システム奮闘記:その1
はじめに 2000年1月、めでたく年明けを迎えられた。 巷では、2000年問題のため、アメリカやロシアのコンピューターが 誤作動を起こして、核弾頭が誤射される不安を抱えていたが、 無事、ミレニアムを向かえることができた (^^) 世間では、IT化、ネットワーク化時代と叫ばれていた。 うちの会社でも、時代の波に乗り遅れまいということで、 インターネット接続の話が出てきた。 しかし、うちの会社では、パソコン人口が少ない上、 インターネットとは何かを知らない社員が、ほとんどを占めていた。 当時、社内にはAS/400、Windows98の入ったパソコン、社内LAN、 そして本社と営業所を結ぶフレームリレー回線があった。 しかし、全て業者に設定してもらった上、パソコンを使うといっても ワード、エクセルと、P-COMMと呼ばれるAS400のエミュレーターぐらいだった。 その時、私はどうだったのか。 学生時代、UNIXを触っていた事があったぐらいで、サーバーに関する事や、 ネットワークに関する知識はなかった。 そのため、インターネット回線を引くといっても 何をどうして良いやら全くわからなかった! その上、当初は自社サーバーという方向で話を進めてはいなかった。 そこで、昔からお世話になっているJ社に相談することになった。 さっそく、J社の営業マンが来て説明にしきた。 いくつかの方法が提案された。
J社からの提案 | |
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その1 | |
とりあえず、社内間で通信をできるようにする。 フレームリレー回線を使ってファイル共有を行なう。 本社の1台に文章を置いたり書き込んだりして、通信をする。 いわば、Windowsネットワークの共有を行なう。 | |
その2 | |
本社と各営業所が、それぞれプロバイダーに加入し、 ネット接続の時に、ダイヤル・アップする。 | |
その3 | |
本社〜営業所間の回線は既存のフレームリレー回線を利用。 サーバーはレンタルか自社のどちらかで専用線を引くか、 レンタルサーバーで、ネット回線はダイヤルアップにする。 |
さっそく、社内で検討に入った。 そして、検討の結果が以下の通りになった。
検討結果 | |
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その1 |
時間を決めて書き込まないと、誰も読まなかったりするため 実用的でないため却下。 |
その2 |
即、却下になった。 理由はダイヤル・アップをし続けて、バカ高い料金をとられたり 誤って、ダイヤルQ2にアクセスして、どんでもない請求書が来る 可能性が否定できなかった。 |
その3 | これが良いとなった! |
「その3」の方向で話が進む事になった!ダイヤルアップか専用線か?
さて、インターネット接続。 ダイヤルアップにするか、専用線にするかで、議論が分かれた。 あまり用途がなければ、ダイヤルアップの方が安いが、頻繁に使えば、 専用線の方が安くなる。 インターネットを使った事がない社員ばかり。 そのため、メールやWebなどの便利さなどを知らないため あまり使わないだろうという意見があった。 ダイヤルアップに話が傾きかけていた。 大抵の中小企業のインターネット導入時は、いきなり専用線や 自社サーバーを導入せずに、プロバイダーと契約して、 ダイヤルアップ接続を行ない、メールアカウントは、 プロバイダーのドメインの入った物を使う方法がとられる。 これだと手軽で手っ取り早い。 しかし、既に、学生時代にネットサーフィンの味を覚えた私。 過去の経験からいくと・・・ インターネットはハマると抜けられない! を知っていた。 そこで私は「あまり使わないのは最初の頃だけです。便利だと思い使い出したら、 ダイヤルアップは高くなりますので、専用線にした方が良いです」と主張した。 あまりにも回線費用が高いと「ダイヤルアップ」という事になるが、 ISDN64Kの専用線タイプなら、使い倒した場合は、お得な価格と言えたので、 専用線を主張した。 私の主張が通った (^^)V 次にドメイン。レンタルサーバーする場合でも、自社ドメインを取得できる。 