなくなった。
 そして法務官は元老院の意向に沿った事しか言わなくなった。


 そして裁判手続きにも大きな変化が出た。

 方法書訴訟から職権審理手続きへの移行

 だった。
 職権審理手続きは「特別審理手続き」とも呼ばれる。

 職権審理手続きは、現在の裁判形式に似た物になった。

職権審理手続き(特別審理手続き)
古代ローマの裁判 職権審理手続き(特別審理手続き)
原告・被告の召喚、法律の選定から判決まで
裁判官が行うようになった。
外部の法学者の助言を受けなくなった。

 裁判手続き変更に伴い、法学者が不要になったため

 法学を目指す人が激減

 だった。
 それ以来、ローマの法学が衰退していったのだ。

古代ローマの法源(帝政以降)
(1) 万民法
(2) 元老院の決定
(3) 平民会議議決
(4) 皇帝の勅令

ゲルマン民族とゲルマン法

 西暦375年、ゲルマン民族大移動が始まった。  アジア系のフン族がヨーロッパに押し寄せてきたため ゲルマン民族が追い出される形でローマ帝国の方に向かった。
ゲルマン民族の大移動
ゲルマン民族の大移動
アジア系の騎馬民族のフン族がヨーロッパに押し寄せたため
追い出される形で、ゲルマン民族の大移動が始まった。
ゲルマン民族大移動(神戸マンツーマン指導専門学院)

ちなみにハンガリー人はフン族の子孫とも言われる。
日本と同様「名字、名前」の順番な上、お尻に蒙古斑がある。
そのためか親日国という話がある。

 ローマ帝国とゲルマン民族との対立が激化。
 そんな折、西暦395年に古代ローマ帝国は東西に分裂した。

ローマ帝国が東西に分裂
395年、ローマ帝国が東西に分裂
ローマ帝国の弱体化、内部紛争、ゲルマンとの対立。
ついに395年にローマ帝国は東西に分裂した。

 そして西ローマ帝国はゲルマン民族の攻勢にやられ
476年、ついに滅んでしまった。

 ゲルマン人による王国が生まれた。

西ローマ帝国滅亡後のヨーロッパの地図
西ローマ帝国滅亡後のヨーロッパの地図
西ローマ帝国領だった場所に、東ゴード王国、西ゴード王国
フランク王国、ヴァルダン王国、ヘプターキという
ゲルマンの国が各地にできあがった。

この頃は、まだイスラム教は生まれていなかったため
アフリカ北部はイスラム文化圏ではなかった。

 ところでゲルマン人はローマ人を迫害せずに、ローマの高度な文明を活用した。
 その1つが

 慣習法の成文化

 だった。

 ただ、ローマ法と違い、あくまでも部族内の慣習のため
万民に適用できる法律ではなかった。

劣等感かもしれない
ローマ文明に比べて、ゲルマン諸国は遅れをとっていたため
ローマに対する劣等感があったと思われる。
そのためラテン語やキリスト教を重視したりする政策があった。

 ゲルマン法の中で一番ゲルマンの特徴が表れているのが
フランク王国の

 サリカ法典

 だったという。
 その特徴は・・・

 何でも金銭賠償で解決

 なのだ。

 盗みをしても、人を殺しても、賠償金で解決なのだ。
 ローマ法の刑罰では、罰金刑がないだけにゲルマン法の特徴だと言われる。

賠償金解決は平和目的なのか?
ゲルマンの伝統で「フェーデ」と呼ばれる復讐があった。
賠償金制度は、キリスト教の影響を受け、平和的紛争解決のため
金銭解決が用いられたという説がある。

だが、ゲルマンの伝統的な解決法でも金銭解決があった。
ただ、名誉を守るため高額の賠償金だったという。

どちらにしても平和解決への道になっていたと思われるが
賠償金が高額だった事と、裁判官に強制力がなかったため
フェーデが続いていたようだ。

 サリカ法典は、どの罪はいくらの賠償金かと明記されているので

 贖罪金のカタログ

 とも呼ばれるのだ。

ローマ法大全

 西ローマ帝国は滅んだが、東ローマ帝国は生きつづけた。  東ローマ帝国の事を  ビザンツ帝国  とも呼ぶ。  ゲルマン民族が法典化していく中、ローマ帝国復活を夢みた ユスティニアヌス皇帝が、西暦528年にローマ法の編纂を指示し 翌年の・・・  西暦529年、ローマ法大全が施行  された。
西暦529年、ローマ法大全が施行
ローマ法大全は1000年間の判例、議決、勅令を整理した物
十二表法以来、1000年かけて蓄積した法律、名誉法
平民会議決、元老院議決、勅令を整理し制定法化したのが
ローマ法大全になったといわれる。

 ところで、ローマ大全は、以下の4つで構成されている。

ローマ大全の構成
勅法彙纂 帝政時代初期からの勅令をまとめた物
学説彙纂 学者の見解をまとめた物
法学提要 法学入門者向けの教科書
ガイウスの「法学提要」の真似をし
名前までパクった。
新勅法 535年から565年の間の勅令。
勅令彙纂が完成した後に出た勅令集。

 ところで学説彙纂と法学提要には編纂方法に特徴がある。

編纂方法の特徴
学説彙纂 共通項でくくる編纂法を使っている。
この方式を「パンデクテン方式」と呼ぶ。
法学提要 人・物・法律行為の順番に編纂されている。

ガイウスの「法学提要」の
人法・物法・訴訟法という編集と
そっくりのようだ。

 学説彙編を見ると

 共通項で括るとは、どういう意味やねん

 なのだ。

 調べてみると、わかりやすい事を書いているサイトを発見。
 パンデクテン方式 春風秋霜

 数式で見立てると

 x(y(a+b+c)+z(d+e+f))

 となり、具体例を日本の民法で当てはめると

 総則(物権総則(所有権+制限物権+担保物権)+債権総則(債権各論+不法行為+事務管理))

 というのだ。

 まるで・・・

 因数分解やん!

 といっても、これだけだと、ピンと来ない。
 そこで調べてみると、わかりやすい例を挙げたサイトを発見。

 アンパンマンを「法律」にしてみる〜東大ロースクール入試問題解説


「パンデクテン」とは
「パンデクテン」とは「包括」という意味だ。
共通項で括る編纂方法が、まるでマトリョーシカのように
包括していく感じになるのだ。

 だが、大事業にも関わらず、ローマ法大全は、東ローマ帝国しか
効力を持たなかった。
 バシリウス皇が「バシリカ法典」の編纂を行い
892年にローマ法大全を捨てて、「バシリカ法典」を使うようになった。

 完全に・・・

 ローマ法大全は無視される存在

 になってしまった。

神聖ローマ帝国

 1070年にローマ法の写本が見つかり、ローマ法がヨーロッパに 広まっていくのだが、その前に、神聖ローマ帝国の話に触れないと その後の話が、わけがわからんようになる。  さて、ゲルマン法の話で、サリカ法典を作ったフランク王国があった。
フランク王国
フランク王国
カール大帝が有名なのだが、その話は省略

 カール大帝の息子でルートヴッヒ1世の死後・・・

 3人の子供の間で相続争いが激化

 が起こり、そして843年に

 ヴェルダン条約により3つに分裂

 したのだ。

ヴェルダン条約により3つに分裂
ヴェルダン条約により3つに分裂

 そしてメルセン条約(870年)によって、領土の境界の変更と共に
中部フランクは、イタリア王国という名称になった。

メルセン条約(870年)
メルセン条約(870年)
西フランク王国、イタリア王国、東フランク王国になった。
これによりフランス、ドイツ、イタリアの原型ができたとも言われる。

 そして西暦962年、東フラン王国のオットー1世がローマ教皇から
ローマ帝国の継承者として、ローマ皇帝の地位が与えられる。

 ローマ教皇とはローマ法王の事だが、詳しくは後述しています。

962年、神聖ローマ帝国誕生
神聖ローマ帝国の誕生
東フランク王国のオットー1世がローマ教皇より
ローマ帝国の継承者として皇帝の地位を与えられた。
それにより国名が「神聖ローマ帝国」になり、1806年まで続いた

ところでイタリア王国だが、963年から神聖ローマ帝国・皇帝が
イタリア王国の国王も兼任する事になった。

(ローマ帝国の継承者)
実はフランク王国分裂前の国王・カール大帝が継承者として
ローマ教皇から戴冠されたため、カール大帝の時代から
フランク王国はローマ帝国の継承者だったとも言われる。

 神聖ローマ帝国が誕生するのだが、教会と叙任権闘争が起こる。

 ところで・・・

 叙任って何?

 なので調べてみた。

叙任(じょにん)とは
平たくいえば「任命」の事だ。
実は、読み方まで知らなかった私だった。

 さて叙任権闘争とは以下の事だった。

叙任権闘争
叙任権闘争
神聖ローマ帝国内の教会の司教や修道院長の任命を
皇帝が行なうのか、ローマ教皇が行なうのかで
激しい闘争が繰り広げられていった。

 そんな中、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)から十字軍遠征の要請が
ローマ教皇に送られた。

ビザンツ帝国(東ローマ帝国)から十字軍遠征の要請
ビザンツ帝国(東ローマ帝国)から十字軍遠征の要請
ビザンツ帝国は、とても自国では防衛しきれないと判断。
そこで聖地・エルサレム奪還を名目に十字軍の遠征を要請。

丁度、叙任権闘争の最中だったローマ教皇は
自分が音頭をとってヨーロッパをまとめて十字軍を送れば
教皇の権威や力が増すと考え、1096年の十字軍遠征につながった。

 神聖ローマ帝国の建国、叙任権闘争で教皇と皇帝の対立。
 そして神聖ローマ帝国の皇帝とイタリア王国の国王が兼任。
 これらの話を知らないと、中世でのローマ法の研究の話が
わからんようになるので、説明したのだった。

 私自身、混乱したため、頭の整理のため、まとめてみたいのだった。

ローマ法の再生

 古代ローマ法がよみがえる時がやってきたのだ。

 10世紀後半あたりから農業生産性が向上し、人口が増えた。
 そして余剰作物は取引され、航海技術の発展と共に

 商業が栄えるようになってきた

 のだ。

 世界史の参考書を見ると、この時期にヨーロッパ各地で

 ギルド

 と呼ばれる商業組合が結成されていった。

 もちろん、商業が盛んになると交易も盛んになるため
円滑に取引ができるようにするため、各地の慣習法ではなく
普遍性の高い規則が求められる。

 そんな中、偶然にも1070年頃・・・

 ローマ法大全の写本が発見される

 このローマ法大全の解読を行ったのが、法学者・イルネリウスだ。
 イルネリウスは法学校の教師だった。

 ローマ法は、交易が盛んだったローマ時代に万人向けの法律として
発達したため、普遍性の高さがある。
 そして1000年間の積み重ねという歴史があるだけに内容も緻密で
まさに時代が求めていた法律だったのだ。

世界最古の大学:ボローニャ大学
世界最古のボローニャ大学は11世紀後半にできた大学だ。
その創始者はイルネリウスとも言われる。

彼の名声は高く、ヨーロッパ各地から法学を学びに来る学生は多く
ボローニャ大学が法学研究の中心になっていっただけだなく
ローマ法をヨーロッパ各地に広める事にもつながった。

 ボローニャに留学した学生が持ち帰ったローマ法の知識により
ヨーロッパ各地の法律がローマ法を基礎とする物になっていった。
(イングランドをのぞく)

 (参考サイト)
 六法ナビ 民法

当時、書物は貴重だった
グーテンベルグの活字印刷ができたのは1440年頃と言われる。
それまでは写本は、全て手書きだった。
そして製紙技術だが、蔡倫が西暦105年に製紙技術を考案したが
900年経った1070年頃のヨーロッパには伝わっていなかった。
そのため、羊の皮などを使っていたので貴重だった。
ヨーロッパに製紙技術が伝わったのは、12世紀半ば(1150年頃)
だと言われる。

そのためボローニャ大学に学びに来た学生は
今みたいにノートに書き留めるといった事ができず
頭に叩き込んだようだ。だが、人間の記憶はいい加減なため
各地に持ち帰った内容は、微妙に違っていたりする話がある。

それにしても製紙技術の伝播に1000年以上かかるとは驚きだ。
蔡倫が宦官(ニューハーフ)なのだが、キリスト教文明が
ニューハーフが開発した製紙技術を毛嫌いしたとは思えないが (笑)

ローマ法の註釈と註解

 ローマ法が発見されて、最初に行われた研究は註釈だった。  ところで「註釈」の字を見て読み方は「ちゅうしゃく」と読むのだが どういう意味なのか、わからん。  そこで調べてみたら  「註釈」と「注釈」は同じ  なのだ。  宛てている漢字が違うだけに過ぎない。 「註釈」の意味は漠然とはわかるのだが、物事をしっかり捉えるため 「註釈」の意味を調べてみた。
「註釈」とは (gooの国語辞典より引用)
語句の意味や用法を解説したり、補足的な説明を加えたりすること。
また、その説明。「専門用語を―する」「―書」

 要するに一言一句、
 どういう意味があるのか、どういう意図があるのかを分析し
それを書き出す作業だ。
 その目的は・・・

 法文に包み隠された立法者の意思の探求

 だった。


 当時、スコラ学を背景にローマ法の研究が行なわれたのだが

 スコラ学って何やねん!

 知ったかぶりをする前に、最初からメッキを剥す私。
 スコラ学を調べていると弁証法という言葉が出てきたが

 弁証法って何やねん!

 なのだ。

弁証法とは
古代ギリシャ時代からあった物事の探求法で
ある命題について、無矛盾点・対立軸を作り
その上で議論しあいながら真理に近づけていく方法だ。

 現在の欧米で自由に議論しながら物事を見出す方法があるが
古代ギリシャ時代に由来しているようだ。

 スコラ学を調べてみた。

スコラ学
スコラ(scholasticus)とはラテン語で学校の意味だ。
学問を指す言葉ではなく、学習方法を指す言葉だ。
英語で学校(school)も同じ所から由来している。

元々、キリスト教の学校で行なわれた学習方法で
丹念に、かつ批判的に聖書を読み、弁証法的に
議論しながら信仰を理解していこうという手法だ。

 ところで法学者はローマ法の事を次のように捉え方をしていた。

中世の法学者のローマ法の捉え方
中世の法学者のローマ法の捉え方
当時のスコラ学は、特徴的な権威と理性との微妙な調和の上に
成立するとされていた。

特徴的な権威は皇帝であり、法に理性を求めたのだった。

ローマ法大全を編纂したユスティニアヌス皇の発した言葉は
神によって皇帝が発した言葉と考え、ローマ法大全は
完全無欠と主張し、聖書と同様、絶対的真理として扱った。

 無理矢理でも皇帝の権威とローマ法の価値を高めたかったようだ。

勝手な推測だが
ローマ法大全を神が発した言葉として絶対真理とみなすのには
皇帝の権威を高める狙いがあったかもしれない。
丁度、叙任権闘争が行なわれていたため、古代ローマの継承者の
神聖ローマ帝国・皇帝の権威をあげるために、ローマ法が
利用されたかもしれない。

 都市化と交易の活発化により、色々な問題も発生する。
 実務上での法の活用が求められるようになり

 註解学派が登場した

 のだった。
 もちろん「註解」の意味がわからんので調べてみた。

「註解」とは (gooの国語辞典より引用)
文に注を加えて、その意味を説明すること。
また、その説明。注釈。「難解な語句を―する

 註釈は一言一句、意味を調べていくようだが、
註解は条文の意味全体を明らかにする作業のようだ。

 ようするに

 ローマ法の条文の解釈

 なのだ。

 高度化した都市生活や商業活動に適用できるよう
ローマ法の解釈方法を見出す必要があったのだ。

 註釈学派が作成した物に基づき、註解学が発展していった。


 ヨーロッパでのローマ法の広がりだが、地域差が大きい。
 フランス北部、イングランドでは慣習法が強いため
ローマ法が採り入れられる事はなかった。

 神聖ローマ帝国はローマ法を一番取り入れた所のようだ。

カノン法

 ローマ法と並んでヨーロッパの法に大きな影響を与えたのが カノン法と呼ばれる物で、中世カトリック教会が独自に発展させた法だという。  カノンには次の意味があるというのだ。
カノン(canon)の意味
ギリシャ語で「規則」や「規範」を意味する言葉だ。
のちに「神の命令」や「信仰の規則」や「道徳規範」という
意味が付いてきたという。

 カノンには主に次の種類がある。

カノン法(主な物)
(1) 聖書
(2) 公会議決議

公会議とは、キリスト教の教義を決める
最高会議の事だ。
(3) 教皇令
(4) 神父の言葉

 教皇令とあるが

 教皇って何やねん?

 高校時代、世界史は選択できなかった上、キリスト教徒でもない私。
 ローマ法王ならわかるが、ローマ教皇と言われても、ピンと来ない。
 そこで調べてみた。

 すると、カトリック中央協議会のサイトに書いていた。
 「ローマ法王」と「ローマ教皇」、どちらが正しい?  カトリック中央協議会

 どっちも同じ意味

 だという。
 ただ、カトリック教会の立場では「教皇」を使って欲しいという事だ。

法王は道鏡だけの地位?
将来、ローマ「法王」からローマ「教皇」に表現が変わった際
法王の地位だった人物は、道鏡だけかもしれない。
でも、道鏡だと、ありがたみはないなぁ・・・。

 さてさて、まずはキリスト教の歴史を辿ってみる事になった。

 キリスト教と古代ローマ帝国の関係だが
最初はキリスト教は迫害されていた。
 それでもキリスト教の信者が増えていった。

 だが、西暦313年、当時のローマの皇帝

 コンスタンティヌス1世のミラノ勅令

 により、ローマ帝国でキリスト教の信仰の自由が認められた。
 そして各地にキリスト教が広がっていた。


 西暦325年、ニケーアの公会議が開かれた。
 その時の決議が最初のカノン法になった。

 ニケーア公会議で決まったのは有名な「三位一体」なのだ。

「三位一体」を決めた重要な会議だった
「父と子と精霊の御名によって・・・」の有名な句がある。

一神教のキリスト教に、イエス・キリストの神格性を
どう説明するのか、初期のキリスト教は悩んでいた。

キリストの神格性を否定したアリウス派と、肯定する
アタナシウス派の間で激しい論争が繰り広げられた。
論争の結果、実は父である神、子であるイエス、精霊は
同じ物という理論づけ(?)を決めた会議であった。

世界史の窓 ニケーア公会議

 ところでニケーアとは、今でいうトルコのイスタンブールになる。
 当時はイスラム教がなかったので、キリスト教圏だった。


 その後も公会議や教会会議、教皇の言葉に神父の言葉などが
カノン法になった。

 そして、カノン法の整理統合が繰り返されてきた。
 色々あるようだ。

カノン法の整理統合の歴史
6世紀初頭 カノン法典(ディオニシアーナ)
802年 ハドリアヌス法典
9世紀 イシドールス集録
882年頃 アンセルムスに捧げられたカノン集録

 そして1140年頃、ボローニャ大学で神学と教会学を教えていた
修道士のグラティアヌスが世に送り出したのが

 グラティアヌス教令集

 だった。
 カノン法を統合、かつ体系化したのだった。


 さらにグレゴリウス9世によって、1234年に

 グレゴリウス9世教皇令集

 が公布された。

 法制史の本には書いていなかったのだが、世界史の参考書などを見ると
グレゴリウス9世は、別の事でも有名だという。

グレゴリウス9世について
グレゴリウス9世は100歳近くまで生きた長寿だった。
調べてみると、神聖ローマ帝国のフリードリヒ2世皇帝との確執が有名だ。
十字軍遠征に行かないフリードリヒ2世に対して、グレゴリウス9世は
「破門にする」と脅した。
そのため、仕方なく第五回・十字軍の遠征を行うが
軍内に病気が蔓延。皇帝自身も病気になって遠征を途中で断念した。

だが、グレゴリウス9世は「仮病」と決めつけ、破門にしてしまう。
渋々、遠征に出るが、やる気が起こらず。
そしてイスラムの王朝で親交のあったアルカミールとの間で
和平交渉が結ばれる。それに激怒した教皇は軍を送ったが
敢えなく撃退され、劣勢に立ったため、破門を撤回になった

という感じで、その後も色々あったようだ。
早過ぎた近代人 ・ 敵はローマ教皇なり

 この時は教会の権威は凄かった。
 教皇の「破門」宣言は

 お前はキリスト教として認めない!!