J社の人は「自社ドメインを取得されるのをお勧めします」と言った。 J社の人に限らず、社長も「うちのドメインを取得しようや」と言ったので、 自社ドメインを取得する事になった。 いくつか候補が挙がった。どれが良いかなぁと思ったが、 JPNICに問い合わせると 候補の全てが既に取得されていた (TT) さぁ困ったという感じで、次なる候補を考える事になった。 ミレニアムという事もあり、うちの会社の名前の後ろに「2000」を付けるとか、 会社名の後ろに、株式会社の意味の「K」を入れるなどの案が出た。 私が「会社名、ドットTO」にしましょうと提案した。 もちろん、「ドットTOは、どういう意味や?」と聞かれたので、 「トンガのアドレスです」と答えると、「そりゃ、ヤバイで」と突っ込まれた (^^;; トンガドメイン。知る人ぞ知るドメインなのに・・・。 色々、候補が挙がっては消えていったが、最後は意外な結末で決まった。 一つの候補が挙がった。幸い、まだ取得されていない事がわかった。 この時は、他の候補を探そうという雰囲気があった。 しかし、ある日、社員の一人が口を滑らせ、お客さんに、その候補のドメインを 話をしてしまった。 それを聞いた社長は「外部に漏れたら、他社に取得される危険性がある。 早く、これで取得しろ」という命令が下った。そして、ドメインが決まった。 紆余曲折しながら決まったドメインだった。 さて、ドメインを決めるのと同時進行で、サーバーやネット接続の手続きなどを 進めていった。レンタルサーバーか自社サーバーか
サーバーをどうするかが問題になった。 レンタルサーバーを利用するのか、それとも自社サーバーにするのか、 2つの選択肢があった。 今、思えば、ウイルスメールや、システム管理の手間を考えると、 レンタルサーバーという手があったし、そちらの方が良いという考えもできる。 しかし、その時はJ社の人に 拡張性のことを考えたら自社サーバーが良い と言われたので、そのまま自社サーバー構築の話でいく事になった。 J社の人は、インターネットサーバーの提案しにやってきた。 内容は、既存のAS/400に手を加え、TCP/IPのプロトコルを使用可能にして メール、Webサーバーにしようという案だった。 インターネットサーバーといえば、UNIXが定番というのが頭にあった私。 AS/400を使ったサーバー提案なので・・・ なんじゃそりゃ? と思った。 J社の人の話を聞く事にした。AS/400を、ロータスノーツサーバーにして メールだけでなく、営業日報や経費申請(いわゆるグループウェア)をつけた システムの提案だった。 もっと話を聞くと、AS/400独自のメールの暗号化などの話をしだした。 私が「それだと、もし、メールサーバーをUNIXに交換する時に、 不都合が出ますよね」と聞くと、J社の人は「そうですねぇ」と答えた。 私は直感的に・・・ これはマズイ! と思った。 このままでは、サーバー関係が、J社に握られる危険性を感じたからだった。 それに機械が好きな私。 一度は、サーバーを構築してみたいという気持ちがあった。 そのため「自分達でサーバーを立ち上げた方が良いのでは」と思った。リナックス(Linux)を選択
学生時代、UNIXを触った経験のある私は、FreeBSDやLinuxを使えば、 安価なDOS-Vでもサーバ構築できることを知っていた。
実は私は、元・FreeBSD派だった (^^) |
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私がFreeBSDに出会ったのは、1995年だった。当時、大学3回生。
パソコンでUNIXができるという事で、大学の先輩に勧めれ
研究室の余ったパソコンにインストールしたのが始まりだった。
適当にインストールしたのに、問題なくインストールができた。
当時は、今のLinuxのような便利なインストーラーがないため、
X-Windowsを動かすため、XF86Configという設定ファイルを
触る必要があったが、先輩に教えてもらったため、なんとかできた。
Linuxに出会ったのは、翌年の1996年。研究室の同期のT君が
パソコンにインストールしたのを聞いて、私も真似をしてみたが、
私がインストールしようとしたが、インストールに失敗。
何回か挑戦するが全くインストールできなかったため挫折。
そして「俺はFreeBSDを使うぞ」と決めた。
それから2000年まで、Linuxを触ることはなかった。
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以前は、FreeBSD派だった私。 といっても、Linuxは、嫌いではなかった。 単に、インストールがうまくいっただけで、FreeBSD派になっていた (^^;; ところで、本当にFreeBSD派なら、何も迷わず、FreeBSDを選ぶのだが、 私の場合、単にインストールに失敗して挫折しただけなので、 「FreeBSDだけしか使わない」という強い信念があるわけがない。 Linuxといえば、1999年頃から日経新聞などでLinuxという記事が出ていた。 社会はLinuxの方向へ向かっているのは、新聞記事などで感じとれた。 さて、どちらを選ぶかだが、あまり深く考える事なく、時間が経っていった。 ある日、大学時代の後輩M君と会った。 彼は自慢げに「僕の記事が雑誌に載りました」と言った。 私は「凄いなぁ」と思って、雑誌を手にとった。 雑誌の名前は、アスキーから出ている「テック リナックス」だった。 数日後、私は後輩M君が書いた記事を、じっくり読もうと思い、 「テック リナックス」を買った。 残念ながら、M君が書いた内容は難しくて、私の理解の範疇を越えていたが、 他の記事が参考になった。 ソニー・エンタテイメントの執行役員の方のインタビューで、 プレステ2の開発にLinuxが使われている話だった。 他に、日立がLinuxを本格サポートなどが書かれていた。 この時、私は、Linuxサーバーの浸透が進んでいると 早とちりしたのだった (^^;; そのため 社会がLinuxに向かっているからLinuxで行こう! と思った。 忍法「変わり身の術」なのか、単なる無節操なのか (^^;; この早とちりで、OSはLinuxという方向が定まってきたのだった。
業者とのやりとり 再び、J社の人がやってきた。 そこで私が「サーバーにLinuxを使えば安くできるのでは」と突っ込んだら、 J社の人は次のように言った。 Linuxは無料OSですが、サポートがありませんし うちでは、とてもサポートはできませんので 責任もってシステムを提供できません だった。そう言われると Linux導入に不安がよぎる (--;; 何せ助けてくれる人がいないからだ。 さて、サーバー構築をどう進めていくかの話になった。 J社の人から「IPマスカレード」という言葉が出た。 IPマスカレードって何? 知ったかぶりをしない私。カッコつけて知ったかぶりをすると、 後で、話が食い違ってモメ事になったり、仮に、悪い業者を相手にしていると、 知ったかぶりを利用されて、騙されたりする。業者にとっては、正直な素人が 恐いもの。私は、正直な素人の態度をとることにしている。 私は「それって何ですか?」と聞いたら、IPが割り当てられるのが8つなので、 社内のプライベートIPとの変換する物だという事を教えてくれた。 この時、私は初めて、プライベートIPの存在を知る。 社内にはLANがあり、IPアドレスは、192.168.X.Yなので、社内のパソコンは プライベートIPを割り振っているのだが、当時、私は、LANを構築したJ社が 勝手に割り当てたIPだと思い込んでいた (^^;; もちろん、プライベートIPを知らない上、IPマスカレードも知らないため、 インターネット接続時に、プロバーイダーから割り当てられたIPを 社内のパソコンに、振り分けていくと思い込んでいた。 えらい手間がかかるなぁと思っていたが、そうでない事がわかり、ホットした。 ちなみに、最初、私は、クラスCのIPが割り当てられると思っていた! 次に、ファイヤーウォールの話が出てきた。 そこでJ社の人が「DMZ」と言い出した。 DMZって何やん? J社の人に「DMZは何か」を聞く事にした。
J社の人が書いてくれたDMZの概略図 |