 という事なのだ。

 とは言うものの、叙任権闘争で教皇と神聖ローマ帝国・皇帝が
激しい権力闘争を行なっていたのだ。

 だが、その後、十字軍の遠征が思わしくなく
第7回十字軍(1270年)が最後になった。

 十字軍の遠征を提唱・推進していたローマ教皇の権威が
揺らぎ始めてきた。
 そんな中、1302年に

 アナーニ事件

 が起こった。

 フランス王、フィリップ8世がイングランドに攻めようと考え
 戦費調達のため教会財産に課税を考えた。

 時のローマ教皇・ボニファティヌス8世は課税禁止の命令を出すが
フィリップ8世は、それを批判する。
 そしてフィリップ8世を破門にしたのだが、なんと

 ローマ教皇を誘拐した

 のだった。
 教皇は助け出されたが、失意と怒りの中、3週間後に
亡くなってしまった。

 その後はフィリップ8世が自分の力を誇示する目的か
教皇をフランスのアヴィニヨンに住まわせた。
 完全にフランスの支配下になったローマ教皇。
 それが70年近く(1309年〜1377年)続いたので
この時代の事を

 教皇のバビロン捕囚

 とも呼ばれる。

ローマ教会の権威について
カノッサの屈辱(1077年)は、教皇によって破門され
国王が許しを請う事件があった。
だが、十字軍の遠征の失敗、フリードリヒ8世との対立
アニーナ事件に、教皇のバビロン捕囚。
その後のシスマによって、完全に権威が地に落ちた。
中世教会史25 教皇庁のバビロン捕囚と大分裂 政争の道具と堕した教皇庁

 完全に権威が失墜したローマ教会。
 偶然か必然かはわからないが、時を同じくして
カノン法に関する活動も行われなくなっていった。


 だいぶ後になり、グレゴリウス13世は1580年に

 カノン法大全

 が完成した。
 それから300年くらい、教会法として使われ続け
1918年に大改正され

 カトリック教会法典

 になった。

グレゴリウス13世の業績
グレゴリウス13世を調べると、グレゴリオ歴という暦の採用が
一番の業績というのを知った。現在、世界で採用されている暦だ

日本は明治5年(1872年)に、太陽暦に変更するという
太政官布告(第337号)が公布された。

ふと思い出したのが、大学時代に世話になった
イギリス文学の先生の言葉だった。
ユリウス歴からグレゴリオ歴に移行の際
各国、バラバラで行ったため、移行期の間の
ヨーロッパ史を見る時、どっちの暦かを見る必要があり
非常に手間だと言っていた。

 そしてグレゴリウス13世は・・・

 日本と、ゆかりのあった教皇!

 だった。
 天正少年使節団と公式謁見している

日本と、グレゴリウス13世の関係
調べてみると、日本と、ゆかりのあったローマ教皇だ。
イエズス会に日本布教の許可を与えただけでなく
天正少年使節団にも公式謁見している。
最初に日本人に出会ったローマ教皇だ。
天正少年使節団

 どんどん横道にそれていく。
 閑話休題。

 ところで、カノン法を用いて、実際に裁判も行われた。
 それが教会裁判だった。

通常の裁判所と教会裁判所が原告争奪合戦
通常の裁判所と教会裁判所が原告争奪合戦
カノン法は教会や聖職者に適用する法なのだが
一般の人からの訴えも引き受けた。
むしろ「世俗の裁判所は怠慢」と宣伝して
自分達の教会裁判へ来てもらうようにしていた。

裁判所による原告争奪戦によって、裁判を身近になった事で
問題は裁判所で解決という発想が生まれたという。

 カノン法が普及していく過程で、現在社会ではお馴染みの事が
ゲルマン民族に広がっていった。

 まずは結婚制度が挙げられる。

ゲルマン民族は一夫多妻制だった
ゲルマン民族は一夫多妻制だったが、カノン法により一夫一婦制に変化した
ゲルマン民族は一夫多妻制だった。イスラムと同じだ。
だが、キリスト教の価値観(?)のカノン法により
一夫一婦制になっていった。

 ふと思った。

 古代ローマでは一夫多妻だったのか?

 古代ローマ法には婚姻の規定があったのか?

 その辺りを調べてみる事にした。
 すると婚姻の規定の法律がローマ時代にあったのを知る。

ユリウス正式婚姻法
古代ローマには、帝政時代の初代皇帝・アウグスゥトスが発布した
「ユリウス正式婚姻法」がある。乳幼児死亡率が高かったため
少子化対策のため「産めよ、増やせよ」で、子供の多い家庭には
税制上の優遇などが行われた。

その理由には、結婚しなくても独身で人生が謳歌できるなど
現代の日本に似た状況だったという。

 だが、これだけでは一夫一婦制か一夫多妻制なのかは
わからない。
 こんな法律も作っていたのを知った。

ユリウス姦通罪・婚外交渉罪法
配偶者以外の異性と寝てはいけないという法律。

 だが、法律の内容を見ただけでは、不倫は罪というだけで
一夫一婦制か一夫多妻制なのかは、わからない。
 
 だが、調べていくにつれ、古代ギリシャが一夫一婦制で
その文化を引き継いだ古代ローマなので

 古代ローマは一夫一婦制だった

 のがわかった。

 でも、カエサルの女好きは有名な話だ。
 ただ、ユリウス正式婚姻法ができたのは、カエサル以降なので
乱れた男女の関係を正すための法律だというのは想像できる。

 だが、奇妙な習慣があったようだ。

 妻の交換

 だという。

 元・防衛省の審議官の太田氏のブログに書いてある。
 生殖・セックス・オルガスム(その5) 防衛省OB太田述正の日本はアメリカの属国だ。

 家と家との結び付きを強くするための習慣だったようだ。
 この辺りの話は調べだしたら、面白そうだが、キリがないので
古代ローマ時代の一夫一婦制の話は、この辺りにして。


 カノン法は教会が作った法なのだが、調べていくと
旧約聖書では一夫多妻制を認めているという記述を発見した。
 聖書の中で、なぜ神は二重結婚/一夫多妻を許されたのですか?

 この辺りの話も面白そうだ。

旧約聖書はツッコミ所が満載
イブは、アダムの肋骨でできた。クローンだ。
これを根拠にキリスト教はクローンを認めていると
言っても、不思議ではない。

ソドム・ゴモラの話でも、ロトが逃げ出した後
娘と禁断の行為を行ったため、キリスト教は
近親相姦を認めているとも言える。


 次に、財産相続の話だ。
 ゲルマンでは奥さんには相続権がなかった。
 だが、カノン法で奥さんにも相続権が認められた。

カノン法で妻への相続権が認められた
カノン法で奥さんにも相続権が認められた
ゲルマンの習慣では妻への相続権がなかった。
サリカ法典でも妻への相続は否定されていた。
カノン法で、それが認められるようになった。

ところで古代ローマ法で相続について調べてみると
夫の死後、奥さんへの相続は、一定条件を満たせば
相続権があった。

 そして商取引での等価取引だ。

等価取引
等価取引
カノン法では等価取引を定めた。
暴利を貪る事などを禁止したのだ。
利子についても、適正な利子の設定が求められた。

こんな法律ができたという事は、ゲルマンの慣習では
どんな取引だったのか、興味を持ってしまう。

(ローマ法では)
ローマ法でも価格のあり方、利子のあり方が記述されている。

 刑法の設定だ。
 ゲルマンの慣習では、復讐か賠償金で解決だった。

刑法と刑罰の設定
刑法と刑罰の設定
ゲルマンの慣習では復讐か賠償金での解決だったが
キリスト教の「悔い改めよ」の精神の発想から
罪を償う意味で、刑罰が導入された。

 そして裁判による刑事事件の決着だ。

刑事裁判の導入
刑事裁判に導入
2人以上の証人による証言や、刑事事件の捜査も導入された。
現在の刑事裁判に近い形になっている。

 だが、真実を追求するあまり

 自白させるためには拷問が必要

 になった。

自白のため拷問が行われた
自白のため拷問が行われた
現在では拷問は禁止(裏では横行していると聞くが)だ。
だが、当時は自白させるために拷問は必要という発想だった。

 ゲルマンの慣習では、被害者本人が復讐や賠償金請求をする
親告罪だったが、代理人による訴えを認める非親告罪になった。

非親告罪になった刑事裁判
非親告罪になった刑事裁判
被害者本人に代わって代理人による訴えを認めた。
これが、後に、本人の訴えの有無に関係なく
政府関係機関による刑事事件の捜査につながっていった。

 カノン法。
 教会の中で発展していっているのだが、ローマ文化やローマ法に
似ている部分があるのではないかと思った。

 ただ、カノン法がゲルマンの慣習や価値観とは大きく異なっていたため

 ゲルマンに多大な影響を与えた法

 になったと思った。


 ところでローマ法とカノン法。
 中世ヨーロッパでは、ローマ法とカノン法の博士を持っている人は

 両法博士

 と呼ばれ、発言力があったという。

普通法と条例

 ローマ法とカノン法が浸透していったヨーロッパ。  (フランス北部、イングランドをのぞく)  ところでローマ法の事を  普通法(ユス・コムーネ)  と呼ばれた。  商業が発達し、都市が発達すると、自治都市も出てくる。  自治都市は、独自の規則の条例を制定する。  ここで普通法と条例が相反する場合が出てくる。  普通法と条例をいかに調和させるか。  この時代の法学者の仕事だった。  法学者のバルトルスが調和に向けた仕事を行なった。
ローマ法に基づいて条例を認める
ローマ法の学説彙纂に「成文の法律が拘束力を有するのは
国民の同意に基づく」がある。
なので慣習も暗黙の了解があるから法的拘束力を持つ
と解釈しているのだ。

 苦し紛れの感じがするが、調和に必死だった事がうかがえる。

 そして、法の優先順位なのだが

 条例優先、条例がなければ、普通法

 になっている。

 そこもローマ法の考え方を使っている。

ローマ法に基づいて条例優先を決めている
ローマ法では市民法と万民法があった。
そこで市民法は条例、万民法は普通法と読みかえ
条例優先を説いた。

 今の日本では、憲法、制定法、条例の順番だけに
条例優先なのは意外な感じがした。

 苦し紛れの解釈だが、ローマ法の権威と自治都市の条例との
調和に苦心しているように思える

ルネサンス(人文主義)

 ルネサンス。キリスト教会の権威の縛りから解き放たれ 科学・芸術などが発展した時代だというのを学校で習ったのを覚えている。  14世紀から16世紀にヨーロッパで起こった現象だ。
ルネサンスとは
ルネサンスは「再生」を意味するフランス語で
人間性解放を目指す文化革新運動だ。

ギリシャ・ローマ時代の古典文化の再発見を通じて
人間らしい行き方を追求し、教会の権威から解放される事で
人間性の自由さの発揮、合理主義、現実主義になっていった時代だ。

 そんな中、ローマ法も例外ではなかった。
 そして、こんな声が出てきた。

 中世ローマ法は、本来の解釈ではない

 なのだ。
 1070年頃に、ローマ法の写本が見つかり、ローマ法の研究がされたが
当時は、ローマ法は皇帝が神に代わって口に発した言葉(勅令)であり
かつ、法に理性を求めたため、歪んだ解釈になっていたというのだ。
解釈であって、本来のローマ法の解釈ではないというのだ。

 しまいには16世半ばにフランスのオトマンが

 ローマ法は無用

 という発言まで飛び出した。

フランスとローマ法について
調べていくと、フランスでは各地の慣習法を重視し
慣習法の編纂・法典化に力を入れていただけでなく
神聖ローマ帝国との政治的対抗からローマ法を禁止にした話がある。

 ところでドイツではローマ法と人文主義が対立せず

 ローマ法導入の助けになった

 という。

ナポレオン法典 (フランス民法典)

 法学の勉強をしはじめた頃、facebookに法学の事に触れたら  ナポレオン法典を勉強したら良い  と助言してくださった方がいた。  西洋法制史を読む前に、ナポレオン法典を調べてみた。  ナポレオン法典とは コトバンク  フランスの現行民法で、1804年に公布された物で 1807年、ナポレオン自身が「ナポレオン法典」と名付けた事から 今でも通称、ナポレオン法典と呼ばれている。  ナポレオン自身も編纂に関わっている。  興味深い弁護士の方のブログを発見した。  弁護士作花知志のブログ ナポレオン法典と法解釈 フランスは日本と同様、弁護士の数が少ないという。  だが市民生活に支障がでないのは  フランス民法が非常に読みやすい  というのだ。  一般市民が容易に読めると、弁護士に相談する前に 自分で民法を読めば済む話だ。合理的だ。  そして  解釈を許さない  という発想の元で作られた民法だ。  ただ、解釈を認めない状態だと不都合が生じるため ナポレオンの死後、解釈を認めているが、完全性を目指した点で  合理主義と理性主義  を感じさせるのだ。  フランス民法の歴史が書いてあるサイトを発見  code napoleon  古くからフランス南部ではローマ法の影響を受け 成文法主義の地域で、北部は慣習法だったという。  王政になっても、その構図は変わらなかったが フランス革命後、新しい時代に対応した法律制定という流れになった。  ナポレオンが皇帝になり、社会が安定した時に  ナポレオン法典が世に出た  という歴史の流れがある。  ナポレオン法典は、ローマ法の影響を受けている。  それどころか  ローマ法の精神を近代に甦らせた物  と書いているサイトまであった。  民法典(1804.03 - 1804.03)  自然法思想の基づいたローマ法の形、近代に甦らせたのが ナポレオン法典というのだ。  そしてナポレオン法典は、ローマ法の法学提要の編纂法を踏襲して  人・物・法律行為  の順番で書かれているのが特徴だ。  ところでナポレオン法はヨーロッパ各地にひろがる。  その理由だが、ヨーロッパを席捲した  ナポレオン戦争  なのだ。  その時、ナポレオン民法が各地に伝わり ヨーロッパの多くの国の民法が、ナポレオン法典の影響を受けた。  そして江藤新平がフランスの法律を取り入れ 法整備を進めたため、日本の法律もフランスの法律や ナポレオン民法の影響を受けた。  ところで、ナポレオン法典を調べた時、実は中世ローマ法の事を 調べる前だった。
本当の事を書くと
西洋法制史の本を読んで、歴史を辿り、ようやくフランス民法に
たどり着いたような書き方をしているのだが
実の所、ローマ時代のローマ法形成の話だけ書いて
いきなりナポレオン法典の話を書く予定だったのだが
西洋法制史の本を読んでみると、省略する事ができない話が多く
勉強と編集の前後が逆になったりする事になった。

 そして、西洋法制史の本を読んだ後で、こんな疑問を持った。

 中世、近世フランスではローマ法に否定的だったのに

 ナポレオン法典はローマ法の考え方なのか?

 そこで、後から勉強した西洋法制史の知識が役に立った。


 フランス法の話では、自然法が出てくる。避けては通れない。
 そこで、再度、自然法を調べてみる事にした。

 時と場所を越えた人類普遍の法

 だという。
 だが、古代、中世、近代とでは捉え方が違うのだ。

自然法とは
古代 万物の永久不変の本質
中世 神の意思
近世・近代 人間の理性

 自然法を頭の片隅に入れた所で、フランス法の歴史を見てみた。

 まずは1454年、フランスの国王のシャルル7世が

 フランス北部の慣習法の編纂

 を命じたのだ。

 1510年、フランス北部の編纂が終わり、パリ慣習法と呼ばれた。
 そして改良が加えられ

 共通慣習法

 と呼ばれるものができた。

 ところでシャルル7世の時代のフランスはイングランドに占領されていた
時代でもあった。

ジャンヌダルクの時代でもあった
ジャンヌダルク時代のフランスとイングランドの地図
当時、北フランスはイングランドに占領されていた。
「フランスを救え」の神のお告げで立ち上がったジャンヌダルク。
この時代の女性だったとは知らなかった。

てっきりフランス革命の時の活躍したと思っていた。
世界史を習っていないと、こんな誤解をしてしまう例です

彼女がフランス軍を率いて破竹の勢いでイングランド軍を破る。
1429年にはシャルル7世の戴冠を実現させた。
だが、1430年、捕虜になったのだが、シャルル7世は
身代金を払わなかった。
そのままジャンヌダルクはルーアンでの宗教裁判で
火あぶりの刑を宣告。火あぶりにされてしまった。

百年戦争集結後、シャルル7世はジャンヌダルクの名誉回復の
やりなおし裁判を行ない、無罪が確定したものの
身代金をケチってジャンヌダルクを見殺しにした国王と
言われるようになった。

イングランドを破り、百年戦争を終結させた事から
シャルル7世は、勝利王とも呼ばれている。

 フランスの共通慣習法ができ、ローマ法ではなく共通慣習法が使われていた。

 16世紀の人文主義(ルネサンス)時代に、フランスでは
ローマ法に対する批判が生まれた。


 さて、17世紀後半、イングランドで啓蒙主義が起こった。
 18世紀になり、フランスが影響を受けた。

 啓蒙主義って何やねん?

 そこで調べてみた。

啓蒙主義とは
17世紀後半、イングランドで起こった考え方だ。
世の中の法則が、人間の理性によって認知可能という考えだ。
そして、「啓」(あき)らむと、「蒙」(くら)きの字の如く
大衆の無知に光を当てて、賢くしようという発想だ。

宗教や伝統という権威や非合理的な物から人間を解放し
人間の理性によって、よりよい社会を目指そうというのだ。

 つまり3つの要点が挙げられるのだ。

啓蒙思想の3つの要点
(1) 合理主義
(2) 実証主義
(3) 実践主義


 理性中心の考えで、近世の自然法の発想と同じだ。
 そんな中、1690年、イングランドでロックの社会契約論が登場する。

ロックの社会契約論(国家のあり方)
自然状態で、人はも理性的な行動ができるが
中には、理性的な行動ができない人達もいるので
安全確保のための機関として国家を設ける考えだ。

国民同士だけでなく、国家と国民との関係も
契約で結ばれているという考えだ。

国民は国家に対して絶対服従ではなく
国家と国民との間で契約が交わされ、契約を守らない国家に対して
民衆は抵抗権や革命権を持つという考え方。

 ロックの考え方は理性重視の啓蒙主義の考え方だ。
 もちろん、ロックの社会契約論はフランスにも伝わる。

 そして・・・

 人間が生まれながらに持っている権利

 という「人権」の発想が生まれた。
 それと同時に絶対王政に対する批判も生まれた。
 それはフランスの学者

 モンテスキュー

 なのだ。

 中学の社会の授業で、モンテスキューの「法の精神」というのを
覚えて以来、四半世紀ぶりに見た名前だ。

 フランスの思想家・哲学家であり、裁判官経験があるモンテスキューは
独裁体制を批判し、個人の政治的自由の確保を唱え、
権力の暴走を防ぐには

 立法・行政・司法の三権分立

 と唱えた。有名な言葉だ。

 そして既に立憲君主制を実現したイングランドを見て

 絶対王政反対、立憲君主制

 を唱えた。

 ところで「法の精神」は、40年かけて執筆・編集し
1748年に出された膨大な内容の書物だという。


 そしてモンテスキューは諸外国の政治システムを調べている。
 なんと・・・

 日本の事まで調べている!

 のだ。

 でも、あまり良い内容ではないらしい。

「法の精神」で日本の政治システムが紹介されているが
江戸幕府の事を専制独裁の典型例として挙げているようだ。
色々、ネットで調べてみたが、詳しい話は見つからなかった。
以下のサイトを発見した。
モンテスキューは日本の事をめちゃくちゃ悪く書いている

モンテスキュー1748年「法の精神」 第13章 日本の法の無力

 法の精神は、フランスの人権宣言やアメリカ合衆国憲法に
大きな影響を与えているという。

 だが、法の精神を読むだけの労力はないので・・・

 気が向けば読みます  (^^)


 そしてスイス生まれでフランスで活躍した

 ルソー

 が登場する。
 ルソーは「生まれながらにして人は平等」を唱え
1762年に出た社会契約論で

 国民主権、直接選挙

 を謳った。

 ルソーの社会契約論をわかりやすく翻訳したサイトがある。
 ルソーの『社会契約論』 第一巻

 普通にルソーの社会契約論を読んだら難解なのだが、
上のサイトでは、文章が難解な理由も書いているのだ。

 ルソーの人生を見ていると、紆余曲折な人生だ。
 本人は大変だろうが、第三者から見ると、面白い。
 貴族の夫人の恋人になって学問に励むとなっている。

 不倫じゃないのか!

 と思ったが、当時の貴族は、夫も妻も、それぞれ恋人がいるのが
普通だったようだ。なので不倫でも何でもなかったみたい。

 ルソーは音楽を志していた事もあり、日本でも有名な曲

 むすんで、ひらいて♪

 は、ルソーが作曲した曲だというのだ。
 

 ロック、モンテスキュー、ルソー。
 この三人の思想をまとめると

ロック、モンテスキュー、ルソーの考え
ロック 基本的人権の保障。
国家と国民との関係は契約
契約不履行の政府への国民の抵抗権、革命権。
モンテスキュー 三権分立、絶対王政反対。立憲君主制
ルソー 国民主権、直接選挙

 まさに思想的に現代の法治国家の準備が整った感じだ。


 そんな中、1788年、フランスは凶作に襲われた。
 食糧難と食糧高騰が起こったのだ。

フランス革命以前は庶民は虐げられていたのか?
食糧高騰で困り果てた庶民に対して
マリーアントワネットは「パンがなければケーキを食べたら」の
発言をして、民衆の怒りを買った逸話がある。
そして庶民が苦しんでいる間、ベルサイユで贅沢三昧と言われている。

だが、あるフランス留学経験者の話では、
フランス革命前の方が税率が低かった上、徴兵制もなく
案外、革命前の方が良かった事を教えてくれた。

真相はいかに?

ところでマリーアントワネットの「パンがなければ」の話は
ルソーとのやりとりで出てきた話らしいが、それも真偽はいかに?