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上の図のようにインターネットと社内LANの間に中間の領域を設ける。 この中間の領域をDMZ(非武装地帯)と呼び、その領域にサーバーを立てる。 インターネットと社内LANの間に2重に関所を設けて 安全を確保するという構成だ。 もし、サーバーが攻撃されて、サーバーが乗っ取られても 社内LANまでは侵入されていないため とりあえずの安全は確保できるという仕組みなのだ。 |
それにしても、インターネットの世界と、LANのネットワークとの間の ネットワークのエリアの事をDMZ(非武装地帯)と言うのか、疑問に思っていた。 なぜなら、セキュリティー対策などをしていたら、非武装ではなく 武装しているため、言葉に矛盾を感じていた。 最近になって、わかった。 よく敵対している国同士の国境に、緩衝エリア(非武装地帯)を設けていて 紛争防止などをの役目を果たしている。 代表例が韓国・北朝鮮の国境(北緯38度線)にあたる。 そこで、ネットワークの緩衝エリアも、同じように非武装地帯と言うようになった。 ちなみに、韓国・北朝鮮との間の非武装地帯は、人が入れないため、 野生動物の保護に役立っているのは、緊張がほぐれる話だ。 話は元に戻して、もし、DMZを知らずに私がネットワークを構築していたら 次のような構成にしていたと思う。
こんな構成にしていたかも (^^;; |
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外の内との間を、ファイヤーウォールを設けて、 サーバー類は、LANの中に組み込む構成だ。 今、思えば、上の図の構成は、危険な構成だと思う。 当時、上の図が恐いというのは、意識していなかった (^^;; サーバーに侵入されたら、LAN内に侵入されたのと同じになる。 そういえば、2000年2月の神戸商工会議所のITセミナーで、 上の図のような構成で、ネットワークを構築した会社が、 ネットの話をしていた。今、思えば、恐い構成だと思うが 当時は、こういう構成があるのかというぐらいにしか思わなかった。 |
業者から見積り金額に仰天!
さて、J社から見積もりがやってきた。 営業所や本社のパソコンの設定変更から、ファイヤウォール(SonicWall)など 付けての見積もりだった。 なんと見積もりの金額が・・・ 軽く100万円を越えていた!! 私は「こりゃ、高いぞ。10万円のDOS-VにLinuxを入れたら もっと安くできるのに・・・」と思った。 しかし、Linuxでサーバー構築した経験がなかったため、 自力で構築できる自信も保証も全くない。 そのため、「責任回避」というサラリーマン根性も働き、静観することにした。 なぜなら「自力で構築」と主張した場合 構築に失敗した時が恐いもーん (^^;; だった。 そして、本社の人達が集められた。 J社の見積もりを見た役員の1人は インターネットって、こんなに高いんか と驚いた様子だった。 一応、頑張れば自社でもできる可能性を示すために、 私が「10万円のDOS-VにLinuxでしたら、もっと安くできます」と発言。 しかし、「君が交通事故で死んだら、誰が面倒みるかが問題だなぁ」 という声が出た。 そのため、自社でサーバー構築は白紙になった。 そして、J社にサーバーを構築してもらう方向に進んでいった。ホームページ(Web)が何かを知ってもらう
さて、インターネット接続に向けた準備。 目的は、メールとWebだが、社内で知っている人は、ほとんどいない。 そのため、何が目的でインターネット接続を行なうのかが理解されないため 「なんで高い費用をかけてまで、インターネット接続するのか」という疑問の声が 社内にはあった。そこで「百聞は一見にしかず」なので、 メールとWebが具体的に、どういう物か本社の人に実物を見せようと考えた。 まず、Webがどういう物かを実物を見せようと考えた。 社内のあるマシンにFrontPageがインストールされていた。 以前、FrontPageを使ってWebサーバーが構築できる話を聞いた事があった。 そこで、少しいじってみると、Webサーバーが立ち上がる事がわかった。 簡単なコンテンツを作成して、IEを使ってコンテンツを同僚に見せて 「これがWebです」と教えた。 うちの会社の最初のWebサーバーは・・・ Windows98だった!! ふと思った。本社・営業所間だけでもWebが使えないのか。 これを使うとホワイトボード代わりになると考えた。 