 そしてフランス革命が起こった。
 まずは1789年7月14日の

 バスティーユ牢獄の襲撃

 だった。

 流血の大惨事になったが、民衆の力によって議会を動かし
そして1789年8月26日、フランス人権が宣言された。
 フランス人権宣言

 このサイトに掲載されている権利宣言(フランス憲法)の
日本語訳を見ると、まさに自然法と啓蒙思想にのっとった内容だ。

1791憲法に書かれた「権利宣言」
第1条 人は、自由、かつ、権利において平等なものとして生まれ、
生存する。社会的差別は、共同の利益に基づくものでなければ
設けられない。
第2条 すべての政治的結合の目的は、
人の、時効によって消滅することのない
自然的な諸権利の保全にある。
これらの諸権利とは、自由、所有、安全および圧制への抵抗である
第3条 すべての主権の淵源(えんげん=みなもと)は、
本質的に国民にある。いかなる団体も、いかなる個人も、
国民から明示的に発しない権威を行使することはできない。
第4条 自由とは、他人を害しないすべてのことをなしうることにある。
したがって、各人の自然的諸権利の行使は、
社会の他の構成員にこれらと同一の権利の享受を確保すること以外の
限界をもたない。これらの限界は、法律によってでなければ定められない。

 非常に読みやすい。
 啓蒙思想なだけに、誰にでもわかるような文章にしているのだ。

 そして第4条は、自由の定義で「他人の権利を侵害しない範囲の全ての行動」
となっている。

 日本の場合・・・

 自由=身勝手

 と履き違えた考えがある上、権利・義務関係を言うと

 左翼的思想

 に思われがちだ。
 だが、自由主義のフランスでは「自由の定義」を憲法で行なっている。
 見習う必要があると思う。


 当時の国王・ルイ16世は人権宣言を認めなかった。
 この時点では主権者は国王だったからだ。

 その年の10月、政治的混乱と不作による小麦やパンの高騰によって

 数千人のパリの主婦が武装蜂起

 オバさんパワーは大阪だけでなく、世界各国共通のようだ。
 ベルサイユ宮殿に押しかけ、ルイ16世やマリーアントワネットを
パリへつれていき、パリ市民の監視下に置いたのだ。

 ルイ16世は人権宣言を承認せざるえなかった。


 1791年6月、国王一家はマリーアントワネットの実家へ逃げるという

 ヴァレンヌ逃亡事件

 が起こる。
 だが、国境近くのヴァレンヌで国民に見つかり
パリに連れ戻される。

 その結果、国王支持者からも信頼を失ってしまう。
 1791年、憲法が制定された。フランス人権宣言が明記されている。
 そしてイングランド同様

 立憲君主制

 になった。

 それにしても、まだルイ16世が国王の地位は保っていた。
 それは、革命の波及を恐れたプロイセンとオーストリアが

 ピルニッツ宣言

 を行なったからだ。

ピルニッツ宣言とは
革命の波及を恐れたプロイセンとオーストリアが

ルイ16世の地位を保障しないと攻めるぞ

という脅しだ。

 そしてついにプロイセンがフランスを攻めてきたため
祖国非常事態宣言と共に、フランス全土から人が集まって

 義勇軍の結成

 された。
 この時、義勇軍が歌った「ラ・マルセイエーズ」が
フランスの国歌になったのだ。

 義勇軍がプロイセンを打ち負かした後、1792年8月
革命政府は王権を停止させ、国王一家をタンプル塔に幽閉した。
 そして・・・

 王政の停止と共和制の宣言

 になった。
 1791年にできた憲法は、わずか1年で役目を終えたのだった。


 そして1792年、国王一家を裁判にかけ、1793年1月

 ルイ16世、マリーアントワネットを処刑

 になった。


 だが、その後も混乱が続くフランス。
 1793年、ジャコバン派が政権を取るのだが、独裁政治を始め出す。
ロベスピエールという人物が権力を掌握すると、反対派を粛正。
 恐怖政治が始まる。

 諸外国からの干渉をはねのけるため、国民総動員を布告した。

 徴兵制

 だった。

民主主義と徴兵制
既に過去の話になってきているが、フランス
アメリカなどの民主主義国家では、以前は徴兵制があった。
みんなが政治参加の名の下、主権者たる国民は、
国を守るのも国民の義務という事で徴兵制が敷かれた。

だが近代戦になり、少人数での戦闘が可能になった事や
や武器使用の高度化で専門知識の要求される事などから
徴兵制が無意味になってきた事で、徴兵制が廃止されていった。

 恐怖政治を行なったロベスピエール率いるジャコバン派だが
まともな事もしている。

 植民地を含めた奴隷解放宣言

 なのだ。
 それにより黒人奴隷が解放されたのだ。

 リンカーンの黒人奴隷解放宣言が1862年1月1日なので
それよりも70年近く早かったのだ。

 土地改革で、GHQが日本で行なった小作農廃止と
小規模農地所有の農家の実現を目指したが、頓挫してしまったのがある。


 だが、恐怖政治に不満を持った反対派や市民達が立ち上がり
1794年7月

 テルミドール9日のクーデター

 が起こる。

 そして7月28日、ロベスピエール達が処刑された。

 その後、1795年に総裁政府が樹立されるものの
1799年に・・・

 ナポレオンによるクーデター

 が起こる。

 そして時代はナポレオンの時代になっていき
ナポレオン法典につながっていくのだ。

 そして徴兵制により軍隊の数をそろえる事ができたため

 破竹の勢いでヨーロッパを席巻

 それと共に、ナポレオン法典がヨーロッパに広がっていったのだ。
 徴兵制と遠征がフランス民法を広めたというだけに
なんとも血生臭い話だと思う。

三色旗の「博愛」は誤訳
1795年に制定されたフランス国旗の3色は
「自由・平等・博愛」といわれているが
「博愛」は完全に誤訳なのだ。
「フラテルニテ」という言葉だが、日本にない概念だ。

「フラテルニテ」とは、他者への尊重の意味だが
博愛みたいな、生易しい物ではない。
バスティーユ襲撃以来、革命、虐殺、恐怖政治などを体験し
血を流して、屍を乗り越えながらたどり着いた考えで
「異質な者であっても尊重する」という概念だ。

「俺とお前は違うが、殺し合いだけはやめよう」という発想だ。
「敵」であって「悪」ではない。
「話せばわかる」で同質性を求める日本人には理解しにくい発想だ。

この話は「世間さまが許さない」(岡本薫:ちくま新書)の
58ページで触れられています。

ドイツ法

 神聖ローマ帝国は、ローマ法を普通法として使いつづけた。  特にルネサンスの時代、フランスではローマ法を否定する動きになったが 神聖ローマ帝国では、ローマ法の促進になった。  だが、16世紀になり、神聖ローマ帝国内で大事件が起こった。  それは1517年に「95ヶ条の論題」で免罪符を批判した  ルターによる宗教改革  だった。  ルターは聖書をドイツ語に翻訳し、教会関係者だけが独占していた 聖書(神の声)を民衆に取り戻したのだ。  ルターの宗教改革に続けとばかりに、1524年には  ドイツ農民戦争勃発  だった。  農民戦争は、内部分裂と鎮圧によって鎮静化したものの 国内が混乱してしまった。  だが、宗教改革による混乱は続いた。  1618年からは宗教戦争が激化し、他国の参戦も加わった  30年戦争が勃発  になった。  1648年にウェストファリア条約で戦争を終わらせたのだが 神聖ローマ帝国はボロボロになった上、帝国内部は 諸候達が実質的に独立した形になり、帝国としては「死に体」になった。  そんな中、シュトリュクという法学者が  ローマ法とドイツ法の中間の道  を提唱した。  その際、条例優先理論を用いて、ドイツ固有法を優先させた。  だが、補助的とはいえ・・・  ローマ法は確固たる根拠を有する  法律だった。  条例の場合は、存在の証明から、内容の理性的妥当性などが問われ ローマ法を基盤とする社会だった。  1804年、隣のフランスではナポレオンが皇帝の座についた。  1806年、神聖ローマ帝国に攻めていき、神聖ローマ帝国が解体した。  神聖ローマ帝国の領土だったドイツ、オーストリアを始め プロイセンなどがフランス民法を採用した。  だが、ロシア遠征で敗北をキッカケにナポレオンの勢いはなくなり ついには1815年に皇帝の座を追われ、島流しになった。  1814年頃からナポレオンが席巻した地域の国境をどうするかで ウィーン会議が開かれるのだが、妥協点が見出せず。  だが、1815年に、話がまとまった。  今のドイツ領はプロイセンが治める事になった。  オーストリアではフランス民法を捨てて、独自の法典を作った。  ドイツでは  法典論争が勃発  だった。
法典論争
ティボー 1814年にドイツ統一法典を提唱
サヴァニー ティポーに反論する形で、1814年に
ゲルマン法の復活を提唱

 図式化すると以下のようになる。

ティポーとサヴァニーの法典論争
ティポーとサヴァニーの法典論争
ティポーは理性の法による完全無欠の法典を目指していた。
フランス法の長所を採り入れようとした。

その一方でサヴァニーは、法律と民族は一心同体であり
ドイツ民族たるもの、ゲルマン法を基本とした法典作りを
行なうべきだと主張した。

 ところでサヴァニーのような歴史を重視した立場の事を

 歴史法学派

 と呼ぶようになった。
 サヴァニーの行動は、啓蒙主義への挑戦とも言われる

 18世紀後半から19世紀前半にかけてヨーロッパでは
理性偏重、合理主義に対して

 主観や感受性を重視したロマン主義

 が広がっていた。
 その流れではないかとも言われているが、実際の所は
ロマン主義とサヴァニーの主張との関連性は否定的だ。


 法典論争はサヴァニーに軍配が上がったのだが
歴史法学派の間でも、法典をどうするかで意見が分かれていた。

歴史法学派でも意見が分かれていた
ロマニステン サヴァニーなどローマ法を研究する人達で
ローマ法の普遍性の部分に着目して、ローマ法の精神を研究し
そこから適用可能な物を見つけ出し、法原則を抽出する人達。

法典論争でゲルマン法を主張したサヴァニーが歴史法学派では
ローマ法を主張しているのが、腑に落ちない。
ゲルマニステン ドイツ固有の法律を研究する人達で
歴史研究に秀でていた。

 だが、軍配はロマニステンに上がった。
 その理由は・・・

 ゲルマン法は体系化できるほど法源がない

 だった。


 さて、実際にドイツ民法の編纂はどうだったのか。
 1806年に、神聖ローマ帝国が崩壊し、各諸候が統治する領土だけになり
事実上、バラバラになった。


 1871年、政治的統一を果たす。ドイツ帝国の成立だ。
 皇帝はプロイセンの国王・ヴィルヘルム1世になった。
 宰相は「鉄血宰相」と呼ばれたのビスマルクだった。

 ドイツ民法が成立したのは統一を果してから25年後の
1896年。施行されたのは1900年1月1日だ。
 ドイツ民法が決まるまで紆余曲折があったようだ。


 1874年にドイツ民法の編纂作業が開始される。

 1888年、第一草案完成

 14年かかっている。
 当時の時間感覚と、今とでは、かなり違うようだ。
 折角、第一草案ができたのだが、ギールケという人物が
草案に対して強く批判を行なった。

ギールケの批判
(1) ゲルマン法を無視するな!
(2) 民衆にもわかるような用語を使え!
(3) 弱者救済
都市と農村との差を考慮しろ!
(4) 雇用契約の自由への制限をしろ!
(簡単にクビ切りをさせるな)

 図式化すると以下のようになる。

ギーケルの批判
ギーケルの批判
ギーケルはローマ法の色彩が強く、難解な用語を使った
資本主義的で個人主義的な内容の
ドイツ民法・第一草案に対して強く批判をしたのだ。

社会主義的な感じがするが、そうではなく権利が個人だけでなく
社会全体の福祉と合致しなければならないという発想で
ゲルマン法の発想だという。
ゲルマンの全体主義的な民族性かもしれない。

 そして草案の練り直しになり、1896年に第二草案ができる。
 ギーケルの意見が採り入れられた物になった。
 雇用契約について踏み込んだ内容になった。

 ようやくドイツ民法がまとまり、1900年にめでたく施行になった。

明治時代、日本の民法

 明治時代、日本が民法を制定する際、江藤新平は フランス法を取り入れようとしたが、江藤新平は処刑されるし フランス法が日本に合わないという事で、ドイツ法が取り入れられた。  そのため、日本の民法の編纂方法もパンデクテン方式なのだ。  実際、日本の民法を見ると以下のような並びになっている。  総則(物権総則(所有権+制限物権+担保物権)+債権総則(債権各論+不法行為+事務管理))  歴史を知る事で、法律の仕組みがわかりやすくなるのだ。  ドイツ法を取り入れたのだが、そのドイツ法はローマ法を 取り入れているため  日本の民法もローマ法の影響が強い  というのだ。  実際、日本の民法で危険負担、財産法はローマ法に由来しているし もっと身近な話だと  保証期間内だと不良品は返品できる  もローマ法なのだ。  ローマ帝国の遺産: ヨーロッパの法制度に影響を与え続けるローマ法  それにしても成文法主義のヨーロッパの歴史を調べるのは めちゃくちゃ疲れる・・・。

判例法主義の歴史

 判例法主義は英国で発達した物だ。  イギリスを見る場合、イングランド、スコットランド 北アイルランド、ウェールズを分けて考える必要がある。  今でもイギリスの法律は3つに分かれている。
イギリスの4つ地区の法律
イングランド法 イングランドとウェールズが採用

10世紀まではウェールズ法があったが
11世紀にノルマン人によるウェールズ征服以降は
イングランド法が採用されはじめ、今に至る。
スコットランド法 スコットランドが採用
北アイルランド法 北アイルランドが採用
英国王室領について
英国王室にはイギリス国外に王室領がある。
ジャージ諸島などで、その地域はイギリスには属さない。
そして独自の憲法や法律がある。
その地域の法律については調べる気がないので割愛します。

 調べていくと、カエサルの時代、ローマ帝国が
イングランドとウェールズを属州にしたのだが
ある本やネットでは

 イギリスはローマ法の影響を受けなかった

 と書いてある。

 どういう事なのか。属州では高度な自治が認められていたのか。


 色々、調べてみたのだが・・・

 わからへんかった (^^)

 で勝手に挫折する。
 高校時代、世界史を選択できなかった(当時の母校の制度)ため
世界史の知識も全くなく、突貫工事で調べているのが実態なのだ。


 ローマ時代の話をすっとばして、イングランド(イギリス)の
法律の歴史から調べてみる事にした。

 こんなサイトがあった。
 簡単法律文書功罪 第十一回 英米法のお話(1)

 1066年に北フランスのノルマンディー公のウィリアム1世(征服王)が
イングランドを征服した時に遡る。

 そしてノルマン人がゲルマン人の地・イングランドを統治するに当たり
ゲルマンの慣習を尊重する事になった。

 そのため以下の裁判形式が生まれる事になった。

イングランドは判例法主義
イングランドは判例法主義
国王裁判所が伝統、慣習、過去の判例から判決を下していた。
国王が主宰した事から「国王裁判所」と呼ばれる。

これがイングランドの判例法主義の原型になった。

 そして慣習や伝統などを照らし合わせて判決を積み重ねて
できていった法の事を

 コモンロー(common law)と言う

 のだ。

イングランドでの法律の形成と発展
イングランドでの法律の形成
慣習・伝統・過去の判例が積み重なって法律が形成されていった。
これらの法は人為的な物でなく、長年の伝統・慣習といった
人々の意思や摂理、自然な考え方に依る物のため
コモンロー(common law)と呼ばれる。

コモンローがイギリスの憲法になった
イングランドでの判例法主義の考え方は
裁判によって「慣習・伝統に含まれる規則の発見」なのだ。

 カタカナが好きでない私だが、ここではカタカナを使わざる得ない。

コモンローの表記について
コモンロー(common law)には「一般法」や「普通法」という訳がある。
カタカナを極力使いたくない私だが、日本語訳だと、しっくりこない。
そのため不本意(?)ながらコモンローと表記します。

 そして12世紀、ヘンリー2世になった時、イングランド各地に
国王裁判所の判事を派遣する事にした。

 これを巡回裁判制と言われる。

巡回裁判制
イングランド各地にあった国王裁判所
イングランド各地に国王裁判所を設けた。
諸候・領主(バロン)や教会が持っていた裁判権を奪う狙いがあった。

その土地の慣習をコモン・ロー(common law)に取り入れたり
コモン・ローをイングランド各地にひろめる役目を果たした。
これにより統一的な裁判が行われるようになった。

 そして1216年にジョン王によってイギリス憲章(マグナ・カルタ)が
制定される。

 王の権限を縛った法律なのだ。
 だが、その経緯は、崇高な物とは程遠く、人間味溢れる物だ。

マグナカルタ(イギリス大憲章)の経緯
マグナカルタ(イギリス大憲章)の経緯
マグナカルタとは国王の権限を制限した法律だ。
13世紀に国王を法で縛るという進歩的に思えるが物だが
実際は、そんな崇高な物ではない。

ジョン王がフランスにある領土を巡ってフランス王と戦争し敗北した。
それにも関わらず、再度、戦争をしかけて、敗北した。
フランスにあった領土はなくなる上、戦費負担を強いられた諸候達は
ジョン王の廃位か処刑を要求しだした。

ジョン王は己の保身のため「王権の制約」を制定し

許してチョンマゲ

で事態の収拾をはかった。

これが「国王といえども神と法の下にある」につながった。

 だが、マグナカルタは長続きしなかった。
 ジョン王の息子・ヘンリー3世は、たびたび守らなかったので
何度も守るよう確認されたという。
 修正を行ったりで、最終版が1225年に出た。

 だが、中世では、ほとんど無視される存在にまでなってしまった。


 400年後の、17世紀に国王の権限を縛る考えが復活する。

 以下のサイトに大法官のエドワード・コークの話が書いていた。
 保守思想入門(2) エドワード・コークのお話

 図にすると、次のようになる。

昔のヨーロッパでの国王と法律の関係
昔のヨーロッパでの国王と法律の関係
国王が自由に法律を決めたりするため
国王は法の上位の存在だった。

 ところで1600年(関が原の合戦)、イングランドは女王・エリザベス1世
スコットランドではジェームス1世が国王だった。

1600年のイギリスの国王
1600年のイギリスの国王
スコットランドはジェームス1世。
イングランドはエリザベス1世(女王)だった。

(注意)
スコットランドの国王としてはジェームス6世が正しいが
なぜ、1世にしているかは、すぐ後に書いています。

 だが、1603年、エリザベス1世が亡くなり、イングランド王室には
王位継承者がいなくなった。

1603年、ジェームス1世が両国の国王を兼ねる
1603年、ジェームス1世が両国の国王を兼ねる
日本では江戸幕府が成立した時、イングランド王室では
王位継承者がいないため、遠縁だったスコットランド国王の
ジェームス1世がイングランド国王を兼ねる事になった。

イングランド国王としては「ジェームス」は
初めてなので1世と呼んでいる。

 ところがジェームス1世は、イングランドの慣習や政治など
全く知らなかった。

国王だがイングランドの事を知らなかった
ジェームス1世はイングランド国王だが、イングランドの慣習や政治などを知らなかった
スコットランド出身のジェームス1世は、イングランドの 慣習、政治、法などを知らなかった。

 その上、王権神授説を唱えていた。

ジェームス1世は王権神授説を唱えていた
ジェームス1世は王権神授説を唱えていた
王権神授説とは、国王の権限は神から付与された物で
絶対的な物だという考え方。絶対王制を正当化したものだ。

ジェームス1世もイングランドで唱えた。

 だが、よそから来た国王のやり方に不満がたまっていった。
 そこで法律家で政治家のエドワード・コークがジェームス1世に諌言したのだ。

エドワード・コックがジェームス1世に諌言
エドワード・コックがジェームス1世に諌言
エドワード・コークがジェームス1世に対して
「国王といえども、神と法の下にある」と諌言した。

ジェームス1世はイングランドの慣習なら仕方ないという事で
コークの諌言に従う事にした。

(注釈)
「国王といえども、神と法の下にある」は13世紀のイングランドの
ローマ法学者・グラクトンの言葉だ。
彼は暴君が法を無視した行動を批判した時に発した
名言になっている。

 そしてイングランドでは法の支配が始まった。

法の支配(国王といえども法の下)
法の支配 国王といえども法の下
国王も法の支配下にあり、法の従う事になった。
そのため、自分勝手に法律を作れなくなった。

 コークの行った事は、それだけではなかった。
 違憲立法審査権の土台を作った功績もある。

コモンローに反する制定法は認められない
コモンローに反する制定法は認められない
コークはコモンローに反する制定法を認めないという
違憲立法審査権の土台を唱えた。

 実際、医師ボナム事件の際、裁判官として実行した。

医師ボナム事件
医師ボナム事件
ロンドンの医師・医師ボナムの関する事件だ。
英王立医師会に一定の処罰権限を認めるヘンリー8世の開封勅許状と
それを確認するという2つの法律に反する事か、不正開業の罪で
ボナムは罰金、投獄された。
コークは、この2つの法律はコモンローに反する事から
法律の無効判決を行った。

 この判例が、アメリカで違憲立法審査権ができるキッカケになった。

エクイティ(equity:衡平法)

 イングランドにはコモンロー(common law)以外にも エクイエィ(equity:衡平法)と呼ばれる物がある。  コモンローでは解決できない場合に、エクイティが使われるという。  調べてみると・・・  コモンローは金銭での問題解決  だという。  だが、金銭では解決できない問題は世の中には沢山ある。
金銭では解決できない問題
(1) 思い出の品が奪われ、返して欲しい時
(2) 自社の製品を模倣製造・販売されたので
相手に対して製造停止を求めたい時
(3) 自分の店先で、同じ商品を売って
営業妨害している相手に対して
営業停止処分をして欲しい時
(4) 騒音がひどい工場に対して
操業停止を求めたい時

 挙げたらキリがないが、金銭で解決できない問題は沢山ある。
 その場合、コモンローでは対応できない。


 そこでコモンローでは救済できない人達を救済するために、
15世紀にできたのが、エクイティ(衡平法)だ。

 その役目をになったのが国王の側近の大法官が管轄する
大法官裁判所(のちのエクイティ裁判所)になった。
 大法官については後述しています。


 現在では裁判所は統合されて、同じ裁判所で

 コモンローもエクイティの両方を扱う

 事になっている。

equity:エクイティとは
英和辞典で「equity」調べると「公正」や「公平」の意味だ。
そこから派生して、コモンローを補う「equity」になってと思われる


 ところで金銭解決しかできないコモンローだが
成文法の歴史の所で触れたが、ゲルマンの慣習や
フランク王国のサリカ法典も賠償金解決になっている。

 コモンローはゲルマンの流れを汲む物かと思ったりする。

立憲君主制

 辞書で調べると、こういう意味だ。
立憲君主制
君主の権力が憲法によって規制されている制度。
具体例として、日本の天皇、イギリス国王(女王)
タイの国王が挙げられる。

 最初に立憲君主制を導入したのもイングランドだ。
 13世紀のマグナカルタ、17世紀のコークの諌言。

 その後も国王が「国王といえども神と法の下」を破っていた。

 チャールズ1世の時、議会と対立激化した。

チャールズ1世の時、議会と対立激化
その結果、清教徒革命が起こった
チャールズ1世の時、議会と対立激化
チャールズ1世と議会が対立した。そして国民の不満も爆発。
1641年、清教徒達が中心に立ち上がり内戦勃発
そのため清教徒革命(ピューリタン革命)と呼ばれる。

 国王派と議会派との内戦になったが、議会派が勝った。
 その時の議会派の指導者はクロムウェルだった。

チャールズ1世は処刑される
チャールズ1世は処刑される
国王が処刑という日本では考えにくい話なのだがギロチンになった
そして清教徒革命で指導的立場になったクロムウェルが指導者になった。

 だが、クロムウェルの独裁政治が始まった。

クロムウェルの独裁政治が始まった
クロムウェルの独裁が始まった
イングランドで王政を倒し、共和制を実現させたクロムウェル。
だが、独裁政治を敷いたため人々から反感を買ってしまった。

 国王の政治の方がマシ

 という事で、1658年にクロムウェルの死後、王政復古という事で
1660年、チャールズ1世の息子・ジェームス2世に王権が渡された。

1660年、王政復古。ジェームス2世に王権が渡された
ジェームス2世に王権が渡された
チャールズ1世の息子、ジェームス2世が国王になった。

 だが、歴史は繰り返す。

 ジェームス2世も好き放題した

 のだった。

 またもや国王と議会が激しく対立した。

1688年の名誉革命:ジェームス2世は追放された
名誉革命:ジェームス2世は追放された
議会は国王の親戚でオランダ総督のウィリアム3世に派兵を要請。
それに怯えた上、誰からも、ソッポ向かれたジェームス2世は亡命
事実上、追放された形だ。

多少の流血はあったものの、ほとんど平和裡に進んだため
名誉革命と言われているのだ。

 新しい国王としてメアリ2世(ジェームス2世の娘)を女王にしようとしたが
ウィリアム1世が

 俺もイングランド王家の血を引いている

 といって、国王の地位を要求した。

ウィリアム3世とメアリ2世の共同統治になった
ウィリアム3世とメアリ2世の共同統治になった
共同王としての統治になったのだ。
議会は2人に対して「権利の宣言」をさせた。
「国王の権利の制限」を受け入れる宣言だ。

 そして「権利の宣言」を明文化したのが、1689年の

 権利の憲章

 なのだ。
 これが

 国王は君臨すれど統治せず

 の始まりになった。

立憲君主制と日本の天皇について
古代天皇は権力・権威の両方を備えていた。
だが、律令時代(8世紀)から権威だけの存在になった。
(後醍醐天皇は例外だが)
国民の安寧を願う司祭王(権威)という存在になった。

「君臨すれど統治せず」は日本の天皇が最初なのだ。
だが、日本には天皇の権力を規制した憲法がなかったので
立憲君主制はマグナカルタが世界初になってしまう。

内閣総理大臣(首相)の誕生

 まだ話には続きがある。  内閣総理大臣(首相)が誕生した話だ。   1714年、アン女王が死去の後、王位継承で白羽の矢が立ったのは ジェームス1世の曾孫で、ドイツの諸候になっていたジョージ1世だった。
ジョージ1世が国王になったが
ジョージ1世が国王になった
ジョージ1世はドイツ生まれドイツ育ちで、英語が片言しか話せない。
イングランドの慣習・政治などを知らなかった。
加えて50を過ぎていた上、イングランドの政治には関心がなかったので
議会や内閣に丸無げする事になった。

議会が体良く国王と政治を切り離した可能性もある。

 そこで王室の財政を担っていた大蔵委員会の第一大蔵卿の
ウォルポールが政府の首席になる事になった。

 内閣の中で大蔵大臣(財務大臣)が序列最高のためだ。
 どこの国も同じようか感じだなぁ・・・。

1721年、第一大蔵卿が内閣総理大臣(首相)になった
>1721年、第一大蔵卿が内閣総理大臣(首相)になった
第一大蔵卿(財務大臣)だったウォルポールが政府首席になった。
それ以降、イギリスでは第一大蔵卿は首相の事を指すようになった。
財務大臣は第二大蔵卿になった。

 この時、初めて政治に関与しない国王が生まれた。


 それにしても

 イングランドの歴史を調べるのは疲れた

 だった。

 オランダ総督が国王になったり、ドイツの諸候が国王になったりで
頭の中が混乱したが、スチュワート朝の血を引く親戚だというので納得。



最近になって三権分立が確立されたイギリス  イングランドの歴史を調べるだけでも大変な作業。  やれやれと思った矢先だった。  だが、こんな事を書いているサイトを発見した。  2009年、イギリスに最高裁判所が設立  つまり、つい最近まで  イギリスは三権分立でなかった  だった。  中学校で三権分立は習った。  それ以降、民主主義の国では三権分立は当たり前だと思っていたが その思い込みは、見事に、崩れ去った。  イギリスでは2009年に最高裁が設立されるまでは  貴族院が最高裁の役目を果たしていた  のだった。  完全に三権分立とは、ほど遠い。  そして驚くべき事に最高裁の長官にあたる役職の大法官なのだが  貴族院議長と大法官は兼任  だった。  日本でいえば、最高裁長官と参議院議長と法務大臣を兼任しているのだ。  とても三権分立とは無縁の状態だった。
大法官とは
11世紀半ばにできた役職と言われている。(一説には605年)
国王の側近で事務方の長として、国王を補佐する立場だった。
13世紀になり、貴族院と下院と分かれた時
貴族院の議長を兼ねる事になった。

宮中での序列1位はカンタベリー大主教(イギリス国教の長)
2位が大法官なのだ。1721年に首相という役職ができた後も
大法官は首相よりも序列が上だった

 21世紀になっても、この状態が続いていたのだが
イギリスの憲法が、ヨーロッパ人権条約やEC法体系に抵触するため
2003年、欧州評議会はイギリス政府に対して

 大法官権限の修正を求める採択

 を行ったのだ。

 だが、2005年、ブレア政権での憲政大改革によって
三権分立が行われた。

2005年、イギリスでの憲政大改革
(1) 大法官を貴族院議長の職を解く(兼任禁止)
(2) 司法権を貴族院から、新設された
最高裁に移管。(2009年10月)
(3) (2)に伴い、大法官を司法の長から外す。

 このため、大法官の役職は法務大臣のみとなった。

 (参考) イギリスにおける憲法改革と最高裁判所の創設(PDF:上智大学)


 そして憲法の成文化が進められている。
 将来・・・

 「イギリスに成文憲法がない」は昔の話

 になる時代が来るかもしれない。

日本の議員内閣制は三権分立に反する?
日本の議員内閣制はイギリスの議員内閣制を模した物だ。
立法府の議員で構成される内閣が生まれる。
だが、立法府の議員が、内閣で行政の長をするのが
果して三権分立が守られるのかと考えると
いかがな物かと思ったりする。


日本にもあったコモンロー

 コモンローの事を調べていくと、実は日本にもあったという。  それを成文化したのが  御成敗式目  なのだ。  池田信夫blog 失われた日本のコンモンロー  1232年なので、イギリス大憲章(マグナカルタ)と同時期だ。  復習になるが、イギリス大憲章は1225年だ。  武士の世界にあった慣習法を成文化しただけでなく 誰でも読めるように、平易な文章で書いた点も特徴だという。  そのため実用的な紛争解決ための規則本になったという。  実際に御成敗式目の現代語訳を見てみる。  御成敗式目 現代語訳(玉川大学・玉川学園)  まるで憲法みたいだ。  裁判のあり方、武士のあり方、僧侶のあり方 刑事事件の扱い、女性の財産相続権が明記されていたりする。  そう考えると、まさに・・・  御成敗式目は日本のコモンロー  なのだ。  だが、イングランドと違い、コモンローの蓄積はなく 明治になって、大陸法系の成文法主義が導入された。  イングランド同様、日本でもコモンローの蓄積と整備を行っていれば 日本の文化や慣習に沿った法律ができていたかもしれない。

法治主義と法の支配

 法治主義と法の支配。  言葉だけを見たら、同じように思えるが全然違う意味になる。  法治主義は単に  法律で統治する  だけだが、法の支配は別概念なのだ。

違憲立法審査権

 判例法主義の場合、司法の権限が強い。  立法府が制定した法律に対して、司法は  違憲立法審査権  を持っている。  イングランドでコモンロー(common law)に反する法律は 認めないという、エドワード・コークの判決がキッカケになり それがアメリカに渡り  憲法違反の法律は認めない  になった。  法律で統治だけでなく、最高法規の憲法に沿った統治をする事を  法の支配  というのだ。  ところで、成文法主義を採用している民主主義国家では 司法に違憲立法審査権はなかった。  民主的な手続きで制定された法は、国民が決めた事なので  国民の声が反映されているので問題なし  の考えだった。  この考え方を「形式的法治主義」と言う。  だが、アメリカで生まれた違憲立法審査権を取り入れる流れになった。  日本は戦後、GHQの影響で、司法に違憲立法審査権が与えられ 憲法81条に明記されている。
日本国憲法81条
最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が
憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する
終審裁判所である。

 現在では、ドイツ、フランスでも採用されている。

 成文法主義を採用している国々では
憲法に沿った法の制定と統治の事を

 実質的法治主義

 と呼んでいる。

三権分立 司法の独立

 法による支配を実現させるには司法の独立は不可欠だ。  最初に提案したのはフランスの歴史の中でも触れた  モンテスキューの「法の精神」  なのだ。  権力の暴走を防止するため、監視し合う仕組みなのだ。
日本の三権分立の構図
日本の三権分立の構図
立法・行政・司法が、それぞれを監視し合う構図になっている。

 それが顕著に出ているのがアメリカなのだ。

アメリカの三権分立
アメリカの三権分立
立法・行政・司法が完全に分離されている上
意図的に対立構図にしているため三権分立が
成り立っている。

 アメリカの大統領は

 意外と権力がない

 のだ。

アメリカ大統領は意外と権力がない
アメリカ大統領は意外と権力がない
大統領としてリーダーシップを取る立場なのだが
立法の権限などがないため、大統領の方針発表である
一般教書演説は、議会に対してのお願い事にすぎないのだ。

 でも、支持率が高い大統領の場合だと状況が変わってくる

支持率が高い大統領の場合
支持率が高い大統領の場合
世論を背景に、議会に対して強く要求ができるのだ。

 だが、反対に二期目のオバマ大統領のように首の皮一枚で当選し
支持率が低い場合だと、議会は動いてくれない。
 債務上限問題でも議員を説得する以外・・・

 何もできない大統領

 になってしまう。


 ところで日本の三権分立の場合、欠陥がある。

日本の三権分立の問題
日本の三権分立の問題
議員内閣制のため三権分立が不十分という点もあるが
対立構造を嫌う日本人気質なのか、馴れ合いが起こってしまう
そのため司法は行政・立法に遠慮した判決を出したりする。

ましてや民主党政権時、参議院議長をした江田五月氏を
法務大臣という行政機関の長にするという事が行なわれた。
この時、三権分立に触れるという議論が起こったようだ。
(田中角栄内閣の時、中村梅吉の例もある)

江田氏は弁護士なので、三権分立を知っているはずだと思うが。



法と道徳

 「法も道徳も社会規範だが、両者の関係は複雑多様」と本に書いてある。  法と道徳の違い。私は、こんな風に思っていた。
私が思っていた法と道徳の違い
法律 法的拘束力のある規則
道徳 法的拘束力うんぬん関係なく
昔からある教え。

 調べてみたら、こんなわかりやすい例があった。
法学入門 (PDF資料)

法と道徳の違いの例
法律 不用意に人を怪我をさせたら
過失致死障害(刑法209条)で、処罰されたりする。
道徳 電車の中で、お年寄に席を譲らない場合
「あいつは冷たい奴」と思われても
警察官が無理矢理、席を譲らせる事はしない。

 法律と道徳の区別の規準は

 国家権力による強制の有無の違い

 というのだ。

 資料にも書いてあったが、そんな単純な物ではないが、
簡単に区別する規準に使えるし、非常にわかりやすい。

 法と道徳との関係を図式化すると以下のようになる。

法と道徳との関係図
法と道徳との関係図
法と道徳の領域が一致する「交錯領域」もあれば
全く一致しない所がある。

「人を殺してはいけない」や「他人の物を盗むな」は
交錯領域になる。

「お年寄に席を譲る」は道徳のみの領域。
「信号が赤だと停止」は法律のみの領域になる。

 ところで、民主主義国家では法律は

 みんなで決めた規則

 になる。
 そのため、全員が守らなければならない規則になる。

 反対に法律で規定されていない事は

 守ろうが守らないが個人の自由

 だが、こんな問題が出てくる。

時効に関する法律
民法166条1項
消滅時効は、権利を行使することができる時から進行する。
民法167条1項
債権は、十年間行使しないときは、消滅する。

 親戚・友人から借金をした場合、返金催促を
10年しなかった場合、時効になる。

 お金に関する時効の法律だ。
 道徳では

 借りた物は返しましょう

 だが、法律では、一定期間「金返せ」と言わないと
返金の請求権を失ってしまう。

 そのため

 法律を知ったもん勝ち

 になる。

 もちろん、そんな事をしている人は

 あくどい奴!

 という周囲の評価を受け、信用を失ったりするという
社会的制裁が待っている。

借金の踏み倒し対策
時効を狙う人に対する対抗法がある。少額返済だ。

サラ金から金を借りて「借金していない」と言い張り
返済に応じない場合、サラ金側は暴言を吐かず
「1000円でも良いから借金返して」と持ち込む。
そこで1000円だけだと思って返してしまうと
債務承認になってしまい、時効の中断が成り立つ。
借金の消滅時効とその援用について | 松谷司法書士事務所

 法律では限度がある。
 そのため道徳というのが社会秩序の安定のために必要になる。

社会秩序の安定。法律と道徳
社会秩序の安定。法と道徳
法律では対応できない部分は、個人の道徳と
社会の道徳(社会的制裁)が補っている。

 法律と道徳との間にはズレが生じているだけでなく
道徳は、あくまでも個人、団体の価値観や習慣で異なるため
みんなが同じ道徳を持っているとは限らない。

 多様な人達の集まりでは道徳が異なるため
民主主義の世界では、みんなが守れる規則という事で
法律が制定される。

 そのため必然的に法律は、道徳の最大公約数になっている。

法は最低限必要なの道徳
法は最低限必要な道徳
道徳は価値観、習慣によって異なってくる。
色々な価値観の社会が共存する世界で
それぞれの道徳が一致する事はない。

そこで共通部分を最低限守るべき規則として
法律とするのだ。

国家の統治における法と道徳

 ところで国家を統治する方法として、道徳が良いのか 法律が良いのかの議論は、大昔からある。  それと同時に  法は国家権力と強制に結び付く  を連想させるため、否定的に哲学者が少なくないという。  代表例として  プラトンの哲人政治  があるという。  なんだか、どこかで習った記憶がある。  そして、プラトンの弟子のアリストテレスは、反対に法の重要性を説いたという。  昔、高校時代か学生時代の一般教養でかプラトンやアリストテレスの 名前が出てきた時、テスト対策で覚えた程度だった。  当時は、人名を覚えるだけだったが、今になってみると  組織運営のあり方の違い  を思い浮かべる。   古代中国における儒家と法家の対立  高校時代に習った漢文。  古代中国での儒教と法家の対立を思い浮かべる。  この対立は、古代中国の統治方法の違いだ。  2009年のOSC島根で、企業統治との比較のため具体例として話題にした。
儒家と法家
孔子時代 徳や仁による統治。
国の規模が小さかったため
仁・徳による統治が効率的だった。
秦の出現 巨大国家の出現により、徳・仁では統率がとれない
法で国家を統治するのが効率的になった。

韓非子の法家が良い例だ。
 
 徳による統治と、法による統治。
 どっちが優れているのではなく

 規模による組織運営のあり方の違い

 に過ぎないのだ。

 700年代、日本では中国の律令制を導入しようとしたが
国の規模が小さかったので、あまり機能しなかったと言われる。


道徳・法律、それぞれの問題点
徳の統治 為政者の資質に大きき依存しすぎる点。

素晴らしい為政者だと国は大きく発展するが
とんでもない為政者だと、メチャクチャになる。
法の統治 柔軟性に欠ける点。

杓子定規になりやすく、不測の事態になれば
身動きがとれなくなる。

組織運営のあり方について


 企業の組織運営のあり方について、2009年のOSC島根で話した事がある。
 中小企業と大企業との統治方法の違いだ。

中小企業と大企業の統治方法の違い
中小企業 良くも悪くも規則はユルユル。指揮命令系統はいい加減。
人数が少ないため、杓子定規の規則や制度で運営すると
身動きがとれなくなる。

大企業の真似をして組織運営すると
機動力の低下や業務の非効率化を生んでしまう。
大企業 杓子定規の規則や制度に縛られている。
標準化や大組織の効率的な運用のためには
杓子定規の組織運営をせざるえない側面がある。

ただし、行き過ぎは良くないのも事実で
大企業病の1つに「組織の硬直性」は指摘されているが
まさに行き過ぎた官僚機構に陥っている事なのだ。

 中小企業で、大企業は素晴らしいと勘違いして
大企業の真似をして失敗するのは

 組織運営のあり方を無視した結果

 なのだ。


 大企業の人達の中には、中小を見下す人が少なくない。
 だが、中小の組織運営について、大企業の組織運営と比較して
批判するのも、的外れな事になる。

他者危害原理(危害防止原理・危害原理)

 ところで、道徳に反した行為を罰する事ができるかどうかの議論がある。  パターナリズム(家父的態度、温情主義)を用いて良いのかどうかだ。  近代になると自由主義、民主主義の考え方が出てくる。  イギリスの哲学者・ジョン・スチュアート・ミルは自由論の中で 他者危害原理を発表した。  他者危害原理の事は、危害防止原理や危害原理とも呼ばれている。  名前は難しい感じだが、内容は難しくない。  他者の自由に干渉しない範囲で自由行動をする事で  社会全体の幸福度が最大化する  と主張しているのだ。
他人危害原理(ミルの自由論)
他人を干渉しなければ自由の考え方
イギリスの哲学者・ミルが1859年の発表した「自由論」で
他人の干渉しない範囲での自由な活動を行うのが
全体の幸福の最大化になる主張している。

そしてパターナリズムには否定的だ。

 国家の役割は以下の場合に限るとしている。

他者の自由や権利の侵害を行った場合
他人の権利や自由を侵害した場合
国家が介入し、他者の自由や権利の侵害を防止する
他人の権利や自由を侵害した場合は国家が介入する

 つまり、他人の自由や権利を侵害しなければ
麻薬をやろうが、賭博をしようが、同性愛だろうが

 何しても自由

 という考え方だ。

 (参考)
 危害防止原理

法的モラリズム

 ミルの他人危害原理と対立していているのが、法的モラリズムだ。  道徳に反する行為は罰するべし  という考え方で、保守的な考え方と言われている。  法的モラリズムが取り扱うのは、被害者なき犯罪で  ワイセツ書籍の販売、賭博、麻薬、同性愛  があげられる。  確かに、直接的な被害者はいない。  賭博で大損しても、麻薬中毒になっても、行為者は被害者ではないからだ。  ましてや同性愛だと「どーぞ、勝手にしてくれ」だ。  だが、賭博や麻薬などを許すと  社会秩序が乱れるので取り締まるべし!  という考えがあるのだ。
露出狂は法的モラリズムの典型例
露出狂の場合、公然わいせつ罪(刑法174条)に抵触する。
だが、被害者はいるのかと言えば、被害者はいない

地デジ推進大使をやっていたSPAMの草薙さんが
酔って裸になったため、公然わいせつ罪で逮捕された。
でも、被害者はいないのだ

だが、当時の総務大臣だった鳩山邦夫氏は
「無茶苦茶な怒りを感じる。最低の人間だ。絶対に許さない」
と発言した。法的モラリズムの典型だ。

鳩山氏の発言に対して、猛烈な抗議がやってきた。
「行為が最低」の所を「人間として最低」といったため
「お前が言うな」になったと思う。
痛いニュース 鳩山総務相の「草なぎ容疑者は最低の人間」批判に
女性らから「ブタ」「デブ」「彼の何を知ってるの!」など抗議殺到


私自身、酒の失敗で「最低の人間」は言い過ぎだと思ったが
SPAMのファンは、もっと強烈だ。
ところで、痛いニュースの書き込みを見れば、
鳩山氏に肩を持つ人が多いようだ。

(公然わいせつ罪について)
公然わいせつ罪がなぜ罰せられるのか

不快原理

 道徳違反を罰するかどうかで、他者危害原理と法モラリズムの対立がある。  だが、被害者がいないといっても、不快に感じる人がいれば それは罰するという考えがある。  「不快原理」というのだ。  神戸市の「須磨海岸を守り育てる条例」も不快原理の具体例だ。  全国初須磨海水浴場「入れ墨露出禁止令」で“海の家VS神戸市”勃発(週刊実話)  刺青の人は須磨の海水浴場で露出禁止  なのだ。  刺青の人がいるだけでは、被害者はいない。  だが、刺青を入れている人がいると、恐怖感を感じる人がいるから  退場させるべし!  となるのだ。  同性愛の場合、伝統や宗教が絡むため・・・  神の教えに反する。不快だ!!  という事もある。
同性愛とキリスト教
アメリカでは同性愛論争が起こりやすい。
自由と人権という観点での賛成派と
キリスト教の教えに反するという反対派がいる。

同性愛を認めない根拠として、旧約聖書にも載っているが
「ソドムとゴモラ」の話があり、同性愛も堕落とされている上
雷がソドムに落ち、街が焼け落ちた話になっている。
だが、そこから逃げたロトなのだが・・・

娘と夜のレスリング!