本社と営業所間は、フレームリレー回線で結ばれている。 J社の人の話では、SNAのプロトコルのパケットが通るだけで、 TCP/IPIPのパケットは通らないと言っていた。 私は、これに疑問を持っていた。ping コマンドを打てば 営業所のパソコンは反応を示す。だったら、TCP/IP通信ができるのではないか。 でも、困った事に、営業所に人はパソコンすら使えない人ばかりなので、 IEの設定などできるわけがない。実験をしたくても、できない・・・。 でも、実験する機会は、すぐにやってきた。 ある日、私は用事のため、休みをとって岡山へ行くことになった。 この時「ついでに、岡山営業所へ立ち寄って実験してみよう!」と思った。 会社の了承が得られたので、喜んで確かめに行った。 さっそくIEの設定をした。本社に電話をかけて、Webサーバーを 立ち上げてもらった。
岡山から本社へ接続する実験の様子 |
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早速、IEのURLの記入欄にWebサーバーのアドレスである http://192.168.X.Y/ を入力した。 でも、全然、見ることができない (TT) なんで、ping が通るのに、Webサーバーが見れないのか。 当時、全く原因がわからなかった。 やっぱりJ社の人の言う通り、TCP/IPのパケットは通らないと思った。 この理由がわかったのは、3年の月日を要した。
Webが見れなかった理由 |
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実は、pingがTCP通信ではなく、ICMP通信である事を知らなかった。 当時、私は、IPを使った通信は、全てTCP/IP通信だと思い込んでいた (^^;; 本社と営業所の間にあるルーターの設定は、SNAプロトコルと、 回線の導通確認ができるように、ICMPを通すだけになっていた。 そのため、pingはできたが、Webは営業所では見れなかった。 ちなみに、ICMPという物を知ったのは、2003年になってからです (^^;; |
本社〜岡山間の実験に失敗した私。でも、全く落ち込んでいなかった。 実験はできたし、会社が負担した費用も岡山駅から営業所までの交通費なので、 会社も「アカンかったのか。まぁ、しゃーない」という感じだった。 神戸から岡山までの新幹線の費用まで会社負担だったら、怒られる所だったが (^^;;
自力でリナックス(Linux)サーバー構築を選択
J社に外注という形で、自社サーバー構築の方向へ話が進んでいったのだが、 話は急展開する事態になった。 それは会議の結果を聞いた社長だった。 社長は「なんじゃこれは! こんなに費用がかけられるか!」 という反応だった。 しかも、私が推進したと思い込んだ社長は「あいつは、けしからん!」と 言っていたという。 それを知った私は・・・ 冗談じゃねえよ! なんで俺が悪者扱いになるねん!! と思った。 私自身、バカ高い見積もりには疑問を感じていた。 しかし、私がバカ高い見積もりの方向で進めていると、社長が誤解しているので 決して良い気分ではなかった。 そして、運命の分かれ道
私が取るべき選択はどっち? | |
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(1) |
失敗などのリスクを回避し、無難に外注に任せるように社長を説得 つまり、サラリーマン根性と責任回避で社長を説得する。 |
(2) | 失敗を覚悟でLinuxのサーバーを構築するか |
選択枝は1つしかない。悩んだ挙げ句、こう考えた。 どーせ、文句を言われるなら、自分の思った事をして失敗して方がマシや! それやったら、社長のお望み通り、安いシステムを入れようやないか! 態度を、うやむやにして、誤解されるくらいなら、ハッキリした態度を出して 文句を言われた方が、まだ、マシに決まっている。 そこで、自力でLinuxでサーバー構築するしかないと考え、腹をくくった。 それに、機械いじりの大好きな私。 一度はサーバー構築をやってみたかった (^^) もし、サラリーマン根性を出して、J社にサーバー構築を依頼していたら、 このページの執筆は100%なかった!! さて、J社ではなく自力でサーバーを構築する方向へ持っていく必要がある。 