をやって、子供を作ったという。
近親相姦も不道徳に思えるのだが
キリスト教の関係者に質問すると
「子孫繁栄のため止む得なかった」と答えたりする。

ところでキリスト教の信者や教会内でも同性愛に対しては
賛否両論があり、同性愛を罪と認めない一派もある。
ルター派の教え クリスチャンと同性愛

 ところで露出狂も見方を変えれば、不快原理に当てはまる。
 例えば、熟女の露出狂見てしまった場合

 強烈な破壊力で、夜は悪夢にうなされる

 という不快を通り越えて、多大な精神的被害を受けるのだ。
 まさに不快原理なのだ (^^)


法と正義

 法律の重要な目的は  正義の実現  と本に書いてあった。  だが、正義とは何か。意外と説明できない。  ソクラテスの無知の知の話でもあるように 正義を語る人に質問攻めして  正義が説明できない!  という話がある。  国語辞典で見てみる事にした。
「正義」とは (gooの国語辞典)
(1) 人の道にかなっていて正しいこと。「―を貫く」「―の味方」

(2) 正しい意義。また、正しい解釈。「四書―」
「其実はあたの語の―に非るなり」〈西村茂樹・明六雑誌三三〉

(3) 人間の社会行動の評価基準で、その違反に対し厳格な制裁を伴う規範。

 人々が正しい行いに導くのが法の目的というのが
なんとなくわかる。

 本を読むと正義の概念が大きく4つあるという。

4つの正義の概念
(1) 形式的正義
(2) 実質的正義
(3) 手続き的正義
(4) 衡平

形式的正義

 本では難しい言葉を使って説明していたが、 そんなもん、理解できないので、ネットで調べたりした。  すると  規則に従って杓子定規に処理する  という事だ。  具体的には  人殺しをしたなら、どんな理由であれ、同じ量刑にすべし  なのだ。  片方が死刑で、片方が懲役2年だったら不平等だからだ。

実質的正義

 形式的正義とは違い。  杓子定規ではなく、内容を見て判断するのだ。  暴力に悩まされてた末、思わず刺してしまった  のと  人を殺してみたいから、刺してしまった  のを同じ量刑にするのは、おかしいという考え方だ。

手続的正義

 手続きのどこに正義があるのかと思ってしまう。  本には、恣意的な判断を排斥するため  手続きを踏んで処理をしていく  という事だ。  いまいちピンと来ない。  だが、法務省のサイトに、わかりやすい資料があった。  手続き的正義について(PDF)  実際に読んでみると、中学生向けの教材なので  メチャクチャわかりやすい!  なのだ。
資料の内容
情報の収集の仕方、物事の決定の仕方といった
手続きの公正さを「手続き的正義」という。


裁判の手続きを馴染みやすくするため
三匹の子豚の話を独自に拡張させた
「殺オオカミ事件」にして、裁判手続きの解説をしたり
子供達の間で大流行したローラーブレードだが
同時に事故も発生するため、禁止条例を設けるかどうかの
手続きの話が書いている。

 結局、手続き的正義とは、次の事だという。

 関係者をできるだけ対等に扱い

 公正に参加できるのを保障する手続き

 なのだ。

衡平

 本には個別的正義と書いていた。  一般の規則で判断すると不都合が生じ 実質的正義から外れるため、補正するものだという。  だが、これだけだと・・・  よくわからへん  なのだ。  だが、こんな時、イングランドの法律の歴史を調べた事が 役に立つ。equity(エクイティ)の事なのだ。  コモンローでは金銭解決しかできない。  そのため、工場の煙突から大量の汚染物質をまき散らしても  賠償金の解決はできても、操業停止はできない  なのだ。  そのため公害で苦しんでいて、工場停止を望んでも 法律の適用上、工場の操業停止ができないという不都合が生じるので エクイティ裁判に持ち込むのがイングランドのエクイティだ。

合法性

 4つの正義に続いて、法的正義とも呼ばれる合法性が 本に書かれていた。  法律を守れば合法やん!  と単純に考えてしまいそうだが、フラーの8つの最低条件があるという。
合法性のための8つの最低条件
(フラーの合法性)
(1) 法の一般性
(2) 公布
(3) 遡及法の濫用の禁止
(4) 法律の明晰性
(5) 法律の無矛盾性
(6) 法律の服従可能性
(7) 法の相対的恒常性
(8) 公権力の行動と法律との合致

 ところで

 遡及法って何やねん?

 なので調べてみた。

「遡及法」とは
「遡及」とは過去に遡る事だ。

遡及法とは「施行前に遡って適用する法律」という意味だ。

 事後法が適用されない事は知っていた。
 「遡及」という言葉を知らなかった。国語力の不足を感じる。

 ところで施行前に法律を適用しない事を

 法の不遡及

 という。

 調べていくと、参議院法制局のサイトを発見。
 法制執行コラム集「遡及適用と経過措置」

 内容を見ると

 憲法39条で刑罰の遡及禁止

 を明言しているのだ。

憲法39条
何人も、実行の時に適法であった行為
又は既に無罪とされた行為については
刑事上の責任を問われない。
また、同一の犯罪について
重ねて刑事上の責任を問われない。

 国家権力による後付け逮捕などを防止するため
刑事罰における法の不遡及があるとも言われている。

 身近な例で法の不遡及があった。
 古い建物の存続だ。建築規準法は改正されるのだが

 旧・建築規準法で合法建築された建物は

 新・建築規準法で違法でも罰せられない

 のだ。

 もし、罰した場合、日本中、違法建築の取締りと
建物の取り壊しの連続になってしまうのだ。


 だが、参議院法務局のサイトでは例外も書いてあった。

法の不遡及の例外 証券会社の損失補填問題
私が高校生の頃(1990年頃)、証券会社による
大口顧客に対して損失補填をした問題があり
戦後最大の証券不祥事としてニュースになったのを覚えている。

1991年(平成3年)に証券取引法改正の際
新たな損失補填契約を認めないだけでなく
経過措置も講じなかったという。

ところで、損失補填契約は施行前は合法だ。
もし、施行前に契約した事を、施行後になって
契約履行した事で、事後法で罰するのは法の不遡及に反する。
こんな場合、大抵は経過措置という事で、一定期間
猶予をあたえるだが、損失補填の場合、それもなかった。

損失補填は、反社会的行為という事で
経過措置で合法にしてしまうのは、法の正義に反する事から
施行前の契約であっても不履行にするのが
公共の福祉にもなるというのだ。

 遡及を認めない正義

 と

 反社会的行為を認めない正義

 の、せめぎ合いになるのだ。

 こういう時は

 実質的正義と衡平の正義

 で調整という事になるようだ。


 こんな事をfacebookでつぶやくと、身近な遡及法を
教えてくださった人がいた。

 消防法は遡及法

 言われてみて、そうだと気づいた。

 いつも消防点検の時、現行法で見られるからだ。

消防法は遡及適用される
消防法17条2に消防法は遡及適用される。
日本報知機株式会社 消防法令抜粋

人が多く集まる場所では安全確保のため
常に最新の法律規準が適用されるため
過去の消防法の規準で合法だった場合でも
最新の消防法では規準を満たさない場合
改善勧告される。

正義うんぬんを考える以前に
多くの人が集まる場所で安全を確保する事を
考えてみたら、なるほどと思う。

 ところで、民事について法の不遡及が触れられていない。
 調べていくと、民法では

 規定がある場合は遡及が認められている

 のだ。


 民法施行法1条で原則、不遡及をうたっている。

民法施行法1条
民法 施行前ニ生シタル事項ニ付テハ
本法ニ別段ノ定アル場合ヲ除ク外民法 ノ規定ヲ適用セス
要するにこういう事
施行前に発生した事項については
特別な規定がある場合以外は
民法の適応をしない。

逆に言えば、特別な規定があれば遡及を認める
になるのだ。

 民法で、どんな事が遡及適用があるのか。
 調べたら大変なので・・・

 法律の専門家じゃないので、逃げ出します

 と堂々と逃げ出す事にした。


 法の不遡及。
 8月になったら話題になるA級戦犯の話になるのだが
東京裁判の判決は、法の不遡及に違反する物なのだ。

極東軍事裁判(東京裁判)のA級戦犯有罪は
法の不遡及に違反
戦後、A級戦犯を裁く極東軍事裁判(東京裁判)が行われた。
国際法の専門家だったインド人のパル判事は
「全員無罪」を主張した。

A級戦犯とは「平和に対する罪」と「人道に対する罪」に
違反した戦犯という意味だ。A級、B級、C級は罪に区分なのだ。

A級戦犯の罪は、極東軍事裁判所の裁判所条例に違反が根拠だが
マッカーサーが戦後に作らせた条例であって事後法なのだ。
法の不遡及に反するため、パール判事は「全員無罪」を主張した。

 法の不遡及の考え方にのっとれば東京裁判は茶番であり
法的根拠はない。

 仮に、不当裁判であっても、日本が判決を受け入れたとしたら
A級戦犯はどうなるのか?
 それでも別の理由で・・・

 A級戦犯が法的上、存在しない

 のだ。

法的に存在しないA級戦犯
昭和27年(1952年)に4000万人以上の署名により
翌年(1953年)、戦犯を無罪放免にする事が
国会で全員一致で可決された。
日本国内だけの話ではないのだ。

サンフランシスコ講和条約11条に
法的手続きを踏めば、無罪放免にできる事が
明記されている。

国際条約にのっとってA級戦犯は
戦犯でなくなったのだ。
そして、A級戦犯とされた人の中で
獄中死したり、処刑された人は
「公務死」とされたのだ。

(重要な余談)
ところで、この講和条約11条の「accept the judgments」で
「裁判」と訳すべきか「諸判決」と訳すかで議論がある。
どうやら「諸判決」と訳すのが正しいようだ。
外務省は「裁判」と訳したのか。お得意の意図的な誤訳?
裏がありそうな気がする。

 なので、中国・韓国が靖国参拝問題で、いちゃもんを言う際
A級戦犯の合祀を根拠にしているが、A級戦犯は存在しないので
無視すれば良いのだ。


 そして法の遡及について考えてみると、2013年、韓国で出された
裁判の判決も、おかしな物がある。

韓国が行った条約違反の遡及適用
戦時中、朝鮮半島から徴用された韓国人らが賠償を求めた裁判で
2013年、韓国の裁判所は新日鉄住金(旧・新日鉄)に対して
賠償命令の判決を下した。

だが、この判決は、日韓基本条約に反した物になる。
1965年、日韓基本条約により、多額の援助と引き換えに
韓国側の賠償金の請求権を放棄した。
賠償請求について遡及を行わないという条約なのだ。

日韓基本条約後に出てきた賠償請求は
日本に求める事はできないのだが
韓国の司法は、日本企業に賠償請求命令を出し。
その事で韓国は法治国家ではないと言われている。


裁判について

 裁判には刑事裁判と民事裁判がある。  本を読んでいくと、両者では裁判の進め方は違うし 証拠の扱いも異なる。  そのため  民事と刑事では判決が全く逆になった  という事が実際に起こってしまっているのだ。

刑事と民事における審理方法の違い

 審理とは・・・  わからへん!  最初からコケてしまうのだが、知ったかぶりをした場合 あとでメッキが剥がれた方が、非常に格好が悪い。  審理とは何かを調べてみた。
「審理」とは (goo辞典から引用)
(1) 事実や条理を詳しく調べて、はっきりさせること。
(2) 裁判の対象になる事実関係および法律関係を裁判所が
取り調べて明らかにすること。「事件を―する」

 日本の裁判所の審理の方法には2種類ある。

2つの審理方法
事実審 事実の認定に関する事実問題と
法律の解釈適用に関する法律問題を扱う
法律審 法律判断のみで、事実の認定は行われない。

 刑事裁判と民事裁判では以下の違いがある。

刑事裁判
第一審 事実審
控訴審 一般的には法律審
量刑不当や事実認定に問題ある時は事実審
上告審 法律審

 民事裁判は以下のようになっている。

民事裁判
第一審 事実審
控訴審 事実審
上告審 法律審

 でも、このままだと「あっそう」で終わってしまう。
 だが、ふと思った。

 最高裁が差戻し判決

 をニュースや新聞で目にする。
 もしかして事実審と法律審の違いがあるのではないかと思い
調べてみると、案の定、そうだった。

 事実認定が不十分だったり、誤りがあると判断しても

 最高裁では新たな事実認定ができない

 というのだ。
 最高裁は憲法や法律の解釈を審査する法律審であって、
事実認定を行う所ではないため、最高裁で審理する事ができない。

 そのため高等裁判所に審査のやりなおしを命じるのだ。


 今まで、差戻し判決を行う理由がわからなかった。
 「最高裁で審理すれば良いのに」という疑問があった。
 だが、審査方法の違いを知った事で、納得できた。

 ところで「差戻し」は正式には

 破棄差戻し

 というのだ。

証拠の扱いの違い

 刑事裁判と民事裁判では証拠の取扱いが異なる。  刑事裁判は実体的真実主義  民事裁判は形式的真実主義  なのだ。  どういう事なのか本を見てみる事にした。
刑事裁判における証拠の扱い(実体的真実主義)
刑事裁判における証拠の扱い
刑事裁判の場合、被告の人生を左右するため
証拠は真実でなければならないのだ。
そのため検察が提出した証拠に対して
被告人が意見を述べた上で、裁判所の側で
証拠の真実性を調査する事ができる。

 民事になれば、刑事と違い、厳格な証拠の真実性は問われない。

民事裁判における証拠の扱い(形式的真実主義)
民事裁判における証拠の扱い
私人間の紛争であり、当事者同士が納得すれば
双方が提出した証拠は真実とみなされる。

例え、双方の思い込みであって真実でない場合でも
裁判所は真実性を調査する事はしない。


当事者間の問題な上、客観的真実を求めだしたらキリがないので
双方が納得すれば、真実とみなすという考え方だ。

ちなみに「形式的真実主義」は「手続き的真実主義」とも言う。

 そして民事裁判では、双方が提出した証拠を
裁判所が天秤にかけて判断するのだ。

民事裁判における判事の役割
民事裁判における判事の役割
上図のように判事が証拠を天秤にかけて
どちらに重みがあるのか判断を行う。

民事訴訟では、いかに相手を打ち負かす証拠を出すかが
勝負の分かれめになってくる。

 証拠を持っている物が優位になる民事訴訟なので
法的リスクをなくすために

 重要書類の保管はしっかりする

 というのが納得できる。

法的三段論法

 裁判では法律と事実関係を照らし合わせて判決を出すのだが その方法は  法的三段論法  と呼ばれる手法を使っている。
三段論法とは
三段論法とは
「AはB」かつ「BはC」が言える場合
結論「AはCである」と言えるというのが三段論法だ。

 これをわかりやすく図式化すると以下のようになる。

三段論法をベン図で表す
三段論法をベン図で表す
「AはB」の場合、AはBに含まれているとなる。
「BはC」の場合、BはCに含まれているとなる。
図を見れば、結論「AならばCである」と言える事は
一目瞭然なのだ。

 「AはB」だと、いまいちピンと来ない。
 だが、ネットでは以下の具体的な例で説明していた。

三段論法を具体的な例で当てはまると
三段論法を具体的な例で当てはめる
小前提と大前提を並べ、結論を出すのが三段論法だ。

小前提に「ソクラテスは人であるがあり」
大前提に「人は死ぬ」がある。

結論として「ソクラテスは死ぬ」を導き出すのだ。
この時、小前提も大前提も「真」でなければならない。

 小前提と大前提なのだが、どういう規準で大小の区別をしているのか。
 ピンと来なかったのだが、自分でベン図で表してみると
なるほどと思った。

三段論法をベン図で表す
三段論法をベン図で表す
小さい領域部分として「ソクラテスは人である」がある。
それを覆うように大きい領域で「人は死ぬ」がある。
小さい領域だから小前提になり、大きく覆う領域が大前提になる。

 ところで以下の場合は、三段論法は成り立たない。

成り立たない三段論法を表す
成り立たない三段論法の例
「虎は凶暴だ」かつ「ワニは凶暴だ」
そのため「虎はワニだ」という論法だ

 言葉の並びだとピンと来ないかもしれないが
これをベン図で描くと、あっさり納得できる。

成り立たない三段論法をベン図で表す
成り立たない三段論法をベン図で表す
「虎」は「凶暴」の領域にある。
「ワニ」も「凶暴」の領域にある。
だが、「虎」も「ワニ」も重なり合っていない。
そのため「虎はワニ」と言えないのだ。

 言葉でわからへん場合はベン図を描く!

 というのが便利な方法なのだ。


 三段論法を法律の世界で使った場合

 法的三段論法

 というのだ。

法的三段論法とは
法的三段論法とは
小前提に「A氏が人を殺した」がある。
小前提は具体的な事実になる。

大前提に「人を殺したら死刑」がある。
大前提は法律になる。

ともに「真」ならば「A氏は死刑」が成り立つ。

 これをベン図で表すと以下のようになる。

法的三段論法をベン図で表す
法的三段論法をベン図で表す

 図にすると、一目瞭然だ。


 実際の所、こんなに綺麗に色分けはできない。
 事実認定を考えても、故意か過失かで変わってくる。
 身勝手な殺人か、それとも暴力に苦しめられてた上での犯行なのか。

 法の適用も、事実認定の違いによって変わってくる。

法の解釈

 法律を読む際に大事になってくるのが法解釈だ。  と書いたが・・・  法解釈って何やねん!  なのだ。  本には次のように書いていた。  実定法の規範的意味内容を解明する作業  うーん、これでもイマイチわからん。  そこでネットで調べてみると以下の資料を発見した。  法律学入門 法解釈とはどういうものか(PDF 岡山商科大学 倉持氏)  法律規定の内容を明確にする事  だという。  イマイチ、よくわからん。  そのため、この原稿を書く際、以下の言い回しで逃げようと考えた。
こんな言い回しで逃げようと思った
初期のナポレオン法典のように、解釈を許さないとすれば
法律は読みやすいが、法律は人間が作る物の上
内容が抽象化しているため、具体的な事例に当てはまる際
そのまま適用が難しい場合がある。

 わかったような、わからんような書き方で逃げようと思ったら
ふと具体例を思いついた。

 飲食店で「食べ物持ち込み禁止」

 の張り紙があったとする。これをどう読むかが解釈になるのだ。

飲食店の「食べ物持ち込み禁止」をどう読むか
法解釈 「食べ物持ち込み禁止」をどう解釈するのか
飲食店側としては他の店で買った食べ物を
自分の店で食べられたら、たまったものじゃない。

だが、「食べ物持ち込み禁止」だと漠然としすぎている。
そこで、この文章をどう解釈するかが重要になる。

隣のマクド(マクドナルド)でハンバーガーを買って持ち込む場合は
「勝手に他の店の食べ物を持ち込むな!」で規則を適用する。

スーパーで買った野菜を持ち込んだ時、生で食べれる物があっても
まさか、店で食べる事はないだろうと考え、規則を適用しない。

スナック菓子も、カバンの中に入れているぐらいなら
おやつとして携帯していると、みなせるので
カバンの中まで調べて適用する事をしない。

缶コーヒーは、飲物であって食べ物ではない。
だが店で飲まれたら飲物の売上げに左右するので
食べ物と同じと考え、缶コーヒーを見つけたら規則の適用をする。

 漠然とした規則を、状況に合わせて適用するのを法解釈になる。


 法解釈の方法にはいくつか種類がある。

法解釈の方法
(1) 文理解釈
(2) 反対解釈
(3) 拡大解釈
(4) 縮小解釈
(5) 勿論解釈
(6) 立法者意思解釈
(7) 目的論解釈
(8) 類推解釈

 本を見てもよくわからん。
 だが以下のサイトで、わかりやすく説明していた。
 国民に伝えたい日本国憲法義解 様々な条文解釈の方法

 そのまんま例を引用したいが、システム奮闘記がパクリサイトになるので
自分で例を考えてみた。

 イベント会場には車での来場を禁止

 という場合を考えてみた。

「イベント会場には車での来場を禁止」の解釈について
文理解釈 文字通りに解釈する方法。
「車で来場してはいけない」となる。
反対解釈 文理解釈の反対になる。
バイクや自転車の場合、「車」でないため
問題なしとなる。
拡大解釈 「車」を車輪がついた物と拡大して考えると
自転車もバイクもダメとなる。
縮小解釈 車であっても、公共交通機関のバスやタクシーは
駐車場問題や混雑問題を引き起こさないので
「車」の範囲には入れないとする。
勿論解釈 反対解釈すると、バイクや自転車は、車ではないが
駐車場がない場合、置き場がないため違反駐車は邪魔になる。
バイクも自転車も「勿論ダメ」という事になる。
成文化されていなくても、わかりきった事として
物事を捉えるのを「勿論解釈」という。
立法者意思解釈 この規則を作った人の意図に基づいて解釈する事。

「駐車場がないから、車で来ては困る」が意図なら
バス、タクシーなら良いとなる。
目的論解釈 規則ができた当初は駐車場がなかったが
近所に大きな駐車場ができたため
「今は車で来場しても問題はない」という解釈。

規則できた時と、今とを比較して、その規則が
今でも馴染むかどうかを考える事。
類推解釈 車で来ると交通渋滞を引き起こすと考えた場合
自転車やバイクで大量に人が来ても混雑を引き起こすと
類推できるので、自転車もバイクもダメとする解釈。

 よく考えると

 普段、何気なく頭の中でやっている事やん!

 それを体系的に分類した物になるのだ。

裁判の公開原則

 裁判は、原則として一般に公開して行われる。  そのため関心のある審理を  誰でも傍聴できる  のだ。  ただし、関心度の高い裁判は傍聴したい人数も多いので 整理券が配られ、抽選で選ばれる。
憲法82条 (裁判の公開原則)
(第1項)
裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。

(第2項)
裁判所が、裁判官の全員一致で、
公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合には
対審は、公開しないでこれを行ふことができる。
但し、政治犯罪、出版に関する犯罪又は
この憲法第三章で保障する国民の権利が
問題となつてゐる事件の対審は
常にこれを公開しなければならない。

 裁判公開の理由は・・・

 ガラス張りにして裁判官の恣意的判断を抑制する

 というのだ。

 あくまでも原則なので憲法82条の第2項にも書いている通り
裁判官の全員一致で非公開にする事ができる。

裁判が非公開になる例
夫の暴力が原因で離婚裁判が行われた場合
暴力の内容が、えげつない場合だったり
奥さんのプライバシー侵害の内容が含まれると
奥さんの尊厳を傷つける事になるため
裁判を公開すれば公序良俗に反すると
裁判官が判断すれば、裁判を非公開にする事がある。

 裁判の非公開の例を見ていくと
ITに関わる話も出てきた。

 営業秘密保持のため裁判の非公開

 があるのだ。

 そのために・・・

 営業機密って何やねん?

「営業秘密」とは
営業上、技術上の企業秘密の事を法律の世界では
「営業秘密」と呼んでいるのだ。

 顧客情報が絡んだ話や、技術が絡む話になると
一般に公開できない話も出てくる。


 ところで、被告が原告企業の技術を不正入手し
不正使用した場合を考えてみる。

被告が技術の不正使用した場合
技術の不正入手があった場合

 さて、法改正前は、こんな問題が発生していた。

法改正前に発生していた営業機密に絡む裁判の問題点
法改正前に発生していた営業機密に絡む裁判の問題点
原告は、具体的にどのような技術を被告が不正使用したのか
特定する必要がある

だが、法改正前は、憲法82条「裁判の公開原則」と
例外規定に当てはまらないため
公開裁判の場で、自社の具体的な技術を特定・提示が
求められるため、企業秘密が公開される問題があった。

過去に企業機密保持のため、特定を拒んだ例もあるのだ。
不正競争防止法の改正 裁判で営業秘密は保護されるのか(日経ITPro)

 原告としたら、たまったものじゃない。
 相手に技術は勝手に使われるわ、自分の会社の秘密事項を
裁判の場で傍聴人にまで公開してしまうので、相当の不利益を被る状態だった。

 そのため法改正が行われた。
 平成16年(2005年)に「特許法105条の7」、「実用新案法30条」
「不正競争防止法13条」に改正が行われ

 営業秘密の該当する部分は非公開

 になった。

 (参考) 東京地方裁判所知的財産権部
 営業秘密に関する当事者尋問等の公開停止について

営業秘密の部分が非公開になると
営業秘密の部分が非公開になる
原告は安心して営業秘密の特定ができる。

 さて、営業秘密だが、裁判所に認めてもらう必要があるのだが
それには条件があるようだ。

営業秘密の管理が甘すぎると
営業秘密の管理が甘すぎる場合
営業秘密なのに、誰でも簡単に閲覧できる状態で
特に「極秘」という印やハンコがない場合が考えられる。

 こんなに管理が甘い場合だと、裁判所からは
営業秘密として認定してもらえない場合があるのだ。

裁判所から営業秘密と認定してもらえない
営業秘密の管理が甘すぎる場合、裁判所から営業秘密として認定してもらえない
さすがに原告側にとって重要な秘密情報であっても
その管理が甘すぎると、機密情報として管理していないとみなされ
営業秘密として認定してもらえないのだ。

 詳細は以下のサイトを参考にしてください。
 営業秘密 機密情報の取り扱いには十分な注意が必要(日経ITPro)

刑事裁判と民事裁判での判決の出し方の違い

 刑事裁判の場合、証拠不十分で犯人と断定できない場合  疑わしきは被告人の利益  で無罪判決になる。  それは刑事の場合、罪刑法定主義だからだ。
罪刑法定主義とは
罪刑法定主義をベン図で表す
罪刑法定主義とは、「法律で犯罪」と明記しない限り
犯罪とは言わない事だ。
そのため、事件や事故が発生しても
適用する法律がなければ、犯罪とは呼べず
無罪という事になるのだ。そして事後法は禁止だ。

ベン図で表すと、具体的事実と法律と照らし合わせても
上図のように大前提の法律が、小前提の事実を囲めない限り
刑罰を与える事はできず、疑わしきは罰せずになるのだ。

 罪刑法定主義は憲法31条に規定されている。

憲法31条(罪刑法定主義)
何人も、法律の定める手続によらなければ
その生命若しくは自由を奪はれ
又はその他の刑罰を科せられない。

 そして憲法39条に刑罰の遡及の禁止を謳っている。

憲法39条(罪刑の不遡及:事後法禁止)
何人も、実行の時に適法であった行為又は
既に無罪とされた行為については
刑事上の責任を問われない。
また、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問われない。

 そして刑事裁判の場合、法の類推解釈の禁止になっている。

刑事事件における類推解釈の禁止
類推解釈とは法に書いていないが
類似例から導き出した解釈になる。
だが、罪刑法定主義だと「犯罪行為は何か」を
法律で明記していない限り、犯罪とは呼ばない。
そのため、法律で書かれていない事を法律として適用する
類推解釈は、刑事事件では禁止となるのだ。

 被告人の人生に関わるため、冤罪防止のため
あらゆる予防線を敷いているのだ。
 もちろん、それでも冤罪はあるのは紛れもない事実だ。


 だが、民事裁判の場合は

 必ず結論を出さねばならない

 がある。
 明治8年に出された太政官布告103号にある。

明治8年太政官布告103号(裁判事務心得)
第三条 【条理法】
民事ノ裁判ニ成文ノ法律ナキモノハ習慣ニ依リ
習慣ナキモノハ条理ヲ推考シテ裁判スヘシ

 法律がなければ慣習

 慣習がなければ条理で結論を出せ!

 という意味だ。
 刑事裁判のように判事に逃げ道(?)はない。
 なので以下の方法で判断を下すという。

民事裁判における判断の方法と順番
(1) 法律に照らし合わせて判断
(2) 慣習法に照らし合わせて判断
(3) 条理に照らし合わせて判断

 これをベン図で表すと以下のようになる。

法律が適用できない場合、慣習を適用する
法律が適用できない場合、慣習を適用する場合をベン図で表す
上図のように、小前提の具体的事実を
大前提の法律で囲い込めない場合
別の大前提として慣習を用いる。

 そして慣習でも適用できない場合は条理になる。

慣習でも適用できない場合、条理を適用する
慣習が適用できない場合、条理を適用する場合をベン図で表す
上図のように、小前提の具体的事実を
大前提の慣習でも囲い込めない場合
別の大前提として条理を用いる。

 ふと思った。

 条理って何やねん?

条理とは
物事の筋道。道理。

「道理」とは、物事の正しい道筋。
人として行うべき事。正論という意味になる。

 イマイチ、ピンと来ない。

裁判官の良心

 憲法76条3項にこんな条文がある。
憲法76条3項
すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ
この憲法及び法律にのみ拘束される。

 これを見た時・・・

 裁判官の主観で判決を出すのか!

 と思った。

 ここで憲法19条を思い浮かべる。

憲法19条
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない

 いかなる良心を持とうが個人の自由

 なのだ。

憲法19条の「良心」とは
本人が「良心」と思っている事だ。
そのため「金儲けが社会貢献だ」を良心と思っても
「嫌いな奴は抹殺しろ!」が良心だと思っても
憲法で保障されているのだ。

法律や社会的道徳に照らし合わせた規準での良心とは異なるのだ。

 裁判官は、己の良心で判決を下すという事なのか?
 もし、そうだとしたら、こんな判決が起こり得る。

裁判官の良心に任せたら、こんな危険性があると考えた
裁判官の良心に任せたら、こんな危険性があると考えた
よく裁判では被告弁護人は被告に対して
「裁判官の心証を良くするように」と言っている話を聞く。

もし、心証が悪ければ裁判官が「こいつは、けしからん」で
自己裁量で判断できる部分を、思いっきり悪い評価にしてしまう
危険性があるのではと思った。

 そう考えると、とても法治国家のやる事ではない。
 そこで、ある飲み会で、ある弁護士に聞いてみる事にしたら

 難しい話なので簡単には言えない

 と逃げられてしまった。

逃げた弁護士について
幼なじみで、小さい頃から頭が切れる人物だった。
ふと思い出した。小学校のテストで、一度だけ勝って

天才のあいつに勝った!!

と自慢したのだった。なんて器の小さな私 (^^;;

小学校卒業以来、全く会う機会がなかったが
昨年の同窓会で再開。弁護士になっていたのを知る。

私が牢屋(ローヤー)へ行きそうになったら
ローヤー(lawyer:法律家)として助けて

とオヤジギャグを飛ばしたら、あっさり

お金を、はずんでくれたら喜んで

と言われてしまった。

 弁護士に頼れないので、調べてみる事にした。
 以下のサイトに裁判官の良心について、2つの対立がある事を知った。
 憲法76条3項の「裁判官の良心」 法律のお勉強

 客観的良心説と主観的良心説

 この議論について、以下のサイトを発見した。
 裁判官の良心(日本大学 甲斐ゼミ)

 主観的良心とは、憲法19条で認められている良心の事だ。
 でも、客観的良心とは何か。サイトに次にように書いてあった。

客観的良心とは
裁判官は、自分がどういう思想・心情を
持っているかに関わりなく、
国民の要求に従った裁判をすべきだ

 憲法19条と76条の統一性の観点で主観的良心

 という学説があれば

 国民の要請に沿うという客観的良心

 の立場があるというのだ。
 ここで民事裁判で、法律がなければ慣習。慣習がなければ条理の話になる。

明治8年太政官布告103号(裁判事務心得)
第三条 【条理法】
民事ノ裁判ニ成文ノ法律ナキモノハ習慣ニ依リ
習慣ナキモノハ条理ヲ推考シテ裁判スヘシ

 条理(正しい筋道)というからには

 己の良心ではなく常識で判断しろ!

 という事になるというのだ。


 ところで「良心」論争を調べてみる間に、ある事に気づいた。

 現行憲法はGHQが草案を作った!

 草案は英語になっているはず。
 日本語に翻訳する際、「良心」という言葉を使ったため
学説論争を生んでいるのではないか!!

 そこでGHQの憲法草案と外務省の翻訳を見比べてみる。

 マッカーサー草案日本国憲法(外務省仮訳、英文)

マッカーサー草案(68条)
英文(原文)
all judges shall be independent in the exercise of their conscience
and shall be bound only by this constitution and
the laws enacted pursuant thereto.
外務省訳
判事ハ凡ヘテ其ノ良心ノ行使ニ於テ独立タルヘク
此ノ憲法及其レニ基キ制定セラルル
法律ニノミ拘束セラルヘシ

 「conscience」の意味だが辞書で調べてみた。

「conscience」の意味
良心、善悪の判断力、自制心、誠実さ、道義心。

 確かに「良心」という意味があるのだが、
この程度で納得しない私。なぜなら

 英米人の発想を理解せずに訳している場合がある

 からだ。

 そこで、今度は英英辞典を調べてみた。

「conscience」の意味
英英辞典
a person awareness of right and wrong with regard to
her or his own thoughts and act
英英辞典から読み取れた事(あくまで私見)
桃色の部分で「正しいと間違えた事」が書かれている。
ところで「right」は「正しい」という意味以外に
「権利」がある。それは欧米人の権利・義務の意識の発想に
由来していると考えられる。

英和辞典では「right and wrong」を「善悪」になっているが
権利・義務意識の強い英米の発想を、日本の発想の
「善悪」と訳すのは違和感がある。
「正統か逸脱」の方が良さそうな気がする。

 意地になる私。単語を分解すれば良いのだ。
 そこで英語の接頭辞に目をつけた。

「con-science」で考えてみた
接頭辞の「con」には「共に」の意味がある。
「con-science」だと「共に科学」という直訳になる。
でも、これだと意味不明の日本語になるので
「社会で共有している法則や正統性」という感じになる。

 どうやら日本人の発想の「善悪」ではなさそうだ。
 となれば「良心」と訳すのも、いかがな物かと思う。


 ところで憲法草案18条(現行憲法19条)を見てみる。

マッカーサー草案(18条)
英文(原文)
freedom of thought and conscience shall be held inviolable.
外務省訳
思想及良心ノ自由ハ不可侵タルヘシ

 同じ「conscience」が使われている。
 マッカーサー草案では、憲法の統一性から
同じ意味として使われている可能性がある。

 となれば内心の自由の意味合いも変わってくる気がする。
 どんどん泥沼にハマりそうな私。

 だが、私は英語の専門家ではないし、英米人ではないので

 「conscience」の本来の意味合いが良くわからん

 と言うしかない。
 というわけで、専門家に任せて退却する事にした。

法律学習には英語力が必要
英語が嫌いな私にとって日本国憲法は鬼門だ。
マッカーサー草案を外務省が、英米人の発想で訳すべきなのに
日本人の発想で訳すため、意味がヘンテコな文章になる。
なので、英語嫌いな私が、意味合いの確認のため
渋々、英文の草案を見るという手間がかかる。

後述していますが、実は、マッカーサー草案の英語版自体
文章として、おかしかったりする。

法律を勉強して、まさか英語力が要求されるとは
夢にも思わなかった。

法の欠缺の補充

 法律は人間が作るものだから完璧ではない。  時代とともに社会情勢が変わるため、法整備が追い付かない事もある。  民事裁判で適用すべき法律がない場合、慣習や条理を用いる事があるが その前に法解釈を行う事もある。  法解釈や慣習、条理を使ったりする事は  法の欠缺の補充  なのだ。  ところで・・・  欠缺って何やねん!  そこで調べてみた。
「欠缺」の意味
「欠けている事」や「抜けている事」の意味で法律用語だ。

「法の欠缺」は、「適用すべき法がない」という意味になる。

 もっと平易な言葉を使え!!!

 と叫びたくなる。

 難しい言葉を使ったら権威があると、勘違いするオバカが多すぎる。


 適用すべき法律がない場合、どうなるのか?

適用すべき法律がない場合
適用すべき法律がない場合
刑事事件なら罪刑法定主義のため無罪放免だが
民事の場合、結論を出さねばならない。

 まずは法律の拡大解釈や類推解釈で補う方法がとられる。

法の拡大解釈
法の拡大解釈
法律を拡大して解釈するのを拡大解釈という。
拡大する事で、具体的事実を覆ってしまうのが狙いだ。
法の類推解釈
法の類推解釈
似たような法律を用いて、具体的な事実が当てはまるような
法律があるように解釈するのが、類推解釈だ。

 という。

 解釈作業の際、重要になってくるのが
憲法76条第3項の

 裁判官の良心

 なのだ。

 解釈の幅を考える時、国民や社会の要請に沿っているかどうか
考える事が重要だからだ。(客観的良心)


 解釈では対応できない場合は、慣習。
 それでもダメなら条理となる。

 その条理も・・・

 裁判官の良心

 に依存しているのだ。

チャタレイ事件を考えてみる

 法解釈、裁判官の良心を考える上で、チャタレイ事件は有名なようだ。  楽習ナビ行政書士試験 憲法 わいせつ文書頒布禁止と表現の自由  チヤタレイ夫人の恋人」事件  それに・・・  エロい話題の方が、興味を持ちやすい!!  イギリスのD.H.ロセンスの小説「チャタレイ夫人の恋人」の 翻訳本が1950年に出版された。  エロい描写があったので、刑法175条違反で起訴された事件だ。
刑法175条 わいせつ物頒布等の罪
(2011年の改正前)
わいせつな文書、図画その他の物を頒布し、販売し、
又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役又は
二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処する。
販売の目的でこれらの物を所持した者も、同様とする。

(注意)
この法律は1950年代も同じかどうかは謎。
でも、参考のために載せました。

 だが、出版物の場合、憲法21条の表現の自由が保障されている。

憲法21条
1. 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は
これを保障する。

2. 検閲は、これをしてはならない。
通信の秘密は、これを侵してはならない。

 その一方で公共の福祉の問題も出てくる。

憲法13条
すべて国民は、個人として尊重される。
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、
公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、
最大の尊重を必要とする。

 わいせつ本が公序良俗に反し、社会秩序を乱すと考えれば
公共の福祉に反するという見方もできる。

 そのため以下の3つが争点になった。

 著作物がわいせつ文書に当たるかどうか

 出版物の検閲にならないのか

 ところで公共の福祉に反すれば、個人の自由に制限がかかるのだが

 エロ小説は公共の福祉に反するのか

 法解釈の問題になる。
 そして、わいせつの規準は

 憲法76条第3項の裁判官の良心

 が決め手になる。

チャタレイ事件を簡単に図式化
チャタレイ事件を図式化
刑法175条と憲法13条を根拠に有罪を主張する検察。
憲法21条を根拠に無罪を主張する被告。

そもそも、ワイセツの規準は何なのかを考える裁判官。
裁判官の良心によって決まるため、憲法76条第3項の
話になってくる。

 裁判結果は

 ワイセツ物認定になり有罪になった

 だった。
 裁判調書を読んでいないので、はっきりした理由はわからないが
当時の社会的な風潮だと、認められない範囲だったと思われる。

一番厳しかった時期だったかもしれない
明治以前、エロに関して、おおらかだった日本。
無修正の浮世絵、露骨な浮世絵があったりするし
乱交パーティーは当たり前だった。

明治になり、欧米列強がやってくると
野蛮国だと思われないようにするため
エロい物に対して取締りを行っていった。
その結果、昭和初期から40年ぐらいが
一番厳しかったと思われる。

手塚治虫さんの漫画でキスシーンがあったぐらいで
苦情が殺到した時代だけに、今の感覚では理解できないのだ。

ちなみに、エロ本でヘアヌードが認められたのは
平成になってからだ。

 ワイセツ物の規準が年々変わってきている。
 社会が寛容(?)になってきたからだ。
 そのため、今の時代だと、もっと過激なエロ小説を書いても

 裁判官の良心により無罪

 となるのだ。


 ところで2011年に刑法175条が以下のように改正された。

刑法175条 わいせつ物頒布等の罪
(2011年改正後)
(1)わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体
その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、
2年以下の懲役若しくは250万円以下の罰金若しくは
科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。
電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録
その他の記録を頒布した者も、同様とする。

(2)有償で頒布する目的で、前項の物を所持し、
又は同項の電磁的記録を保管した者も、同項と同様とする。

 電子情報も処罰の対象になった!