そこで、まずは、上司に「自社でLinuxサーバーを構築しましょう」 ともちかけた。 上司は「俺は、ようわからんから、業者の人に相談してみるわ」と返事をした。 「Linux」という言葉。1999年の秋くらいから日経新聞などでも ポツポツ出てきてはいたが、まだ、一般的ではなかった。 そのため、社内で「Linux」という言葉を知っていたのは、私だけだった! 上司は、J社の人に、自社でLinuxサーバー構築の話をした。 J社の人は「やめておいた方が良いです。どこもサポートしてませんし、 うちでもLinuxは扱えないし、何かあっても、うちでは対処できませんよ」と言った。 さて、J社の人の話を聞いた上司。 どこもサポートしていない上、無料OSという事もあって、 Linuxは粗悪品 という印象を持ってしまった (--;; 私は「あちゃー。すっかりJ社に丸め込まれたなぁ」と思った。 そのため、私が「Linuxを導入しましょう!」と言っても、 上司は「いくら無料でも、粗悪な物を入れるわけにはいかないよ」 という返事だった。 今、考えれば、J社の人の言う事は、よくわかる。 サポートも何もない状態で導入となれば、何があっても自己責任となる。 それに、J社とて、当時、キチンとしたメーカー保証がされていないOSを メンテする程、勇気のある行動はできなかったと思う。 しかし、当時の私は 無料OSで儲からないからJ社はLinuxはやらない! と思っていた (^^;; また、オープンソースを知らない上司が、業者が勧めない無料OSは、 粗悪品だと思うのは仕方がないと思う。上司を説得する作戦
これは困った。なんとかして上司を説得せねばと思った。 いくら良い物を入れるといっても、周囲が納得せずに、強引に導入するとカドが立つ。 そこで、Linuxの成功事例を集めて、まずは上司を納得させる必要があった。 そこで、上司を説得するべく資料を作成する事にした。 ここで上司の説得に使った資料を公開いたします。 当時のままの内容を無修正なので、目茶苦茶な事も載っています (^^)
上司を説得した時の資料 | |
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資料1 | 資料2 |
資料3 | 資料4 |
資料5 | 資料6 |
資料7 | 資料8 |
資料9 | 資料10 |
資料11 | 資料12 |
資料13 | 資料14 |
資料15 | |
この資料の中で、とんでもない大間違いをしていた。 資料7になんと・・・ アメリカのリ─ナスさんと書いているのだ!! リーナスさんはフィンランド人だ。決してアメリカ人ではないのだ。 なのでLinuxを触る者として犯してはいけない過ちをしてしまったのだ (^^;; その誤解、1999年にNHKスペシャルでLinuxの事が取り上げられた時に、 リ─ナスさんがアメリカのトランスメタ社に勤務していると紹介していたため、 おそらく私は、リ─ナスさんが、アメリカ人だと思っていたとのだ考えられる (^^;;; それに「リ─ナス」なのに「リナース」になっているし・・・。 また、資料11の内容で「一般ユーザーへの浸透が進んでいる」と書いているが、 今、どう考えてもLinuxの誇大広告だ。 でも、この当時、前述しました雑誌「テックリナックス」の影響を受けて 私は、LinuxはサーバーOSとして浸透していると思い込んでいた。 ワルな私は、最後の資料15に、こんなことを書いた。 J社がLinuxを勧めないのは、無料OSなので儲からないから これを見た上司がニヤニヤしながら・・・ この部分だけをJ社に見せようか と言った。 次にセキュリティーに関する資料を上司に見せた。 ファイヤーウォールを購入するかどうかで、J社の人が「安全」を強調したため 上司は「入れんとマズイやろ」と思い込んでいた。 だが、高価な物な上、どんなに完璧にしたくても不可能な現実がある。 しかも、世界最強のセキュリティーを誇るアメリカ国防省や AT&T社でも、侵入されるため、常に監視している現実がある。 「業者が安全というのは誇大広告」という内容の資料を作成した。
上司を説得した時の資料 | |