 というのだ。

 ふと思った。
 2011年以前でも電磁的記録は対象外ではなく

 警察は裏ビデオの取締りをやっていたぞ!

 ビデオ(DVD)は電磁的記録になる。
 法律には電磁的記録は明記されていないが
警察24時などの番組で、裏ビデオの押収の様子があったりする。

 これは法律の拡大解釈を行う事で対応していたのだ。
 わいせつDVDテンポを一斉摘発 警視庁、販売容疑など(日本経済新聞:2010/6/8)

 わいせつ図画販売目的所持

 になっている。

2011年までは刑法175条を考える
文理解釈すると
2011年までの刑法175条を文理解釈する
わいせつ文章、図画、その他」だが、ビデオテープ、DVD
パソコンのファイルデータといった電磁情報は含まれていない。
拡大解釈をする事で
2011年までは刑法175条を拡大解釈
だが、ビデオやDVDはビデオデッキ、パソコンのファイルなら
パソコンで画像や動画が再生できるため、図画扱いできる

 だが、2011年の改正で、電子データやネットにも対応できるようになった。
 そこで最近の、わいせつDVDで逮捕された例を見てみる事にした。
 わいせつDVD:販売容疑で逮捕 「所持」の男5人も /群馬(毎日新聞:2013/8/24)

 わいせつ電磁的記録記録媒体頒布容疑

 になっているのだ。

 そしてインターネット上での、わいせつ画像の配信も
法律に明記されたので、無法地帯のFC2にエロ画像を載せた人が逮捕されている。
 わいせつ動画投稿:容疑で4人逮捕、1人補導−−府警 /京都(毎日新聞 2013/06/27/)


 さてさて、この法律ができたのだが、将来、ワイセツの規準が厳しくなり
芸術と思われた物まで、ワイセツと認定されると、以下の写真も
Webで発信する場合でも、こんな修正が必要になるかもしれない。

ワイセツの規準が厳しくなると修正が必要かも
修正前 修正後
修正前 修正後
芸術にモザイクをいれたら冒涜だと言われそうだ (^^;;

これに似た話で、隣の中国でダビデ像をテレビで流した際
大事な所にモザイクをかけた。国営放送(CCTV)が行ったのだ。
視聴者から「芸術への冒涜だ」とか「逆に卑猥に見える」など
苦情とツッコミが殺到した。

(ロケットニュース24)
中国国営放送がミケランジェロの『ダヴィデ / アポロ像』の下半身にモザイクをかけて放送

裁判所の役目

 法による紛争解決の場なのだが、私人間の紛争や 刑事事件の解明だけでなく、三権分立である以上  法に基づいた立法・行政の監視機能  が求められている。  行政・立法が放置している問題に対して  判決を通じて司法が解決を迫る  というのだ。  婚外子の相続問題で、立法も行政も動かなかったので 2013年9月4日に  民法の規定は違憲  という判決を出した。  「子の権利を保障すべき」 婚外子裁判で最高裁判断(日本経済新聞)  過去の例だと、1957年の生活保護費の金額が憲法25条の 「最低限の生活」を下回る金額という判決を出している。  もちろん、今の時代は、ワーキングプアをやるよりも 生活保護の方が稼げて楽という問題も発生しているのだが。

代替的紛争解決手段(ADR)

 引き続き、本を読み進める。  すると紛争解決は裁判だけではない事が書いている。  確かにそうだ。    示談もあれば調停や和解もある  のだ。  示談や調停といった裁判所や弁護士が関係する紛争解決手段もあれば 行政組織である  国民生活センター  という所もあという。  苦情の問い合わせ場所という印象はあったが 紛争解決手段の機関としての認識はなかった。  ところで国民生活センターのサイトにはADRの紹介がある。  ADRって何やねん?  3文字アルファベッドを書かれても意味がわからん。  そこで調べてみると以下の略だった。  Alternative Dispute Resolution (裁判外紛争解決)  なのだ。  調べてみると、法務省は裁判外紛争解決(ADR)を促進しているように思える。  実際、法務省の「かいけつサポート」のサイトで裁判外紛争解決を紹介している。  法務省 かいけつサポート  そしてADR促進のための法律がある。  裁判外紛争解決手続きの利用の促進に関する法律  裁判外紛争解決には、次の利点がある。
裁判外紛争解決(ADR)の利点
(1) 手続きが容易
(2) 迅速な解決が可能
(3) 弁護士は要らないので
費用がかからない
(4) 非公開
他人に知られたくない内容には向いている
(5) 特殊な紛争の場合
専門家を呼んで解決を図る事ができる。

 問題点もある。

裁判外紛争解決(ADR)の問題点
(1) 相手が紛争解決に乗り気でないと
全く話が前に進まない。
(2) 法的拘束力が不十分、もしくはない。
(3) 公正・中立性を保つため
仲裁人、調停人の人選が問題になる。

 利点・問題点は以下のサイトの受け売りです (^^)

 ADRを利用するメリット 国民生活センター
 御器谷法律事務所 ADRの異義、種類
 東京労務管理総合研究所 ADR(裁判外紛争解決手続きの利点)


 ところで、本を見ると裁判外紛争解決の拡充の問題点を
以下のように指摘している。

 法の支配を揺るがしかねない

 確かに、そうだ。
 むやみに裁判外紛争解決を推進してしまうと
法による統治や正義の実現が、ないがしろにされてしまう。

 そして内輪だけでの問題解決だと非公開のため

 何が問題点なのか明るみにならない

裁判の役目
裁判の役目は単なる紛争解決だけではない。
問題点の抽出もあるのだ。
当事者の問題なのか、法律に問題があるのか等など

裁判は公開される事により、例え、成文法主義であっても
判例や解釈は参考になるし、裁判所が方向を示す事で
世の中に変化を与える事も可能だ。

 だが、よく考えると、実際問題、大事件でない限り
裁判が公開されても、社会的影響は微々たるものだ。

 それに、手軽に裁判は起こせない事を考えると
サジ加減は難しいとしか思えない。

法学入門の本を読み終えて  2013年2月、1年半かかって「法学入門」を読み終えた。  その後、知識の整理と、この奮闘記の編集で半年かかった。  そこで学んだ知識を使って、文中で出てきた疑問や 話題になっている法律問題に触れてみる事にした。

日米の法令遵守とコンプライアンスの違い

 前述しているが法学の勉強を始める前に、元検事の郷原さんの記事を読んだ。  法令遵守がコンプライアンスではない パロマ事件の教訓(日経BP)  そして  法令遵守とコンプライアンスは同じ物ではない  と驚いたのだ。  最初に記事を読んだ時は、法学の勉強する前だった。  そのため、記事の中で、日本は法令と社会の要請が解離しやすいが、 アメリカでは社会の要請に応じた法形成ができる事までは把握できたが なぜ、そうなるのかまでは理解できなかった。  そのため、受け売り的に・・・  日本は法律と社会の要請が解離しやすい  としか言えなかった。  さて、法学の勉強を通じて、私が理解した範囲で 郷原さんの記事について書いてみる事にした。  日本の場合、法はお上の通達という発想を持っている。
日本人の法意識
日本人の法意識は、お上の通達
中国法系が古来より続いたためなのか
日本人のお上意識が強いせいかのか
日本人の法に対する意識は「お上のお達し」なのだ。

 そして法や司法とは、あまり馴染がない上
紛争解決に裁判と言い出すと

 裁判沙汰!!

 となってしまう。

日本人が思い描く司法と裁判所
日本人の思い描く司法と裁判所は、江戸時代の、お白洲
裁判所と言えば、縁がない上、近寄りがたい存在だ。
まるで江戸時代の「お白洲」そのものなのだ。

 そのため裁判になりにくいため

 司法の判断による政策決定の誘導

 が起こりにくいのだ。

本当は訴訟は結構あるみたい
簡易裁判所で行われる少額の金銭トラブルは
結構あるようだ。処理を迅速にするため
審理があった、その日に判決が出るようになっている。

 ところで簡易裁判所を調べると驚くべき事を知った。

司法試験に合格しなくても検事・判事になれる
検察庁に勤務する検察事務官は試験で副検事になれる。
交通事故などの刑事事件を検事に代わって担当する。
その副検事も検察内の試験に合格すれば特任検事になれる。

簡易裁判所の裁判官の人手が足らないためか
主に裁判所書記官が裁判所内の試験を受けて
簡易裁判所の判事になれる。

最高裁判所の判事も行政官枠があり
司法試験に合格していなくても、中央官庁の
次官や局長クラスの人が最高裁の判事になったりする。

法治国家で司法試験に合格していない人が
検事や判事になれるのは、いかがな物かと思う

 日本は成文法主義なので、立法府で法案可決しない限り
法律が整備できないため、社会状況の変化に
法の改正が追い付かない問題もある。

 そのため

 法令と社会の要請が解離しやすくなる

 のだ。


 そのためコンプライアンスは法令遵守と思い込み
法令遵守だけ行ってしまうと、以下のような事態を招く事がある。

法令遵守だけ取り組むと
法令遵守に躍起になって、社会の要請に応じなくなると
社会の要請があるにも関わらず、法的に問題ないため
「法的に問題なし」と言ってしまうと、社会的信用を失う。

  法令を守っても、社会の要請に反する事があるため
法令遵守だけ行うのは問題だという。

フランス・ドイツではどうしているのか?
同じ成文法主義のフランスやドイツでは
社会の変化に対して、できるだけ法の改正が行えるように
どのような対策を行っているのだろうか?
興味深々だが、そこまで調べる余裕がなかった。


 その一方でアメリカは判例法主義な上
日本と違って、法に基づいて紛争解決を図る事を考えている。
 そのため何か問題があれば訴訟になりやすく、訴訟大国と言われる。

訴訟大国アメリカなので
訴訟大国のアメリカなので、社会の問題がすぐに法廷に持ち出される
社会の問題、紛争が起こると訴訟になりやすいアメリカ。
だが、その問題や紛争は、社会そのものを反映しているため
これらを解決するための法形成は、社会の要請になる。

アメリカは判例法主義のため、判例に法的拘束力を持つ。
そのため、判決を出す事で、社会の要請に応じた法形成に
つながっていくのだ。

 もう1つ注目すべき点は、アメリカは陪審員制度があるのだ。

陪審員制度のあるアメリカ
陪審員制度のあるアメリカ
アメリカは陪審員制度がある。
例え裁判官が社会から隔離された人であっても
陪審員の普通の人の感覚で意見を言い、判決過程に加わる事で
社会の声を裁判に反映させる事ができるのだ。

日本では凶悪事件の裁判のみ陪審員制度になっているが
アメリカでは刑事だけでなく民事も陪審員のため
ビジネスから家族問題まで社会の声が反映されるというのだ。

 社会の声を反映させる目的の陪審員制度なのだが
弊害があるのも事実だ。

陪審員制度の問題
陪審員制度の問題
陪審員制度の問題は、陪審員が普通の人である点だ。
そのため、弁護士が感情を煽る事を言ったりして
陪審員が乗せられたり、裁判の争点がすり替えられたりする。
シンプソン裁判が良い例だ。

 一通り、法学入門を勉強したおかげで、記事での郷原さんの主張が
明確にわかるようになった。

日本の陪審員制度について
国民の司法参加という事で始まった陪審員だが
凶悪な刑事事件に限られている。
訓練を受けていない一般の人だけに
殺人事件の証拠写真などを見せられたり
量刑について重い判断を迫られたりする。

これでは、ますます司法参加をしたがらなくなる。
国民の声を反映させたいなら、民事事件で行うべきだ。
その方が社会の要請を裁判に反映させやすくなるため
日本社会にとっても利益になるはずだ。


日本に判例法主義の導入の必要性

 私の知り合いで「日本には判例法主義を導入すべき」と 主張する人がいる。法治国家とは思えない事を国が行なうからだ。  現在、日本は成文法主義だが、大きな問題点がある。  法律の内容が曖昧!!  法治国家でありながら、税法を始めとした法律の内容が 曖昧なため、監督官庁の判断で白黒が決められる。  あと行政指導も法治国家としてあるまじき事なのだ。
法治国家とは思えない日本
(1) 曖昧領域と現場担当官の主観で決まる実態
(2) 法的根拠のない行政指導

法の曖昧領域と担当官の主観で決まる問題

 法の曖昧性だが、その線引きは担当官の主観で決まる。  良い例が税務調査だ。  税金関係で、税務署に問い合わせても、曖昧領域だと 曖昧な回答しか出さない。  そして出世競争のため、少しでも手柄を取りたい税務官は  無理な解釈  をしてくる事がある。  そのため税務調査の結果・・・  前回は問題なく、今回は問題あり  という事態が結構あるようだ。  税務調査の方法/東京都千代田区税理士事務所  他にも、ダンスは風俗営業法対象になっている点だ。  風俗営業法を見てみる。ダンス教室が風俗営業法の対象になっているのだ。
風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律
(第二条第四号)
ダンスホールその他設備を設けて客にダンスをさせる営業
(第一号若しくは前号に該当する営業又は
客にダンスを教授するための営業のうちダンスを教授する者
(政令で定めるダンスの教授に関する講習を受けその課程を
修了した者その他ダンスを正規に教授する能力を有する者
として政令で定める者に限る。)が客にダンスを教授する場合にのみ
客にダンスをさせる営業を除く。)

 調べてみた。

 管轄する警察側のダンスの解釈は

 男女がペアで踊るダンス

 なのだ。フォークダンス教室を開くだけでも
警察に届け出が必要となる。

 ただ、例外として法律に書いている通り

 先生が公的な資格を持っている人

 場合のみ、風俗営業法の対象外になるのだ。

 以下のサイトを見ると、国の呆れる実態がある。
 一連のクラブ摘発余波で街のダンス教室が大ピンチ

 タンゴを教えるのに国の許可が必要。
 風俗営業法を免れるためには、インストラクターの資格が必要。


 ところで警察の解釈である「ダンス=男女がペア」というのは

 法律のどこにも書いていない!!

 法的根拠がなく、警察の解釈で線引きされる。
 場合によっては「ダンス」の解釈を変えてる事ができるため
警察側の恣意的な判断がされる危険がある。


 こんな場合は、司法の場で戦うしかなくなる。
 だが、日本の場合、成文法主義のため判決内容が
他の裁判への拘束力がないのだ。

 そのため個々の事例ごとに裁判を起こすしかなくなる。
 だが、判例法主義だと、一度、合法の判決が出ると
他の裁判にも影響が出るため、法的根拠を持った規準ができる。

 裁判を通じた規準作り

 ができ、役所の恣意的判断を排除する事ができる。

行政指導の問題

 行政指導だが、法的根拠がない。  どんな物か、わかりやすい説明を探してみた。
行政指導とは
行政省庁が、法律上の根拠に基づくことなく、
業界などに対して助言や指導を行い、
相手の「自発的」同意を得て所期の目的を達することをいう。

許認可などの申請受理に際し、官僚制が加える一定方向への誘導、
石油、鉄鋼、米などの生産調整、地方自治体職員給与の
引き下げ指導などにみることができるが、日本の官僚制全体にわたって
広く採用されている政策実施手段である。
助言、指導、勧告などに従わない場合には、
直接の対象事項とは関係のない事項での制裁が
準備されている場合がある。

行政指導は、ソフトな行政手段として評価されることもあるが、
官僚制と顧客集団との間の緊密な関係を前提として成り立っており
不透明さが問題視される。
( 新藤宗幸 千葉大学法経学部教授 )

行政指導とは コトバンクより引用

 まさに

 役所の言う事を聞け。さもなくば・・・

 という恐喝であり、お上思想丸出しなのだ。

 この行政指導とは法律で定義されている。参考サイト。
 第124回 行政指導 | 独学お助け隊の行政書士講座

行政手続法 第二条第六号
行政指導 行政機関がその任務又は所掌事務の範囲内において
一定の行政目的を実現するため特定の者に
一定の作為又は不作為を求める指導、勧告、助言
その他の行為であって処分に該当しないものをいう。

 条文だけだと

 単にお願いするだけ

 なので、言う事を聞かなくても罰則はないのだ。

 だが実態は、役所の言う事を聞かないと恐喝し
あらゆる手段で嫌がらせを行なうのが、役所の手口だ。


 そのため不当な行政指導に対しては

 裁判で争う

 と同時に判例法導入する事により、裁判による規定を作り

 行政の恣意的な行動

 を防止させる必要がある。

行政指導に頼る民間団体の問題

 だが、行政指導は役所ばかり責めるわけにもいかない。  元文部官僚の岡本薫さんは著書「世間さまが許さない」のP118で 次の事を書いている。  規制と私権の混同  民間団体が私権を使いこなせず、役所に行政指導を促すというのだ。  私権とは私法で定められた権利の事で、行使するかどうかは 本人の自由なのだ。行政が関与する話ではないのだ。  図式化すると以下のようになる。
民事紛争が起こった場合
民事紛争が起こった場合は、裁判で決着をつけるのが本来の姿
「私的自治の原則」から、民事紛争が起こった場合は
当事者間での話し合いか、それで解決できなければ
司法の場で決着をつけるのが本来のあり方だ。

 だが、欧米と違い、裁判に対して悪い印象を持つ日本人。
 そして、私権を使いこなす事ができないため
当事者間の問題であっても、行政に対して

 取り締まるのが行政の仕事だ

 と言ってくるというのだ。

役所に行政指導を陳情する民間団体
役所に行政指導を陳情する民間団体
「私的自治の原則」から民事紛争が起こっても
訴えるかどうかは本人の自由に委ねられる。
そして行政が関与すべきでない所だが、当事者間の紛争を
裁判で決着をつけずに、役所に行政指導を陳情するのが
結構あるという。

 そして「規制はけしからん」というマスコミでさえも

 行政は何をしているのだ!

 と叩くため、役所としては動かざるえないため行政指導が
行なわれるという現実もある。

役所が行政指導せざる得ない現実もある
役所が行政指導せざる得ない現実もある

 必ずしも行政指導が役所の権力温存のためだけでなく
民間の当事者間の問題を、話し合いや司法の場で解決をせずに
役所に頼るというお上思想から抜け出せない民間人や民間団体がいるため
行政指導がなくならない現実もあるのだ。


自民党の憲法改正案

 自民党が改憲に向かって動いているのだが改正案を見ると、 日本人的発想だという点で、ツッコミを入れたくなる条文あある。  現行憲法および自民党改憲案比較表  憲法13条だ。
憲法13条についての比較
現行 すべて国民は、個人として尊重される。
生命、自由及び幸福追求に対する
国民の権利については公共の福祉に反しない限り
立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
現行 すべて国民は、個人として尊重される。
生命、自由及び幸福追求に対する
国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り
立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 現行憲法でも「公共の福祉」は、何を差すのか曖昧だ。
 自民党案も曖昧だ。恣意的判断を生んでしまう危険性がある。

 それと疑問に思ったのが・・・

 公序良俗に反する行動を行なう権利は存在するのか?