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資料1 | 資料2 |
資料3 | 資料4 |
資料5 | 資料6 |
資料7 | 資料8 |
資料9 | 資料10 |
資料11 | 資料12 |
もっともらしい事と、目茶苦茶な事を書いている資料なのだ。 実際は、自力でファイヤーウォールを構築できるだけの実力はなかった。 だが、思い込みは恐いもので「自力でファイヤーウォールはできる」と 思っていたため、こんな資料になった。 なので、結構、突っ込み所がある資料になったが、それでも当時は、 自信満々で作成して、上司や関係者に渡して説明を行った。 そのおかげで、上司は自力でのLinux導入と、ファイヤーウォールの 購入の見送りに納得してくれた。 自信満々で説明したお陰で、上司を簡単に説得できた! もし、自信なく上司に説明したら、あやふやに聞こえるため、 上司は資料の内容に疑問を持ったと思う。 そういう意味では、堂々と自信ありげに話した方が効果があると思った。 早速、社長に「Linuxでサーバー構築したら、もっと安くできます」と報告。 社長は・・・ リナックス(Linux) ? なんじゃ、そりゃ? という返事だった。メールが何かを知ってもらう
インターネット導入に向けての準備を行う。 Webという物は、Windows98を使って実物を見せる事ができた。 次に、メールだった。さて、どうしようかと考えた。 確か、Windows95同士だとLAN内でメールができたはずだと思って、 Windows95についているメールソフトを使おうと考えた。 社内には、Windows95のマシンは1台しかなかったので、 Windows98のマシンに、同じソフトを入れて、実演しようと考えたが、 うまくいかなかった。色々、試したが無理だったので、諦めた。 もう少しで、Windows95が最初のメールサーバーになる所だった!! メールの実演ができなかったものの、まぁ、いいかと思った。 さて、Linuxサーバー立ち上げだが、学生時代に、インストールに失敗し 「俺にはLinuxは無理」というトラウマがある。 Linuxは難しいという印象があったのだが、Linuxのインストールの 再挑戦という事で、雑誌「テックリナックス」についていた 付属CD-ROMのLinuxをインストールしてみようと思った。 幸い社長のお古のパソコンがあった。 社長が「もう、いらんから、自由に使って、かまへんで」と言ったので、 使わしてもらう事にした。 早速、CD-ROMを入れてインストール作業をしたら、簡単にインストールできた。 1996年にインストールした時、途中で、わけがわからなくなって挫折したが、 インストーラーが発達したのか、簡単にできた。 Linuxサーバーといっても、設定の説明書もなければ、何もない。 しかし、いきなりメールサーバーができた。 特に、sendmail.cfファイルなどを触っていなかった。 2006年時点での推測なのだが、この時、デフォルトでsendmailデーモンが 起動したため、ローカルでのメールの配信は可能だったと思われる。 各人のパソコンの、OutlookExpressに、smtpとpopの設定を行い LinuxサーバーのIPを割り振ったら、簡単にメールサーバーができた。 そこで、社員のアカウントを作成して、本社の人同士でメールのやりとりを 可能にした。実際に、触ってもらう事でメールとは何か知ってもらう事にした。 結構、これが当った。与太話などが流れて、一種のチャットみたいな物になった。 最初のメールサーバーは、Linuxだった! 数日後、社長に「社内メールで、遊びながらメールを覚えてもらっています」と 報告すると、社長が「おっ、そうか。ええこっちゃ」と返答した。サーバーはリナックス(Linux)導入に決定