 だ。
 権利は法律で認められた物だ。
 法律に反する行為を認める「権利」は存在するのか?
 言い回しに対して、何か矛盾を感じる。

 ここでフランスでの1791憲法の第4条を思い出す。

1791憲法に書かれた「権利宣言」
第4条 自由とは、他人を害しないすべてのことをなしうることにある。
したがって、各人の自然的諸権利の行使は、
社会の他の構成員にこれらと同一の権利の享受を確保すること以外の
限界をもたない。これらの限界は、法律によってでなければ定められない。

 フランスの真似をして以下のようにすれば済む話なのだ。

憲法13条を改正するなら(私案)
生命、自由及び幸福追求に対する
国民の権利については、立法その他の国政の上で
最大の尊重を必要とする。
ただし、公共の権利・義務と衝突した場合は
その限りではない

 「お互いの権利・義務の衝突」と謳えば良いのだ。
権利・義務は法律で規定する物なので、曖昧性は排除できる。

 ただし、権利の衝突の場合、利益衡量論の話になる。
どっちを優先すべきかは恣意的判断が入る問題は残ってしまうが。

 ところで

 公序良俗

 という言葉が出てくる背景には

 みんな同じモラルを持っている

 という日本人の同質性が出ていると思う。

憲法99条:政治家の改憲発言は違憲なのか?
 憲法99条で「公務員には憲法擁護義務がある」と謳っている。  護憲派は、国会議員が憲法改正発言に対して 憲法違反しているという根拠になっているのだ。  実際に憲法99条を見てみる。
日本国憲法 第99条
憲法99条の条文
第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、
裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し
擁護する義務を負ふ。
簡単な疑問点
「擁護」という言葉が曲者だ。
「憲法改正の危機から守らねばならない」とも受け取れる。

だが、その一方で憲法96条で憲法改正を行っても
良い事が明記されている。
解釈では「擁護」は憲法遵守の事であって
「改憲をするな」の意味ではないようだ。

 もし、99条の「擁護」を根拠に、政治家による改憲発言を
憲法違反というのであれば、96条との整合性がとれなくなる。


 それにしても99条の条文で「擁護」ではなく「遵守」と書けば
誤解を招かずに済むのに、なぜ、そうなっていないのか。
 そこで再び、マッカーサー草案日本国憲法を見てみる事にした。

 草案では憲法91条になっている。
 すると驚くべき事を知った。

マッカーサー憲法草案の91条の中身
the emperor, upon succeeding to the throne,
and the regent, ministers of state,
members of the diet, members of the judiciary and
all other public officers upon assuming office,
shall be bound to uphold and protect this constitution.
all public officials duly holding office
when this constitution takes effect
shall likewise be so bound and shall
remain in office until their successors are
elected or appointed.
外務省訳
皇帝皇位ニ即キタルトキ並ニ摂政、国務大臣、国会議員、
司法府員及其ノ他ノ一切ノ公務員其ノ官職ニ就キタルトキハ、
此ノ憲法ヲ尊重擁護スル義務ヲ負フ
此ノ憲法ノ効力発生スル時ニ於テ官職ニ在ル一切ノ公務員ハ
右ト同様ノ義務ヲ負フヘク其ノ後任者ノ選挙又ハ
任命セラルルマテ其ノ官職ニ止マルヘシ

 そこで「uphold」と「protect」の意味を見てみる事にした。

英単語の意味
uphold (公約・原理・伝統などを)守る
維持する。支持する。
protect 保護する
(被害から)守る。保護する。

 なんだか嫌な感じがした。
 「protect」だと「遵守」ではなく、本当に「擁護」の意味だ。

 こんな時はグーグルで「protect law」の語句で検索してみた。
 検索結果を見て、「protect」の用法を確認していくと
法律関係で「protect」を使うのは、次のような場合である事がわかった。

法律で「protect」を使う場合
法律で「protect」を使う場合
主語を法や法律にして、目的語を「人・物・権利」にする。
要するに「法律によって、人・物・権利が守られる」という使い方だ。

 だが、マッカーサー憲法草案の使い方だと、以下のようになる。

マッカーサー憲法草案の「protect」の使い方
マッカーサー憲法草案の「protect」の使い方
主語が人で、目的語が法律になっている。
警備員が法律の周囲を取り囲んで守っているような感じになる。

 草案の時点で言葉の使い方が、おかしいとしか言いようがない。
 マッカーサーの憲法草案は、GHQの民生局のスタッフで作成されたが・・・

 憲法の素人が突貫工事で作成した物

 なのだ。

 言葉使いが間違えた英文の上、場合によっては外務省が
変な翻訳にしている場合もあり、日本語の憲法は
ヘンテコな文章になっているのだ。

 そのため文理解釈すると、おかしな事になってしまうのだ。
 改憲派と護憲派は

 ヘンテコ文章の解釈を巡って対立

 という不毛な事になっている気がしてしまう。

ヘンテコな文章
単にGHQ民生局の人達の言葉の選び方がおかしいだけなのか
それとも日本国憲法を改正できないように
意図的に「protect」を使ったのかは、わからない。

 ところで憲法は、日本国のあり方を規定する物だけに
ヘンテコ文章ではなく、日本人が容易に読めるような文章で
憲法の規定をする必要があると思う。


教育基本法に於ける愛国教育の巧妙さ  愛国心の事でmixiで話題になっていた。  ある人が教育基本法の話を書いていた。  教育基本法の第二条で教育の目標についての条文だ。
教育基本法 第二条五号(教育の目標について)
伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた
我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、
国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

 注目するのは最後の赤い部分だという。

 愛国心を持つように教育するのではなく

 愛国心を持っているような振舞を養う

 だという。


 その人が言うには愛国心を持たせるのは

 憲法19条「思想・良心の自由の侵害」

 に当たるため、文部科学省の役人は、憲法違反にならないように

 あくまでも態度を養う

 にしているという。


 図式化すると以下の通りになる。

教育基本法 第二条五号の意味
愛国心を持てという教育だと
愛国心を持てだと、憲法19条の内心の自由の侵害になる
教師・学校が「愛国心を持つように」と生徒を指導すると
生徒の内心の自由を侵害するため、憲法19条違反になる。
そのため、愛国心を育てようにも、育てられない状態になる。
教育基本法(愛国心があるような態度を取る場合)
愛国心があるような態度を振る舞えだと、憲法19条の内心の自由の侵害にならない
教師や学校は、生徒に対して、あくまでも「態度を示すように」と
指導する事で、憲法違反でなくなる。

図は極端な例だが、生徒が面従腹背であっても
教育基本法に定められた目標は達成された事になる。

 巧妙としか思えない。
 面従腹背でも良いという意味だ。

 表向きには愛国心を持っている態度をとっていても
内心は日本を貶める事を考える自由を保証した物になる。


 日本は実質的法治主義(法の支配)のため、憲法に反する法律を
制定する事ができないし、制定しても、司法の違憲立法審査権で
違憲判決が出たら、改正せざるえない。

 なので愛国心を強調する国会議員の人達を納得させながらも
上手に憲法違反を避ける条文になったというのだ。


大阪府の君が代条例の巧妙さ
この話を読む前に(2013/10/28)
この部分で、何人かの方から、内容についてご指摘を受けました。
そこで、私の言葉足らずの部分は補足しましたが
その他の部分は、修正しないで残しておいて
あとで、何が問題なのかを紹介する事にしました。

 大阪府には通称「君が代起立条例」がある。
 2011年6月3日に大阪府議会で可決された条例で
正式名称は「大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例」だ。

 当時、大阪府知事だった橋下さん(2013年10月現在:大阪市長)と
大阪維新の会を嫌う勢力は

 右も左も関係なく

 けしからん条例だ!

 で騒いでいた。


 だが、この条例を読むと、巧妙さを感じる。

君が代条例の巧妙な所
(1) 公立学校の公務中の教職員である事
(2) 入学式、卒業式での生徒、父兄は対象外
(3) 生徒、父兄、府民、教職員への意識改革を明記していない
(4) 条例化している点

 ところで君が代条例に対して、右も左も関係なく

 思想・信条の自由に反する

 と騒いでいる。

君が代条例に対する反応
左の人 軍国主義や皇民化教育の再来だ
右の人 天皇陛下は「強制するな」と仰った。
陛下のお言葉を無視する気か

 君が代条例に対して、どう感じようが自由なのだが
条文を読むと、思想・信条の自由の侵害ではなく、教職員に対して

 公務中は仕事として起立して歌ってね。

 なのだ。

 そして条例を読むと、教育基本法第二条第五号を踏襲している上
「愛国心を持っている態度を養う」が教育目標である以上は

 先生が見本になって愛国心がある態度を見せて

 というだけにすぎない。

 公務中の教職員に限られているのだ。
 もし、生徒・父兄にまで対象すると、君が代の起立斉唱の強制になり
憲法19条の

 思想・良心の自由への侵害

 になりかねないからだ。


 君が代条例は、あくまでも教職員が公務として行う事だ。

 もし、これを思想・信条の自由の侵害になれば
以下の事も「思想・信条の自由の侵害」と言えてしまう。

阪神百貨店で以下の事が行われた場合
巨人ファンの社員に阪神のハッピを着る命令を出した場合、思想・良心の自由に反しない
阪神百貨店で、巨人ファンの社員に対して
「阪神が巨人に勝ったから、阪神のハッピを着てセールしてくれ」と
業務命令を出した場合、思想・良心の自由を侵害するとは言えない。

 だが、以下の事は、確実に思想・良心の自由に侵害する。

阪神ファンになるのを強要された場合
私生活まで阪神ファンになるのを強要された場合
阪神百貨店で、巨人ファンの社員に対して
「阪神ファンになりなさい」と強要した場合は
個人の思想の自由の侵害なので問題になる。

 府内の公立学校の教職員であっても、公務中以外なら自由なのだ。
 子供の入学式、卒業式に父兄として参加した場合は

 起立しなくても良い自由

 はあるのだ。

 ただし、府民から白い目で見られたり「あの先生は」
と思われる覚悟は必要だ。

 自由主義世界の「行動に対する責任」になるのだ。

条例である事の重み


 2002年、大阪府教育委員会は国歌斉唱時に起立を求める
通達を出している。橋下さんが知事になる前の話だ。
 橋下さんの知事時代に、条例化している。

 条例になっているのが、民主主義を考える意味で重要になる。

 通達の段階なら

 職務命令

 の域を越えない。


 だが、条例化した事で、意味合いは大きく変わってくる上
重みも遥かに異なる。

 間接民主主義の日本では、大阪府議会は、大阪府民の代表者達の集まりだ。

大阪府議会は大阪府民の代表者達
大阪府議会は大阪府民の代表者達
大阪府民(有権者)は、参政権を行使して代表者を選ぶ。
だが、そこには投票結果に対する責任が伴う。

 大阪府議会で決定した事は民意であり、議会で決めた条例は
大阪府民の、みんなが決めた規則になる。

条例は、みんなで決めた規則になる。
条例は、みんなで決めた規則
間接民主主義の日本では、有権者の代表である
議会が決めた事は、「みんなが決めた規則」になる

 そのため条例を破る事は

 法治国家の否定

 だけでなく

 民主主義の否定

 になるのだ。

 ましてや公務中に公務員が条例を破る事は
もっと重大な問題をになるのだ。

公務中の公務員が、条例を破る事が大問題な理由
条例を破る公務員が大問題な理由
法治国家の否定、民主主義の否定だけでない
公務員には、公務中は政治的中立を求められるが
公務中に条例を破る事で、政治的思想の意志表示をする事に当たり
政治的中立を逸脱する行為になる。

 もし、君が代条例が違憲と思うのであれば
裁判所へ訴える自由(権利)がある。

君が代条例が違憲だと思ったら
君が代条例が違憲だと思ったら、裁判所に訴える事ができる
君が代条例が憲法19条に違反していると思えば
裁判所に判断を委ねる自由と権利がある。
裁判所の違憲立法審査権の活用だ。

 だが、反橋下派の人達は、このような論理に対して
まともに反論せず、無茶苦茶な論理を主張する。

 君が代条例について、mixiで議論に参加したのだが
以下のようなトンデモ発言に出会ってしまった。

反橋下派とのやりとり(1)
教師が規則(条例)に従わなければ
生徒に校則を守れと言っても説得力がない
相手A 悪法に対して服従せず
抵抗する事を生徒に示すべきだ。


反橋下派とのやりとり(2)
条例を故意に破る公務員は大問題だ
相手B 規定に従って罰則を受けたから
何ら問題ないはず


反橋下派とのやりとり(3)
民主主義の手続きを踏んで決められた条例を破るのは
民主主義を否定する行為ではないか?
相手C ナチスを思い起こさせるだけに
徹底的に戦わねばならない。

 さて、日本は法治国家である以上、故意に法を破ってまで訴えるのは
正しい方法ではない。
 あくまでも合法的手段として

 議員への働きかけ

 署名運動

 で動かしていくのが筋だろう。


 だが、反橋下派の人にとって

 悪法なら破っても良い

 が正義であり、彼らにとってのモラルに当たる。

 そのため反橋下派の主張を見ると岡本薫さんの
「世間さまが許さない」の

 法律よりもモラル優先

 といった感じがした。

 巧妙に作られた君が代条例。
 橋下さんが作った条例だけに、反橋下派が過剰反応(?)し
法治国家の決まりを否定してまで「橋下けしからん」に走る姿は
日本人が法治主義・民主主義に向いていない事を示していると思う。


君が代条例の話に対するツッコミ(2013/10/28追加)  君が代条例の話に対して突っ込みがやってきた。
法学部出身のある方のコメント
「国民の健全なる法感情に従う」つう考え方があって
まさにデュー プロセス オブ ローなんだけど
最後の最後に来て

「感覚で判断かよ?!」

ってずっこけますよ。

 「感覚で判断」というツッコミだが、別の方が
的確に指摘していた。

 君が代不斉唱は政治的活動とは言えない

 私が以下の絵を載せていた事に対するツッコミだ。

公務中の公務員が、条例を破る事が大問題な理由
条例を破る公務員が大問題な理由
法治国家の否定、民主主義の否定だけでない
公務員には、公務中は政治的中立を求められるが
公務中に条例を破る事で、政治的思想の意志表示をする事に当たり
政治的中立を逸脱する行為になる。

 私は故意に条例を破った公務員は、明らかに政治に対する反抗であり
政治活動にしか思えなかった。

 だが、私の考えに対して、以下の指摘を受けた。

 菅さんのモラルを表したものになります

 そして、以下の事を教えてくださった。

 地方公務員法で政治活動の内容が規定されている

 そして地方公務員法の第36条を紹介してくださった。
 確かに地方公務員法36条を見ると、政治行為の制限が規定されている。

地方公務員法の第36条(政治行為の制限)
第1項 職員は、政党その他の政治的団体の結成に関与し、
若しくはこれらの団体の役員となつてはならず、
又はこれらの団体の構成員となるように、
若しくはならないように勧誘運動をしてはならない。
第2項 職員は、特定の政党その他の政治的団体又は
特定の内閣若しくは地方公共団体の執行機関を支持し、
又はこれに反対する目的をもつて、
あるいは公の選挙又は投票において特定の人又は事件を支持し、
又はこれに反対する目的をもつて、
次に掲げる政治的行為をしてはならない。
ただし、当該職員の属する地方公共団体の区域
(当該職員が都道府県の支庁若しくは地方事務所又は
地方自治法第二百五十二条の十九第一項 の指定都市の区に
勤務する者であるときは、当該支庁若しくは地方事務所又は区の所管区域)
外において、第一号から第三号まで及び第五号に掲げる政治的行為をすることができる。

(1号)
公の選挙又は投票において投票をするように、又はしないように勧誘運動をすること。

(2号)
署名運動を企画し、又は主宰する等これに積極的に関与すること。
(3号)
寄附金その他の金品の募集に関与すること。
(4号)
文書又は図画を地方公共団体又は特定地方独立行政法人の庁舎
(特定地方独立行政法人にあつては、事務所。以下この号において同じ。)、
施設等に掲示し、又は掲示させ、その他地方公共団体又は特定地方独立行政法人の
庁舎、施設、資材又は資金を利用し、又は利用させること。
(5号)
前各号に定めるものを除く外、条例で定める政治的行為
第3項 何人も前二項に規定する政治的行為を行うよう職員に求め、
職員をそそのかし、若しくはあおつてはならず、
又は職員が前二項に規定する政治的行為をなし、
若しくはなさないことに対する代償若しくは報復として、
任用、職務、給与その他職員の地位に関して
なんらかの利益若しくは不利益を与え、
与えようと企て、若しくは約束してはならない。
第4項 職員は、前項に規定する違法な行為に応じなかつたことの
故をもつて不利益な取扱を受けることはない。
第5項 本条の規定は、職員の政治的中立性を保障することにより
地方公共団体の行政及び特定地方独立行政法人の業務の
公正な運営を確保するとともに職員の利益を保護することを
目的とするものであるという趣旨において解釈され、
及び運用されなければならない。

 これを読むと確かに

 公務員が故意に条例を破る事は政治行為にあたらない

 なのだ。
 もし、故意に法令や条例を破る事を「政治活動」とするには

 法で規定、もしくは裁判所の認定(判例)

 が必要になる。
 もちろん、日本の場合、成文法主義なので裁判で「政治活動」と
認定されても、その事例のみに効力があって、他の事例には
「政治活動」という法的認定にはならない。


 ところで君が代条例で、不起立教員に対して処分が行なわれた。
その根拠も地方公務員法にある事を教えてもらった。

地方公務員法
第32条 職員は、その職務を遂行するに当つて、
法令、条例、地方公共団体の規則及び
地方公共団体の機関の定める規程に従い、
且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。
第33条 職員は、その職の信用を傷つけ、
又は職員の職全体の不名誉となるような行為をしてはならない

 条例を破るのは、第32条違反になる。
 故意に条例を破る行為を行なう事で、教員の職に対して
信用を傷つけた事に当たる場合もある。

 もし、地方公務員が法令や条例を破った場合
地方公務員法29条1項が適用される。

地方公務員法29条1項
職員が次の各号の一に該当する場合においては、
これに対し懲戒処分として戒告、減給、停職又は
免職の処分をすることができる。

(1号)
この法律若しくは第五十七条に規定する特例を定めた法律
又はこれに基く条例、地方公共団体の規則若しくは
地方公共団体の機関の定める規程に違反した場合

 条例違反になるため、処分になった。


 あと、公正さを保つには

 処分された教員が訴訟を起こした事

 を書く必要があると言われた。

 実際に、処分後に、処分を巡る訴訟が起こったし
最高裁での判決も出ている。
 君が代不起立、停職・減給は「慎重に」 最高裁(日経新聞:2012/1/16)



 あと、自分で気づいた誤解を書く事にした。
 もし、君が代条例が違憲立法と思うなら

 条例を破る前に、先に司法の場で争うべきだ!!

 と考え、以下の事を書いた。

君が代条例が違憲だと思ったら
君が代条例が違憲だと思ったら、裁判所に訴える事ができる
君が代条例が憲法19条に違反していると思えば
裁判所に判断を委ねる自由と権利がある。
裁判所の違憲立法審査権の活用だ。

 だが、あとで調べてみると

 違憲立法と思っただけでは訴訟ができない

 のだ。

違憲立法と思っただけでは訴訟ができない
違憲立法と思っただけでは訴訟ができない
日本の場合、個別の法律や条例に対して憲法違反を
訴える事ができない。

 もし、法律・条例が憲法に反する事を訴えるには
以下のような具体的な事例がなければ、訴訟が起こせないのだ。

具体的な例があって初めて違憲立法審査ができる
具体的な例があって初めて違憲立法審査ができる
事件や処分があった場合、適用された法律・条例が
憲法違反であると思った場合、訴訟ができる。

そのため君が代条例が違憲かどうかは、教員が処分されて
不服とした教員が訴訟する形になる。

 条例を破らないと、条例の違憲性が問えない

 という、変な状態なのだ。


 ところで君が代条例の訴訟を見る。
 大阪のネタだけを取り上げる予定だったが、東京での訴訟もある。
 2011年に東京での裁判では

 君が代起立命令は合憲

 と出ている。
 君が代「起立命令」合憲判決 最高裁が初判断(J-castニュース:2011/5/31)

 東京の条例は読んでいないので、大阪の条例との違いが見えないが
東京の君が代条例が憲法19条の「思想及び良心の自由」に
反するかどうかの争いで、合憲判決が出ているのだ。


 ところで大阪の判決報道を見ると

 処分が裁量権を上回るかどうか

 が争点になっている。合憲・違憲ではなさそうだ。
 成文法主義なので東京の判例が、大阪の裁判への法的拘束力はないが
合憲かどうかの争点で争っても、合憲が出たかもしれないが
それは私の推測の域を越えないのだ。

長野県の「信濃の国」の斉唱について(2013/10/28追加)

 君が代条例の話をfacebookで書いていると
長野県出身の方から

 長野県では入学式・卒業式では

 君が代ではなく「信濃の国」を歌うよ

 と教えてくれた。

 「信濃の国」は長野県歌だ。
 長野県民は全員、県歌"信濃の国"を歌えるってホント!?(マイナビニュース:2012/10/11)


 右の人からは

 国歌を歌わないとは何事だ!

 と言われそうだが、教育基本法の第二条第五号の教育の目標を見ると

 目標を達成するための正しい行為

 なのだ。

教育基本法 第二条五号(教育の目標について)
伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた
我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、
国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

 「信濃の国」を歌う事で教育目標である

 郷土を愛する態度を養う

 を実践しているのだ。


 ふと思った。
 島崎藤村の出身地の旧・長野県木曽郡山口村(現在:岐阜県中津川市)だ。
 長野県時代、生活圏が岐阜県中津川市という事で、利便性の意味から
越境合併を望んでいた人が多かったという。

 そして島村藤村を巡って、長野県と岐阜県が取り合いをしていた話もある。

 2005年2月に岐阜県に越境合併される前までは長野県だったので
当然、入学式・卒業式には「信濃の国」が歌われていると思うのだが
教員や父兄の中に・・・

 俺の心は岐阜だから

 信濃の国を歌うのを拒否する

 という人はいたのだろうか?
 その辺が興味津々なのだ。


最後に  法学を勉強しはじめて2年がかりで、ここまで辿り着きました。  「急がば回れ」の発想で、法律の考え方から入っていくと 日本史、世界史・哲学・道徳・政治制度などの知識が要求されるため とても骨が折れる作業でした。  それに法律の素人が独学で勉強した内容なのでツッコミ所は満載だと思います。  遠慮なしに突っ込んでくださるのを期待しています。ただし、お手柔らかに (^^)  これを機会に、今後、ITと法律関係の話も書いていきたいと思います。

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