ところで、うちの会社の社長は、パソコン好き。 パソコンの知識では負けず嫌いな所があるみたいで、密かに、Linuxに関して 調べまくったみたいで、ついこの間まで「Linuxは、なんじゃ」だったのが、 ある日、社長が「Linuxは、流行り出しているなぁ」と言ってきた。 Linux導入が良いと思い始めた社長。私は、Linux導入まで、あと一息と思った。 最後は、見積もりを出して、安くサーバー構築ができることを証明するだけ。 しかし、サーバーといっても、ドライバーなどの対応や、ハードの相性の 問題がある。私は、そんな知識がなかったので、Linuxに詳しい友人や、 大学時代の先輩・後輩に電話をかけまくり、どのパソコンが良いかなど聞きまくった。 Linuxのドライバーが対応しているハードを寄せ集めて、組立式を考えたが、 今まで、組立たことがなかったので、さすがに恐いのでやめた。 コンパックやデルなどのメーカーにも電話をかけて確かめたが、 Linuxになると・・・ という返事ばかりだった。 困ったなぁと思った時だった。 Linux関連の雑誌「Software Design」を見ていた。 DOS-Vショップの広告を見ていると・・・ Linuxで動くパソコンを扱う店 「デゥアル・コンピューター」を発見! これだと思い、さっそく、見積もりを出してもらった。 サーバーは Cerelon 500MHz RAM64M で、10万円未満の見積もりが来た。 あとは、どこを削ろうかと思い、営業所のマシンの設定を自力で行なう事や、 本社とプロバイダーを結ぶルーターの設定を自力で行なう事などして、 設定費用を浮かせたり、ファイヤーウォールを購入しない事などにした。 J社に依頼するのは、本社〜営業所間を結ぶフレームリレー回線に TCP/IPのパケットが通るためのルーターの設定の変更だけになった。業者が仰天!
さて、私が自社開発の準備を進めている間、上司はJ社に対して 「自力でLinuxサーバーを構築しますので」と業者に連絡した。 この話を聞いて、びっくり仰天。J社は慌てふためいた。 サーバーは無理でも、せめて、ファイヤーウォールを買ってもらうため 本社と営業所間にあるルーターの設定費用を無料にするなどの値引きをしてきた。 J社にしてみれば、自社開発をしてくるとは夢にも思ってなかった。 この時、自社開発は業者との交渉する上で『伝家の宝刀』だとわかった。 業者と私がつくった見積もりを社長に提出。 社長が、私が作った見積もりを見て サーバーって、パソコンやないか! こんなので大丈夫かいな? と言ってきた。 社長にしてみれば、いくら安くしろと言っても、ここまでやるかよ、 大丈夫かいなという不安だった。 しかし、私が「大丈夫です。この能力で充分です」と答えたら、 社長が「Linuxで行こうやないか」と最終決裁を下した。 この瞬間、うちの会社が Linuxシステム導入に動き始めた。 Linuxサーバー構築については次章の「システム奮闘記:その2」に書きます。 (中小企業のIT化。自力でリナックス(Linux)サーバー構築) 結局、J社には、本社と営業所を結ぶフレームリレー回線に、 SNAのプロトコルのパケット以外に、TCP/IPでも通れるようにするため ルータの設定変更と、通信会社K社の専用線接続の手続きを代行してもらった。 自社で、できないことだけ外注する。これこそ、本当のアウトソーシング! J社にとっては儲からないし、面白くもないけど (^^;)
まとめ 紆余曲折しながらも、自力でリナックス(Linux)サーバーの構築に 話が進みました。 単に導入費用の節約だけでなく、導入効果が予想できない場合 大きな投資を行うのは危険があります。 そのため、自力でパソコンに無料のLinuxを入れて サーバー構築するのも、ひとつの方法だと思います。 自社サーバー構築に話が進んだのも、いくるか偶然が重なった事もあります。
自力でリナックス(Linux)サーバー導入に進んだ要因をまとめてみると | |
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(1) | 業者の勧めで自社サーバーの設置 |
(2) | 費用対効果が見えない事から、安く導入したい |
(3) | 私が普通のパソコンにリナックス(Linux)をインストールすれば サーバー構築できる事を知っていた。 |
(4) | 私自身、学生時代にUNIXを触っていた。 コマンドを触る程度だったが、UNIX系に抵抗がなかった。 |
(5) | 私自身、保身に走らない性格のため、挑戦する事にしたし 自分でサーバーを構築してみたかった |
次章ではサーバー構築に七転八倒しながらも、完成した話を載せました。